2018年2月16日 (金)

残業するな、成果は出せ

残業するな、成果は出せ

東京新聞 社説:医師の働き過ぎ 守られるべき労働者だ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018021502000170.html

医師の働き過ぎの実態が次々と明るみに出ている。医療機関のずさんな労務管理が背景にある。勤務医は医療機関に雇用されている労働者で、健康を守るべき対象であることを忘れていないか。



検査や入院の説明、服薬指導、診断書の作成代行などの業務は医師以外でも可能だ。看護師など他のスタッフとの分担も求めた。速やかに実行してほしい。

有識者会議は今後、患者の診療を拒めない「応召義務」との両立などを検討する。こうした課題のため残業時間の上限規制などを盛り込んだ政府の「働き方改革実行計画」では、規制適用を五年猶予した。だが、現場の疲弊を考えれば適用の前倒しも必要だろう。

医師も労働者であり、労働者としての権利を持つことや、過酷な労働がミスを誘発することには賛成する。だが、この社説が要求していることは、経営者(や管理職)がよく要求する「残業するな、売上は上げろ」というものと同じだ。予算の抑制も要求されたら、追加で「人員削減」や「経費削減」が追加される。

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要求することは権利だし、内容もおかしくはない。しかし、現場にとっては「経費節減せよ」「残業禁止(あるいは残業制限)」「成果は出せ(ユーザからのクレームがあったら許さん)」ということだ。

要求内容は正しくても、立場によっては理不尽なものにはる。

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残業を減らすなら(労働時間を減らすなら)成果が減ることも認めて欲しい。つまり、この場合なら医療の品質低下を認めるということだ(あるいは人員増加≒医療コストの上昇を認めるということだ)。

無理な品質を維持しようとすると、結局は破綻する。我々は医療品質の低下を容認するべきかも知れない。

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2018年2月 9日 (金)

「ブラック企業」や「ブラック校則」という言葉

「ブラック企業」や「ブラック校則」という言葉

AERA:誹謗中傷から殺人予告まで…差別と闘う苦しさ 被害者が声をあげなくてもいい社会に
https://dot.asahi.com/aera/2018020500054.html?page=2

梁:僕は在日3世なんですが、ヘイトや殺害予告を送りつけられることはしょっちゅうです。確かに買春もヘイトスピーチも差別主義的な発想によるもので、根本は同じかもしれませんね。実際、外国人排斥運動をやっている人がJKビジネスを擁護していたり、レイシストとセクシストが重なっていたりすることは多いです。

「買春もヘイトスピーチも差別主義的な発想によるもの」

売春する側が、差別によって売春を強制される立場になってしまう事があるのは、そうだと思うが、「買春」する側は差別ではなく本能(性欲)のコントロールの失敗ではないか。それまで「差別」とするのは、なんでも差別にしすぎではないだろうか。

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ところで、ブラック企業という言葉がある、最近ではブラック校則という言い方もあるようだ。しかし、悪い企業や理不尽な校則などを、非難する為に「ブラック」という言葉を使うのは、黒人差別にならないのだろうか。「ブラック」を悪いものをイメージさせる目的で使っているし。

私は差別の定義に詳しくないけれど、差別は差別された側が差別と感じれば差別になる場合があるようだ。となると、黒人の側から、差別だと非難されたら、主催者や発言者にその気持ちがなくても差別になってしまうのだろうか。

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2018年2月 7日 (水)

事故が続くわりにオスプレイの名を聞かない

事故が続くわりにオスプレイの名を聞かない

琉球新報:全米軍機の点検を要求 渉外知事会が米軍事故頻発で
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-660071.html

米軍基地所在の15都道府県でつくる渉外関係主要都道府県知事連絡協議会(渉外知事会、会長・黒岩祐治神奈川県知事)は6日、外務省や防衛省を訪ね、相次ぐ米軍機の事故を防止するために、全米軍機の点検など6項目の履行を求めた。翁長雄志知事らが同行した。

不謹慎かもしれませんが、オスプレイ以外ばかりですね。いえ、オスプレイにまったく事故が無いわけじゃありませんしけど、最近の事故のニュースではオスプレイの名を聞きませんね。

反対派によると、オスプレイは事故が多いんじゃなかったんじゃないでしょうか。その割には事故のニュースでは名前を聞きません。

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2018年2月 6日 (火)

反対派候補が賢ければ勝てたはず

反対派候補が賢ければ勝てたはず

毎日新聞 社説:名護市長選で自公系勝利 対立をどうやわらげるか
http://mainichi.jp/articles/20180206/ddm/005/070/082000c

「移設容認の民意が示されたとは思っていない。私の支持者にも反対の人がいて複雑な民意だ」。渡具知氏はこう語った。

正直な心情ではないか。選挙中、移設の賛否を明言しなかった渡具知氏の当選が、直ちに移設容認とはならないはずだ。

世論調査では反対が圧倒的多数だった。しかし、反対を全面に出した候補は勝てなかった。何故だろうか、反対を全面に出したのに勝てなかった。それは反対以外の政策や実行力が下手すぎるということだ。

