2017年8月22日 (火)

反原発に夢を見すぎ

反原発に夢を見すぎ

中日新聞 社説:民進代表選 「党再生」の具体策競え
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017082202000109.html

原発政策も同様だ。前原氏は「三〇年代原発ゼロに向けてあらゆる政策資源を投入」とする一方、枝野氏は原発ゼロの前倒しへ年内にも法案を国会に提出することを目指す、としている。

報道各社の世論調査では原発再稼働に半数以上が反対するなど、原発ゼロの民意は根強い。安倍政権が原発稼働を続けるのなら、原発ゼロの前倒しは有力な政策の対抗軸になり得る。

「原発ゼロの民意は根強い」?

うーん、そら、原発の事だけ聞けば、原発があった方が良いですか?無かった方が良いですか?と聞けば無い方が良いと答えるでしょう。

でも、反原発の優先度は高くないのです。反原発の共産党の議席数と原発推進(容認)の自民党の議席数を比べたらそうなります。反原発を掲げた候補の選挙での勝率を考えたらそうなります。

「原発ゼロの前倒しは有力な政策の対抗軸」にはならないでしょう。というか反原発に拘れば、ますます支持率が下がるでしょう。共産党ほどの組織を持たない民進党は社民党ほどの少数政党になるのではないでしょうか。

中日新聞は(多分、他の多くの反原発運動の人々も)反原発に夢を見すぎです。

  *        *        *

反原発に限らないですけれど、ある主義主張(あるいは趣味)にはまった人々は、違う人々の存在が判らなくなることがあります。そして、現実を見れない人には政治を担う資格はありません。

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2017年8月21日 (月)

「ムラ」の復活?

「ムラ」の復活?

毎日新聞 社説:社会保障第3の転換期に 「我が事」で地域社会を作る
http://mainichi.jp/articles/20170821/ddm/005/070/042000c

近くまとまる提言は、すべての人々が地域に主体的に参加することを柱としている。福祉の「受け手」と「支え手」を固定せず、高齢者も障害者も支える側に回ること、商業・サービス業・農林水産業など分野を超えて地域経済や支え合いに参画することが打ち出される。

もう一つの柱は、縦割りの福祉ではなく、地域の課題を「丸ごと」受け止める体制を作っていくことだ。

最近は80代の親と働いていない50代の子が同居している困窮世帯を指す「8050問題」、介護と育児を同時に担わなければならない「ダブルケア」などが増えている。従来の縦割りの福祉行政で対処が困難になっているのだ。

こうした「地域力強化」には批判も起きるだろう。財源確保ができない国が責任を放棄し、地域に役割を押しつけるのではないかと警戒する声はすでにある。介護保険の財源不足から、国はサービスを制限してきた経緯もあるからだ。

縦割り行政が良いとも言わないし思わないけれど、「地域の課題を『丸ごと』受け止める体制」とはどんな体制でどんな社会になるのだろうか。

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自分は地方出身者で子供のころは村のコミニュティが残っていた。子供のころのオネショの話を何十年たっても忘れてもらえないような濃密な社会。人間関係が希薄になった都会ではありえないプライバシーのなさがあった。

行政が「丸ごと」受け止める(行政ではなく民間かもしれないが)、この場合、丸ごとなのだから、ある個人の全てを丸ごと受け止めるために、その個人の情報をどこまで集めるのだろうか。

昔の村社会の濃密さが再現されてしまうのだろうか。

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プライバシーを大切し、個人の意志を尊重するなら「丸ごと」の面倒はみられない。誰かを「丸ごと」受け止めるなら、プライバシーに踏み込むし本人の意志に従えない場合もあるだろう。

プライバシーや個人の尊重と丸ごと面倒をみること(見られること)の安心の両立は、不可能なのではないかと思う。

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縦割り行政も「丸ごと」も私は否定しない。しかし、判った上で選択したいものだ。

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2017年8月20日 (日)

