2017年3月31日 (金)

自分が殴らないならOKなの?

自分が殴らないならOKなの?

朝日新聞 社説:敵基地攻撃力 専守防衛が空洞化する 2017年3月31日(金)付
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

北朝鮮の核・ミサイル開発に対処は必要だが、敵基地攻撃能力を持っても問題の解決にはつながらない。一方で、憲法にもとづく専守防衛の原則を空洞化させる恐れがある。

敵基地攻撃について、政府はこれまで法理論上は憲法に反しないと説明してきた。

1956年に鳩山一郎内閣は、わが国に対し「攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」とし、攻撃を防ぐのに「他に手段がない」場合に限り、ミサイル基地をたたくことは「法理的には自衛の範囲」との見解を示した。歴代内閣も踏襲してきた。

だが、この見解はあくまで法理を説明したものであり、現実に目を向ければ問題が多い。

まず「他に手段がない」とは言えない。日米安保条約に基づき、米軍が日本防衛の義務を負っているからだ。

日本の安全保障は、米軍が攻撃を担う「矛」、自衛隊が憲法や専守防衛の下、守りに徹する「盾」の役割を担ってきた。この分担を壊し、日本が敵基地攻撃をすれば、自衛隊が戦争を拡大することになりかねない。

難しい法律論は良く判らないけれど、日本が殴るのはNGで、アメリカが殴るのはOKなのか?

「殴る」という行為やその結果は(上手下手はあるだろうけれど)同じだ。

これはゴマカシにすぎない。

    *        *        *

敵基地攻撃能力を日本が直接的に持つのは憲法違反で、日米安保に基づきアメリカ経由で持つのは大丈夫という理屈は良く判らない。自分の手を汚したくないという気持ちは理解できなくもないけれど。

    *        *        *

理論・理屈と現実が乖離することは良くあることだけれど、乖離しすぎると大本の法律そのもの権威と実効性が無くなってしまう。そろそろ憲法を改正しないと憲法の重みがなくなってしまう。

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2017年3月30日 (木)

北朝鮮が国際法を守る?

北朝鮮が国際法を守る?

西日本新聞 社説:核兵器禁止条約 被爆者裏切る交渉不参加
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/317893

日本政府は禁止条約に反対する理由として、核実験を繰り返す北朝鮮が国際社会の脅威となっていることを挙げ、「現実的な視点」が欠かせないと指摘した。

一見もっともらしいが、この考え方は本当に「現実的」だろうか。北朝鮮は一部の国に核保有を認めるというNPT体制の矛盾を突き、核抑止の理論によって自国の核保有を正当化しようとしている。むしろ、核兵器を全て国際法で禁じる方が、北朝鮮の核保有を阻む本筋になるのではないか。

米国でトランプ政権が発足し、核廃絶の機運は大きく後退している。今こそが被爆国日本の踏ん張りどころであるはずだ。

西日本新聞は、北朝鮮が国際法を守るとでも思っているのだろうか。

北朝鮮がやってきたこと、拉致事件、弾道ミサイル発射実験、核実験、こういったことは国際法に違反しないのでしょうか。

  *        *      *

「核兵器を全て国際法で禁じる方が、北朝鮮の核保有を阻む本筋になるのではないか」

ありえません。

  *        *      *

核兵器廃絶には賛成していますので、実現できると思わせる提案をお願いします。頭悪い、非現実的な話ばかりだと、核兵器廃絶そのものが頭悪い話に見えてきてしまいますので。

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2017年3月29日 (水)

これも東電の責任?

これも東電の責任?

千葉日報:「福島帰れ」とたばこの煙 千葉県に避難の女子生徒
http://www.chibanippo.co.jp/news/national/396770

東京電力福島第1原発事故後に福島県から千葉県に家族で避難した高校2年の女子生徒(17)が25日、共同通信などの取材に応じ、小学6年だった2011年に、転校先の小学校で行事の際、同級生の母親からたばこの煙を顔に吹き掛けられ「福島に帰れよ」と言われるなどのいじめを受けたと明らかにした。



避難者が国と東電に損害賠償を求めた千葉県の集団訴訟の原告のうち、弁護団によると、女子生徒を含めた3世帯の子どもがいじめ被害に遭ったことが判明。うち1世帯の女子高校生は1月、「放射能が付いている」などと言われるいじめを受けたことを明かした。