反対しつつ、政府との連携や地域振興を十分にすることが出来れば選挙に勝てたのではないか。

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力のある者に反対するのは容易なことではない。単純な反対だけダメだし、あからさまに反対するのも上手くない場合がある。賢く振る舞わなければならない。そして、賢ければ、ことが単純ではないことが判るはずだ。となると、単純に大声で反対しつづければ(あるいは法廷闘争すれば)基地がなくなる訳ではないことも判るだろう。

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今回の選挙で否定されたのは「あからさまな反対」「反対のための反対」なのだろう。あるいは、愚かさか性急さ、自分の要求が100%通らなければ否定する考え方。

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移設は、沖縄にとって(日本にとっても)100点満点ではない。しかし、少しは安全になる選択なのだ。

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2018年2月 5日 (月)

戦場を変えるだけ

戦場を変えるだけ

信州毎日新聞 社説:国民のものにするために NHKのこれから
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180204/KT180203ETI090001000.php

第二に、より抜本的な対策として、放送の許認可権を扱う第三者機関の設置を考えたい。

終戦後間もなく、戦争遂行の道具になったラジオ放送を政府から切り離すために、電波行政を扱う電波監理委員会がスタートしたものの、1952年の講和条約発効、主権回復とともに廃止された。政府が放送に関する権限を取り戻して今に至っている。

NHKの予算は国会によって承認されることが必要となっている。つまり、国会の意向にNHKは逆らえない。NHKが政治(や政権)に近いのも当然なのだ。また電波の権利(放送する権利)を政府が管理している以上、放送局も最終的には政府に逆らえない。

これを、放送局自身による管理や第三者機関による管理に変えたら何が起きるだろうか。

放送が自由になり、良い社会になるだろうか?

私は、そうは思わない。放送の権利や放送局の管理権の戦場が、国会から放送局内部や第三者(って何者?)に変わるだけだ。国会よりマシな結果になるとは思えない。

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負けている側は戦場を変え、ルールを変えることで勝機をつかもうとする。それも闘争のひとつだ。

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2018年2月 4日 (日)

国家による思想の強制

国家による思想の強制

朝日新聞 社説:首相の伊勢参拝に抗議した牧師 「信教の自由、空文に」
https://www.asahi.com/articles/ASL1V66W6L1VULZU00N.html

お伊勢参りの感覚で語られがちな首相の伊勢神宮参拝。年初めに参った安倍晋三首相に抗議文を送った。「公務の一部のように演出した行為で、容認できない」

キリスト教や仏教徒、弁護士でつくる「政教分離の侵害を監視する全国会議」。1974年の結成以来、首相らの伊勢神宮、靖国神社参拝に抗議を続けている。

国家は、国民から出来ている。人間からできている。人間は、なんらかの思想や宗教を必要とする。つまり、国民から出来ている政府が思想や宗教を全く持たないことはありえない。

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政教分離や信教の自由も思想のひとつだ。悪いものだとは言わないけれど、それもまた思想であり、国家や権力による思想の強制(「自由」という思想の押し付け)のひとつになる。

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抗議した人々にその意識があるとは思わないが、彼らのような考えの方が権力を握ったら、「自由」という思想を国民に強制することになるだろう。

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私としては、どのみち強制されるなら、いまのまま(なんとなく神道)の方が良い。

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ところで、今日は日曜日だが、日曜が休日なのはキリスト教からの影響だ。政府が日曜を休日としているのは、政教分離を徹底するとおかしいのではないだろうか。国家による宗教の強制を徹底排除するなら、こちらを非難するべきだ。首相の伊勢参拝よりも、国民生活によほど影響があるのだから。

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2018年2月 3日 (土)

増税まで言わなきゃ

増税まで言わなきゃ

朝日新聞 社説:札幌の火災 困窮者に「住」の保障を
https://www.asahi.com/articles/DA3S13343427.html?ref=editorial_backnumber

札幌市の共同住宅で火災があり、11人が亡くなった。住宅は生活困窮者らを支援する民間団体が運営しており、生活保護を受けていた70~80歳代の高齢者が多く犠牲になったようだ。



法に基づく福祉施設には居室の面積などに基準があって安心・安全は高まるが、その分費用もかさむ。一方、生活困窮者の支援団体は資金繰りが苦しく、寄付頼みの所も少なくない。規制強化で利用料が上がったり、団体が活動できなくなったりすれば、困窮者が行き場を失いかねない。

東京理科大学火災科学研究センターの関沢愛教授は、実態として福祉施設と判断できる施設について「運営団体の申請に基づき、自治体が審査してスプリンクラー設置の費用を助成しては」と提案する。当面の公的支援策として一つの案だろう。