目的の為には

目的の為には

西日本新聞:「君主論」で知られるイタリア・ルネサンス期の政治思想家マキャベリ…
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/351957

「君主論」で知られるイタリア・ルネサンス期の政治思想家マキャベリ。熾烈(しれつ)な権力闘争を生き残るための冷徹な権謀術数を説いた。転じて、目的のために手段を選ばないやり方を「マキャベリズム」というようになった



▼これもマキャベリの言葉。〈結果さえ良ければ、手段は常に正当化される〉〈不正義でも秩序ある国家と、正義はあっても無秩序な国家なら、私は前者を選ぶ〉。永田町や霞が関にはマキャベリの弟子たちが多そうだ。

目的の為には手段を選ばないことは非難されるべきだろうか。私には必ずしもそうは思わない。きちんと自分の目的を理解していて、それが達成されるのであれば問題ない。しかし、多くの場合、目的の為に手段を選ばない場合、その目的を達成した後に良くないことが起きる。そしてそれは真の目的を達成するためには害悪となる。

例えば「嘘」だ。目先の目的の為にはダマシもウソも役立つだろうが、長期的には信用を失ない良くない結果になる。

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「〈結果さえ良ければ、手段は常に正当化される〉〈不正義でも秩序ある国家と、正義はあっても無秩序な国家なら、私は前者を選ぶ〉」

国家の目的とはなんだろうか。それが国民に安寧と繁栄をもたらすことならば、「不正義でも秩序ある国家」の方が良いだろう。少なくとも庶民や弱者にとっては、無秩序な社会より秩序ある社会の方が生きやすいに違いないのだから。

もし国家の目的が「理想の実現」、「大義を守る」であるならば、話は別だ。正義の為には、国民の犠牲も厭わないのだから。

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理想を追い求めて、正しさを追い求めて、人々を不幸にするのは良くないことだ。

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2017年8月19日 (土)

憲法96条の変更は「憲法の破壊」

憲法96条の変更は「憲法の破壊」

東洋経済:小池都知事は「ウルトラ右翼の独裁者」なのか 「日本ファーストの会」に見えるその国家観
http://toyokeizai.net/articles/-/185054?page=2

そして国権の最高機関である国会が憲法を議論することは「当然」としながら、まず改正に着手すべきところを「憲法改正条項である憲法96条」とした。そして全会に賛同を求めたのである。

憲法96条は、憲法改正発議には各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要とし、日本国憲法を硬性憲法たらしめるものだ。これを改正するということは発議を容易にすることで、小林節慶應大学名誉教授など学者から「憲法の破壊だ」と批判が強い。

憲法96条は「国民は憲法の内容に口出しするな」という条項だ。発議の要件を厳しくし、しかも国会議員(現在の状況下での成功者)の大多数の賛成を必要としている。つまり、少数派の意見を切り捨て国民投票に問う事も出来なくする条文なのだ。

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国民の一定数の署名があったら、憲法改正の発議が出来たらどうなるだろうか。市民団体や小規模政党のなかから憲法改正案が出てくるようになるだろう。国民は自分達の手の中にあるものとして憲法を考えるようになるだろう。

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この条文を変更することを「憲法の破壊だ」というのは、ある意味で正しい。国民が憲法の内容に口出しできるようになるのだから。

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資本流出?

資本流出?