登場人物は、「東京電力と政府」、「避難者(いじめ被害者)」、「いじめ実行犯」。さて誰が一番悪いのだろうか。

自分には、「同級生の母親からたばこの煙を顔に吹き掛けられ『福島に帰れよ』と言われるなど」の事をしたいじめ実行犯が一番悪いと思えるのだが。

  *        *       *

しかし、こんなイジメの責任まで東京電力に求められるのだろうか。自分には、人間全てが品行方正でないことまで、東京電力に求めているようで釈然としない。

もっとも、賠償は獲れるところから獲らないとどうにもならないと言うのも判るのだけれど。

  *        *       *

この訴訟で、仮に、東電に賠償が命じられたとしても、私は東電が悪いとは思わないだろう。

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2017年3月28日 (火)

政権奪取に対立軸は不要

政権奪取に対立軸は不要

中日新聞 社説:脱アベノミクス 民進党は対立軸を示せ
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017032702000111.html

アベノミクスは楽観的な成長見通しの下で消費税増税を再三先送りするなど財政規律をすっかり失った。税負担が軽いということは社会保障サービスを再分配でなく自己負担、自己責任で担えと同義である。

逆に税負担を増やせば自己負担は軽くできるということだ。

対立軸は明らかだ。目指すのは危うい成長頼みでなく、また自己責任の恐怖におびえる国でもない。負担能力に応じて誰もが負担し、誰もが受益者となる。弱者たたきもなく、負担を分かち合って安心して暮らせる社会である。

いやだから、具体論がないのがいけないんじゃないか。理想論というか、「弱者たたきもなく、負担を分かち合って安心して暮らせる社会」に誰も反対なんてしないでしょ。

と言うか、安倍政権が、弱者たたきが多く負担を分かち合わない安心できない社会を
目指しているとでも思っているのだろうか。

  *        *       *

この社説の筆者は、願えば全てかなうとでも思っているのだろうか。権力者は万能な存在だとでも思っているのだろうか。

  *        *       *

自分は現場の人間で権限や権力なんて何もない。しかし、権限や権力に限界があることも知っている。社長は偉そうにしているけれど、社会の法に従わなければならないし、従業員に命令できるけれど、従業員の能力以上のことを命令しても実現はできない。

権力者は万能じゃない。自分の願いが正しいものだとしても、それを権力者が実現できないとしても、それは直ちに権力者が悪であることにはならない(無能であることにはなるかも知れないが)。

自民党政権が良い結果を出していないとしても、それは彼等が望んだからはなく、出来なかったからだとは思わないのだろうか。

  *        *       *

対立軸として理想論を出してくるような政党であれば、政権なんてとれはしない。民主党がこの社説に従うような行動をすれば自民党政権は安泰だろう。

  *        *       *

国民が望んでいるのは、有能な政党であって、自民党よりも有能であれば政権は奪取できる。下手な対立軸は有害ですらある。

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2017年3月27日 (月)

身を切る改革

身を切る改革

北海道新聞 社説:議員なり手対策 「浦幌案」から考えたい
http://dd.hokkaido-np.co.jp//news/opinion/editorial/2-0111317.html

どうすれば職業、年齢、性別などさまざまな人が地方議会で活動できるようになるのか、議論を深めるきっかけとしたい。

十勝管内浦幌町議会が、議員のなり手不足対策に関する検証結果をまとめた。

町民アンケートの結果を加味した議員報酬の引き上げや、サラリーマンの兼職などに対する国の支援を盛り込んだ。

背景にあったのは、このままでは議会制度を維持できないという強い危機感である。

議員のなり手不足に悩むのは、浦幌だけではなかろう。他の自治体議会にも、さまざまな取り組みが求められる。

議員自身が「お手盛り」で報酬を増やすのが良いとは言わないけれど、いわゆる「身を切る改革」の行き着く先の一つがここにある。

浦幌町は、身を切る改革ではなく、予算の都合から議員報酬が高くないのだろうけれど、十分な議員報酬や待遇を提供しない(できない)ことの結果であると言うことができる。

  *        *       *

議員というのは、数年おきに選挙という審査と契約更新がある職業だ。非正規の契約社員だって5年連続で雇用されれば正社員になれると言うのに、議員にはそれもない。

社会的地位はともかく、報酬や継続性という面から考えると良いとは言えない仕事であるとは言える。

  *        *       *

極端な話、議員報酬がゼロでも政治家になれる人間というものはいる。実家がお金持ちで政治的な志をもっている人間だ。例えば鳩山由紀夫元首相だ。

身を切る改革の行き着く果てには、鳩山さんのような政治家だらけになる、というのは冗談だけれど、実現するかもしれない悪夢であって、笑い話で済ませて良い話ではない。

  *        *       *

元々、身を切る改革が議員報酬の抑制や引き下げを意味していた時から、おかしなことだと思っていたけれど、やっぱり単純な報酬引き下げは良い結果をもたらさない。

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2017年3月26日 (日)