こういった悲劇がある度に、規制強化は基準の見直しが言われる。そして、施設の利用料があがる。結果、払えない人々は追い出されてしまう。困窮者への援助のつもりが、困窮者を困らせることになる。

その事を指摘した朝日新聞の社説は評価する。そして、公的支援という解決方法を提示したことも評価する。

しかし、公的支援と言うことは税金ということで、増税(あるいは他の予算が減る(公共事業?福祉?教育?))ということだ。

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増税についても述べなければ、結局は「不都合な事には目をつぶる」ことになってしまう。

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2018年2月 1日 (木)

「障害者が生きやすい社会」を作る政治とは

「障害者が生きやすい社会」を作る政治とは

河北新報 社説:強制不妊手術で提訴/国は過ち認め被害者救済を
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20180131_01.html

一昨年、相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件。殺人罪などで起訴された被告は「障害者は不幸しか生まない」などと語り、考えを改めていない。優生思想は私たちの社会に魔物のように生き続け、形を変えて噴き出す恐れがあることをわきまえたい。

原告の義姉は「裁判を通じて、障害者が生きやすい社会につなげたい」と言う。強制手術は遠い過去に負った傷ではない。現在進行形の痛みとして共有せねばならない。

身も蓋も無い言い方をすれば、「障害者が生きやすい社会」、まずは「金」なんだよね。経済成長して、支援のための十分な税金が得られるようにすること。

憲法や人権も大事だけれど、人の気持ちも大事だけれど、先立つものがなければ何もできない。

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まずは、仕事と衣食住。衣食足りて礼節を知る、という諺もあるし。

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そして、日本は民主国家だ。一般大衆の意見を無視できない。つまり、一般大衆に仕事と衣食住を提供できるもの、経済成長を実現できる政治、一般大衆を豊かにする政治が「障害者が生きやすい社会」を実現できる政治、少なくとも必要条件ということだ。

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2018年1月31日 (水)

王様は裸だ

王様は裸だ

毎日新聞 社説:安倍政権の緩みとおごり 謙虚の掛け声がむなしい
http://mainichi.jp/articles/20180131/ddm/005/070/167000c

先週開会した通常国会では早くも安倍政権の緩みとおごりが目立つ。

沖縄で相次いだ米軍ヘリのトラブルをめぐる野党の質問に「それで何人が死んだんだ」とヤジを飛ばし、松本文明副内閣相が更迭された。

米軍事故の危険にさいなまれる住民を気遣うどころか、犠牲者が出なければ構わないと言わんばかりだ。失言で済まされる問題ではない。

「裸の王様」という童話がある。有名な童話なので内容は語らないが、この「それで何人が死んだんだ」というヤジを聞いて、「王様は裸だ」という言葉を連想した。

真実だけと公的な場では言っちゃいけない事がある。事故やそれに類することで「何人が死んだんだ」などという台詞は嫌われて当然だ。だけど、同時に、何人が死んだのかというのは事故の重大さを計る大事な指標だ。

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私はヤジが好きではない。国会などの場でのヤジも嫌いだ。国会の場でのヤジには相応のペナルティがあってしかるべきだと思う。そして、同時に、「何人が死んだんだ」という疑問や感情は残るのだと思わざるを得ない。

この問いは礼節には反するが、本能的な問いであり感情だだ。

  *        *        *

リベラル、マスコミ、有識者たちは、こういった本能的な問いに答えてこなかったのではないか。礼節や「弱者の気持ち」を優先し、発言する者を抑圧してきたのではないか。その結果が、現在の右傾化ではないか。

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2017年12月 9日 (土)

現地の責任では?

現地の責任では?

中日新聞 社説:エルサレム首都 世界は公正を求める
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017120902000112.html

対立をあおり中東を一層不安定化させるだけである。トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都に認定した。米国が中東和平の公正な仲介役を果たすよう求める国際社会の声を聞くべきだ。

トランプ氏は六日の演説で、エルサレムにはイスラエルの公的機関が実在することを挙げ「首都認定は現実を認める以外の何物でもない」と正当化した。

民族自決、本人の自由・自主性という言葉がある。多くの人は、こういった言葉に反対する人は少ないだろう。では、中東の問題は中東の責任ではないのだろうか。自決や自由・自主性には責任が伴う。自由に振る舞っていながら結果は知りませんでは通らないのだから。

「対立をあおり中東を一層不安定化させるだけである」

中東の人々がアメリカがなんと言おうと自分達の好きにすると言い実行すれば良いだけではないのだろうか。

    *        *        *

アメリカに悪いところがないなどと言うつもりはない。しかし、中東の紛争の責任は中東の人々にこそある。なんといっても、我々よりも長い歴史があり文明の発達も早かった。その人々が、自分達のことに責任がとれないなんて言っていたら惨め過ぎる。

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反米のあまり中東の人々の自主性と責任を忘れていないだろうか。


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