日本経済新聞 社説:韓国は徴用工問題蒸し返すな
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO20159390Y7A810C1EA1000/

最高裁の判断を受け、韓国の地裁や高裁ではすでに、元徴用工が新日鉄住金、三菱重工業などを相手に賠償などを求めた訴訟で日本企業が敗訴するケースが相次いでいる。文氏発言が、保守政権下で見送られた最高裁の判決の時期や内容に影響する恐れもある。

仮に最高裁で日本企業への賠償命令が確定するようなら、在韓資産の差し押さえなどに発展しかねない。経済のみならず日韓の協力関係に深刻な打撃を与えるのは必至だ。文大統領にはもっと慎重な外交のかじ取りを願いたい。

日本企業が韓国で持っている資産はどれくらいあるのだろうか。また、そのうち歴史ある企業(戦前から続いている企業)はどれくらいだろうか。

もし、日本企業への賠償命令が確定し在韓資産の差し押さえの可能性が見えてきたら、こういった企業は韓国から逃げ出すのではないだろうか。

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2017年8月18日 (金)

自分の国が「ファースト」で当然

自分の国が「ファースト」で当然

河北新報 社説:日本ファーストの会/どんな政策、理念示すのか
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20170817_01.html

もっとも「排外主義を連想させる」といった批判が出ているため、若狭氏は国政新党では別の党名に変えると表明しているが、小池人気頼みの本質が透けて見える。

小池氏の選挙戦術は党名の通り、「アメリカ・ファースト」を唱える米国のトランプ大統領と似た側面がある。既得権益に対する有権者の不満をてこに、勝ち抜くポピュリズム的手法にたけている。

各種世論調査を見ても、既成政党に飽き足りない無党派層は増える一方。ここをターゲットにして取り込もうとしているのは明らかだ。

日本の政党や政治家が日本のことを一番に考えないで、どうすると言うのでしょうか。もちろん中国の政治家は中国のことを、アメリカの政治家はアメリカのことを第一に間が得るでしょう。それは当然のことで、自分の国を一番より外国のことを優先する政治家なんて、政治家じゃなくて売国奴です。

  *         *        *

もちろん、Aという政策が国の為になるというという政治家とBという政策の方が良いという政治家がいて争うのも当然のことで、それぞれの政治家が国のことを考えた結果、論争になってしまうことだってあるでしょう。

  *         *        *

だから「アメリカ・ファースト」も「日本ファースト」も当然のことで、それを非難する方がおかしい。むしろ、その為になにをするかを問わねばならない。日本を第一に考えた結果の国際協調であれば良いのです。しかし、国際協調の為の国際協調はダメなのです。

  *         *        *

欧米でも日本でも「○○ファースト」が一定の人気を得ている。それは政治が他国の為に働いているように見えるということ。国際協調やグローバリズム、あるいは難民の受け入れや多文化共生などの政策が自国の為になると説得できていないという事です。

  *         *        *

「○○ファースト」が受けるというのは、政治家や有識者などの社会を指導する人々が綺麗事を言い過ぎたと言うことなのでしょう。

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2017年8月17日 (木)

韓国は衝突コースを突き進んでいる

韓国は衝突コースを突き進んでいる

産経新聞:バスに慰安婦像の異様さ 11日は朝日の“スクープ記念日” 8月16日
http://www.sankei.com/column/news/170816/clm1708160003-n1.html

北朝鮮の暴発をいかに抑えるか。緊迫した情勢をよそに、韓国は一体何をやっているのか。14日からソウル市内では、プラスチック製の慰安婦像を乗せた路線バスの運行が始まった。

▼バスに乗り込んだソウル市長は、日韓合意に反対するパフォーマンスに忙しい。中心部の広場では、元慰安婦の支援団体が、ミニチュアの金色の慰安婦像500体を展示していた。まさに、異様な光景というしかない。

この慰安婦像は誰に向けてのものだろうか。海外というよりは韓国国内に向けてのものだろう。ソウル市内での路線バスでの宣伝行為ですから。

  *       *       *

日本と韓国の「最終的」で「不可逆」な合意は、朴槿恵前大統領が行ったような告げ口外交のような行為を政府が行うことは禁止していますが、韓国国内での行為は禁止していません。もっとも、合意の精神には反しているとは思いますが。

  *       *       *

合意の条文には反していないが、合意の精神には反している。こういったことをすると、いろいろと信用されなくなるんですが...