自由礼賛は結構ですが

自由礼賛は結構ですが

中日新聞 社説:道徳の教科書 心を型にはめぬよう
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017032502000110.html

国語や社会、算数、理科などのふつうの教科は、人文科学や社会科学、自然科学という体系的な学問を基にしている。対して、道徳は、ものの考え方や感じ方、言動や態度、規範意識を一定の価値や理想へと導く営みといえる。

教科書検定では、国が学ぶべきものとして定めた学習指導要領に即しているかを主にチェックする。ふつうの教科では諸科学がものさしとなるが、道徳では国が指定した徳目がよりどころである。

戦前、皇国の臣民が守るべき徳目として、明治天皇の教育勅語をトップダウンで強いた構図をほうふつとさせる。

企業にとって都合が悪い人間が企業に採用されることはないだろう。国家や社会にとって都合の悪い人間が国家や社会から厚遇されることはないだろう。多様な考え、自由な考えと子供達を煽ってしまうと、社会や国家や企業にとって不都合な人間になってしまって、結果、不幸になってしまうことにならないか。

  *        *        *

国家や社会にとって都合の良い人間になれと言っている訳ではない。しかし、国家や社会にとって都合の悪い人間でありながら、幸福を掴むことの出来る強者(才能に恵まれた者)なんて少数派にすぎない。多くの凡庸な人間にとっては、国家や社会にとって都合の悪い人間でありながら、経済的に豊かな生活を送ることなんて出来はしない。

  *        *        *

いまの社会の問題は、国家や社会が価値観や心の型を提示できていないことにある。いや、提示はしているけれど、それに従えば(そこそこであっても)成功できるという価値観や心の型を提示できていないことだ。

  *        *        *

自由が大事であることに異論はないけれど、平凡な人々の幸福にとっては、安心して従える心の型を提示してもらえる方が大事なのではないだろうか。

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2017年3月24日 (金)

制裁すれば、防げる?

制裁すれば、防げる?

中日新聞 社説:シリア化学兵器 制裁なければ再使用も
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017032402000123.html

シリア政府軍が化学兵器を使用したとして、国連安全保障理事会が制裁決議を論議したが、ロシアなどの反対で否決された。非人道的な兵器が制裁を免れるのなら、再使用される恐れは消えない。

国連と化学兵器禁止機関(OPCW)は共同調査を実施し、シリア政府軍が二〇一四年四月に同国北部タルメネス、一五年三月に同サルミンで、塩素ガスを積んだ「たる爆弾」をヘリコプターから投下したとの報告書を公表した。

制裁が無ければ化学兵器が再使用されるとは思うけど、制裁すれば防げるのだろうか。北朝鮮への国連の制裁とその効果を見ると、国連が制裁したくらいで化学兵器を諦めるとは思えないのだが。

  *        *       *

制裁に反対はしないが、制裁すれば防げると思うのは、国連に(国際社会に)期待しすぎだ。

期待しすぎは判断を誤らせる。良くない。

  *        *       *

中日新聞は国連に夢を見ているのではないか。

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2017年3月23日 (木)

共謀罪と監視社会

共謀罪と監視社会

中日新聞 社説:刑法の原則が覆る怖さ 「共謀罪」閣議決定
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017032202000106.html

政府が閣議決定した組織犯罪処罰法改正案の本質は「共謀罪」だ。二百七十七もの罪を準備段階で処罰できる。刑事法の原則を覆す法案には反対する。

盗みを働こうと企(たくら)む二人組がいたとしよう。だが、人間というのは犯罪を共謀したからといって、必ず実行に移すとは限らない。現場を下見に行ったとしても、良心が働いて「やっぱり悪いことだからやめよう」と断念する、そんなことはいくらでもある。

共謀罪が恐ろしいのは、話し合い合意するだけで罰せられることだ。この二人組の場合は共謀し、下見をした段階で処罰される。そんな法案なのだ。何も盗んではいないのに…。

法律は人々の価値観によって支えられている。人々が悪いと思わないものを法律で犯罪と定めても無視される。それを無理して押し通そうとしたら大きな軋轢が起きる。

共謀罪に対して野党や一部のマスコミは攻撃するけれども、世論調査の結果では好意的な反応も多い。これは、私達の社会が「悪事を企むこと」「悪事をはたらこうと計画すること」を悪いことだと判断しているのだろう。実際、家庭や職場で子供や部下が悪いことを計画していたなら(それについて話していたら)、諫めたり叱ったりするだろう。

共謀罪が意外と受け入れられているのは、社会の価値観とさほどの違いがないからだ。

  *        *      *

悪だくみをしていた子供を叱っていたら、「何も盗んではいないのに…。」なんて言い訳されたら、どう感じるだろうか。自分なら「もっと叱らなければ」と思うだろう。

「何も盗んではいないのに…。」、まだやっていないのに罰せられるとアピールすることは、反感を買いかねない。良い反対方法ではないだろう。

  *        *      *

東奥日報 社説:基本的人権との摩擦生む/「共謀罪」法案
http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/20170322023565.asp

そもそもなぜ、この法案が必要なのか。政府は航空機乗っ取りなどの事例をいくつか挙げ「現行法では的確に対処できない」とする。野党が有力な学説を引き「ハイジャック防止法の予備罪を適用できる」と指摘しても「予備罪に当たらないこともある」と繰り返し、具体的に現行法のどこに不備があるのかは判然としない。政府は今後の審議で、こうした疑念や不安の数々にこたえていく必要がある。

何か新しい規則を決めたりするとき、それだけを見て良い悪いと判断することはできない、現在からの変化も考えなければならない。私は詳しく無いので、現行法で対処できるかどうかは知らない。確かに現行法で対処できるなら新しい法律はいらない。しかし、これは、逆に言えば、現在も共謀罪と同じような危険があると言うこと、あるいは共謀罪があっても現在と危険は変わらないということにならないか。

  *        *      *

中日新聞 社説:刑法の原則が覆る怖さ 「共謀罪」閣議決定
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017032202000106.html

専門家によれば、英米法系の国ではかつて、共謀罪が労働組合や市民運動の弾圧に使われたという。市民団体の何かの計画が共謀罪に問われたら…。全員のスマートフォンやパソコンが押収され一網打尽となってしまう。もはや悪夢というべきである。

実は捜査当局が犯行前の共謀や準備行為を摘発するには国民を監視するしかない。通信傍受や密告が横行しよう。行き着く先は自由が奪われた「監視社会」なのではなかろうか。

社会は監視社会化しつつある。しかし、その理由は「共謀罪」や特定の政治思想にあるわけではない。理由は思想ではなく科学技術の進展にある。

ここ数年のニュースの変化を見てほしい。何か大きな事件や事故があると、現場の映像が放送されることが増えた。初期ではケイタイの写メ、最近はスマホでの動画が放送されることが増えた。

映像の提供者は監視社会に賛成で右傾化した人間だろうか。そんな事はないだろう。ただ、その場にいた人間。スマホだけでなく防犯カメラの映像も放送される事が増えたが、設置者は右傾化した人間ということもないだろう。

  *        *        *

IT技術の発展で、監視することのコストは低下しつつある。最近、GPSを使用した捜査をするなら捜査令状が必要との判決があったが、GPSによる捜査はGPPの精度の向上とコストの低下がもたらしたもので、政治思想によるものではない。

  *        *        *

人々は安心を求める。安心の為に自分の周囲の変化がないか見張っていたくなる。そして、科学技術の進歩は新しい監視方法を可能にする。その結果の監視社会であって、これは止めようがない。私達は、監視の方法や監視の記録の取扱い(漏洩しないような管理)についてぐらいしか出来ることはないのではないか。

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2017年3月22日 (水)

認知症と証人喚問

認知症と証人喚問

中日新聞:夕歩道( 2017年3月21日 )
http://www.chunichi.co.jp/article/column/yuhodo/CK2017032102000254.html

健忘症を「良心を欠く償いとして、神が債務者に授けてくださる天賦の才」とは、米作家、ビアスの『悪魔の辞典』。記憶障害は本来、深刻な話なのに、そんな言われ方をされるのは誰のせいか。

「記憶にございません」が流行語になったのは、かれこれ四十年前のロッキード事件。以来、証人喚問といえば、このせりふが重宝される。昨日は、記憶がなくなる理由の詳細な説明まであった。

「記憶を内蔵している海馬という部分がうまく開かず、ひらがなさえ忘れた」…。脳梗塞の後遺症を軽んじるつもりはないが、その前口上ばかりやたら明晰(めいせき)に聞こえたのは、どうしたことだろう。