「気持ちを分かり合える仲間」ではなく、「隙を見せたら攻撃してくる競争相手」になってしまいますから。

  *       *       *

しかし、こういった韓国国内向けの宣伝行為を続けるとどうなるでしょうか。韓国は民主国家ですし、民衆の意志を無視できる国家は存在しません(北朝鮮が民衆を統制しようとしているのは、民衆の意志を無視できないからでです)。

さて、韓国は韓国の民衆に対して「日本は悪いヤツだ」と宣伝行為を繰り返している。これは何をもたらすでしょうか。いつか、韓国は民衆の感情に押されて日本に戦争をしかけるしかなくなるのではないでしょうか。

戦争は言い過ぎかもしれませんが、韓国は日本が嫌い、民衆レベルで嫌い、そういう国になろうとしているのだと(こういうニュースを見ると)思ってしまいます。

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2017年8月15日 (火)

戦争の原因は強い国家なのか?

戦争の原因は強い国家なのか?

朝日新聞 社説:72年目の8月15日 色あせぬ歴史の教訓
http://www.asahi.com/articles/DA3S13087266.html?ref=editorial_backnumber

それでも近年、そうした歴史に通じた人々から「戦前と似た空気」を指摘する声が相次ぐ。

安保法制や「共謀罪」法が象徴のように言われるが、それだけでない。もっと奥底にあるもの、いきすぎた自国第一主義、他国や他民族を蔑視する言動、「個」よりも「公の秩序」を優先すべきだという考え、権力が設定した国益や価値観に異を唱えることを許さない風潮など、危うさが社会を覆う。

戦争の原因は、自国第一主義でも、秩序を大事にすることでもない。現実が見えなくなることではないか。アメリカと戦えばどうなるか、きちんと理解していたら戦争したとは思えない。

日本は神国だからアメリカにも負けない。などと考えず国力差や戦力差を正面から見据えることが出来たら戦争ではなく妥協を選択したのではないか。国家の指導層、社会の木鐸といった方々が、感情的になりがちな民衆を「戦争すればこうなります」ときちんと説明すれば(テロにさらされたかもしれませんが)戦争を避けられたのではないか。それをせず、戦争を煽ったマスコミにこそ最大の戦争開始の責任があるのではないか。

戦前や戦争の話すると、悪いのは軍部、軍隊といった話になりがちだけれど、当時から日本は民主政治を行っていたのだから、最終的な責任は国民にあり、国民を煽ったマスコミに責任がないとは思えない。いえ、私は軍部よりもマスコミこそ戦争を引き起こした責任者だと思う。

  *        *       *

いまのマスコミは当時のマスコミより優れているのだろうか。不都合な現実から目を背けていないだろうか。朝日新聞を含めて私にはそうは思えない。綺麗事や視聴者に受けの良いことを優先して報道しているように思えてならない。それでは(名目とする思想は別だけれど)戦前とあまり変わらない。

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2017年8月14日 (月)

自民党内に多様性が必要なのであれば

自民党内に多様性が必要なのであれば

毎日新聞 社説:岐路の安倍政権 自民党 「異議なし」体質の転換を
http://mainichi.jp/articles/20170814/ddm/005/070/003000c

一方で若手議員による国会審議などとは無関係の不祥事が相次ぎ、議員の劣化が深刻になっている。さまざまな要因があろうが、党として日常的に政策論議を重ねる習慣がなくなっているのも一因ではないか。

かつての自民党にはハト派からタカ派まで混在し自由に議論を戦わせてきた。幅広さや多様性が国民に安心感を与えていたのは確かだ。

その意味で今回、外相から党政調会長に転じた岸田文雄氏の役割は重要だ。多様な政策議論を重ねたうえで、決まったらそれに従う。そんな党に再度転換できるかどうか。岸田氏とともに「ポスト安倍」を狙う石破茂氏らにとっても課題となる。