東京都の百条委員会で石原さんが証言したのをTVで見た。感想は、まぁ...こんなもんか?だった。国会でも証人喚問などが行われることがあるが、多くの場合、新事実が出てくることはなく、政治家達による吊し上げ、あるいは政治家自身の広報活動になる。今回の百条委員会も同じような結果に終わった。

   *        *        *

与党や政府にとって怖いのは、石原さんのような政治家が喚問されることではなく、政治素人の民間人が、政治的配慮にかける発言をしてしまうことだ。法的には問題なくて事実であっても政治的には問題になるような言葉はあるものだ。

例えば、「原発事故で漏洩した放射能では死傷者は出ていない」ことは事実であるし、法律違反でもない。しかし、政治家がこんな発言をしたら大騒ぎになるだろう。

   *        *        *

「脳梗塞の後遺症を軽んじるつもりはないが、その前口上ばかりやたら明晰(めいせき)に聞こえたのは、どうしたことだろう」

石原さんの味方をするわけではないし、石原さんが認知症だと言うつもりもないが、認知症の方が明晰に聞こえる話をする場合があると言っておきたい。特に石原さんのようなインテリは、難しい言葉で答えることができる。認知症はまだら模様にすすむので、おかしなことをしている一方、難しい言葉を使う能力は残る場合もある。

認知症かも?と気がつくのは長い時間いっしょにいて行動に矛盾を感じるようになってから。

証人喚問・百条委員会の1時間程度の時間、質問は細切れで数分毎に質問者が代わり単発の質問に答えるだけ(あとは質問者が自分の政治的主張を述べているだけ)であれば、軽度の認知症であったとしても、多少の記憶障害があったとしても乗り切ることが出来るだろう。

   *        *        *

「明晰(めいせき)に聞こえたのは、どうしたことだろう」

この言葉に認知症に対する認識の甘さというか先入観を感じる。

   *        *        *

しかし、日本では人権が認められ、権力者が誰かに自白を強制することは出来ないことになっている。警察が威圧的だと非難されることがあるくらいだ。そういった事を考えると、国会や地方議会での吊し上げや質問者(政治家)が声を荒げることに、そしてそれが非難されないことに、なにかがおかしいを感じないではいられない。

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2017年3月21日 (火)

時間は残酷な審判

時間は残酷な審判

中日新聞 社説:命の尊さ、ありのまま 林京子さんと考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017032102000099.html

3・11は、林さんのそんな心を激しく揺さぶった。

<放射性物質、核物質への認識の甘さ。人体が受ける放射性物質の危害は、(八月の)六日九日とイコールなのですが/“想定外”という狭量な人智(じんち)の枠に閉じ込めて報道される対策を聞きながら、私は、この国は被曝(ひばく)国ではなかったのか、と愕然(がくぜん)としました>

昨年暮れに刊行された短編集「谷間 再びルイへ。」のあとがきに、そう書いた。

8・6、8・9と3・11は、疑う余地なく“地続き”だったのだ。

林さんが秘めたる怒りをあらわにしたのは、福島原発事故の放射能が人体に与える影響について説明する「役人」の口から「内部被曝」という言葉が出た時だ。

「直ちに影響はない」という。

<八月六日九日から今日まで、幾人のクラスメートが、被爆者たちが『内部被曝』のために『原爆症』を発症し、死んでいったか。原爆症の認定を得るために国に申請する。国は却下。被爆と原爆症の因果関係なし。または不明。ほとんどの友人たちが不明と却下されて、死んでいきました。被爆者たちの戦後の人生は、何だったのでしょう>(再びルイへ。)

もう6年になります。あの時の恐怖は本物でした。本当に怖かった。しかし、現実の被害は、そうでもありませんでした。現実の被害はゼロ、あるいは計測不能なほどに低いのです。恐怖と実際の被害のには大きなギャップがあるのです。

  *        *       *

原発事故直後の対応に問題が無かったとは言いません。「直ちに影響はない」という言葉に怒りを覚えた方は多いでしょう。

恐怖も政府の対応に問題があったことも認めますが、6年たって健康被害はゼロなのです。その事実を見ることなしに騒いでいては、適正な対応ができません。風評被害を拡大させます。

  *        *       *

時間は残酷な審判です。6年たって漏洩した放射能での健康被害はゼロなのです。その事を忘れてはなりません。

  *        *       *

私は何度か、同じような事を書いていますが、新聞社というそれなりの組織が「被害がないこと」から目をそむけて風評被害を拡大するような言説を報道しているならば、被害を拡大させない為に(微力となることを願って)書かざるを得ないと感じるのです。

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«核兵器廃絶は当面無理