自民党内での多様な議論は必要なのでしょうか。

    *      *      *

自民党内に多様な議論が無くなった(少なくなった)のは、小選挙区制度の必然です。小選挙区では1人しか立候補できません。そして、その1人を決めるのは党の中央です。結果、党中央(総裁、首相)の意向に従うようになる、多様な議論が減ってしまうのは当然の結果です。

それを防ぎたいのであれば中選挙区制度にするのが単純で効果があります。

    *      *      *

しかし、中選挙区から小選挙区に移行したのは、「党内の派閥間で話し合いが行われ、党外(社会、世論)に伝わらない(どんな取引が行われたか判らない)」「中選挙区では劇的な変化は起こりにくい。政権交代の可能性がゼロに等しい」からでした。

中選挙区制度に戻すなら、派閥政治や密室政治の復活、政権交代の可能性がゼロに等しくなるということを受け入れなければなりません。

    *      *      *

中選挙区から小選挙区に変わったところで、議論そのものが無くなった訳ではありません。議論する場所が党内の密室(とまでは言えないまでも、あまり公開されていない場所)から、マスコミや世論(最近ではネットも)へと場所が移動し、決着をつける場所が党内の密室から小選挙区での選挙に変わっただけでとも言えます。

    *      *      *

密室での党内の派閥同士での議論と公開された政党と政党の間での議論、どちらが優れているのでしょうか。

議論する場所が変わることで、発言者が党内の専門家や議員だけでなくマスコミや有識者も含むようになります。また、公開されることで、「衆愚」相手の議論(「衆愚」の賛成を得られる議論)をしなければならなくなります。それが、粗雑な議論、感情に訴える議論を招いてしまっているのかもしれません。

    *      *      *

自民党内での多様な議論は必要なのでしょうか。もし、必要なのであれば、それは党内での密室の議論の方が、公開された議論よりも優れている。自民党内の多様性の方が、複数の政党が政権を巡って存在する多様性の方が優れていると言うことになります。

    *      *      *

自民党内の多様性の必要性を言われる度ごとに、野党やマスコミ(有識者)の方々は恥ずかしく思うべきです。

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2017年8月13日 (日)

アメリカから離れたら安全か?

アメリカから離れたら安全か?

信州毎日新聞 社説:米国と北朝鮮 緊張あおる言動を慎め
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170812/KT170811ETI090001000.php

日本政府の対応も疑問だ。小野寺五典防衛相は安全保障関連法に基づき、集団的自衛権の行使可能な存立危機事態の認定もあり得るとの見解を国会で示した。海上自衛隊のイージス艦からの迎撃が想定される。

グアムにある米軍基地が「日米同盟」にとって重要との認識だろうが、北朝鮮は米国の領域外に着弾するとした。仮に領域内への落下が確定的になったとしても、自衛隊の出動は国会の事前承認が必要で現実味に欠ける。

日米の軍事的一体化をアピールすることで、逆に危険な状況に巻き込まれることにならないか。自ら火の中に飛び込むような言動はすべきでない。政府にはくれぐれも慎重な対応を求める。

北朝鮮はミサイル技術の進展ぶりを示し、米国との交渉へ持ち込む考えなのかもしれない。危険な瀬戸際戦術である。偶発的な衝突を避けるため、国際社会の冷静な分析と行動が欠かせない。

アメリカから距離をおくと北朝鮮からの攻撃目標にならない、というのは本当だろうか。

アメリカの仲間だから攻撃するというのあるだろう。しかし、アメリカから距離をおいたら、日本はアメリカの援助を受けにくくなります。つまり、北朝鮮にとっては日本を攻撃しても反撃される可能性が低くなる。殴り返さない相手は殴りやすい。

また、日本はアメリカの軍事情報が得にくくなる。北朝鮮のミサイル発射情報を得らなくなりかねない。

「日米の軍事的一体化をアピールすることで、逆に危険な状況に巻き込まれることにならないか」

距離をとったら安全だろうか。私にはそうは思えない。

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