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2005年5月31日 (火)

日本はお行儀がよすぎる

日本はお行儀がよすぎる

「オピニオン縦横無尽」櫻井よしこ
週刊ダイアモンド 2005/06/04

日本は、なんとお行儀が良いのだろうか。

そして今、公明党は教育基本法の改正論議で「児童の居住国及び出身国の国民的価値観の尊重」を盛りこむように主張している。日本に住む外国人児童の国々の価値観をも大切にせよと教育基本法に書き込め、というのだ。

櫻井氏は、この公明党の主張に真っ向から反対している。私は櫻井氏に賛成すると共に別の感想をもった「日本は なんとお行儀が良いのだろうか」と。

これは確かに理想ではある。それぞれの児童の持つ歴史・文化・精神世界を尊重し育むことが公教育でできればどんなにすばらしいだろうか。

だが、2つ言いたいことがある。ひとつめ、自国の歴史さえ十分に教えることが出来ないでいる日本の歴史教育を思いだしてもらいたい。ふたつめ、諸外国でここまでの教育ができている国があるなら教えてもらいたい。たとえば、外国で日本人が(日本人学校ではなく)現地の公教育を受けたとき 日本の精神文化を教えてくれるだろうか? 日本の神道(伊勢・出雲・各地の氏神樣・靖国などの神社や神話etc)や仏教(念仏、禅etc)などの宗教、武士道などの道徳を外国の公的教育機関で教育されることを期待するだろうか。
例えば中国の公的教育機関に通う日本人の児童がいたら、どんな教育を受けるだろうか。イスラム原理主義の国で多神教をどのように教えるだろうか。

公明党さん、あなたが理想を追及していることはわかった。その理想を実現するために、まずは「日本国で生活している日本人の児童が受ける教育において『児童の居住国及び出身国の国民的価値観の尊重』」をお願いしたい。

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2005年5月30日 (月)

中途半端でもいいじゃないか

中途半端でもいいじゃないか

「『中途半端でもいいから』が挑戦する気持を育てる」原孝
週刊ダイアモンド 2005/06/04

「特集 息子・娘がニートになる日」の一部、この特集を読んだ印象では「ニートは『自己実現病』かかった贅沢な存在」だ。「生病老死」を知ったとき出家したブッタのようでもある。生活苦から切り離されて育った若者が現実にであったたきに 出家してしまう。ブッタは王子として生まれ、何不自由無く育てられたが「生病老死」にであった時にすぐさま出家してしまう。彼は完璧でないことに耐えられなかったのだろう。

あるとき、ハッとした。米国の若者が書く「長所」は、日本人の私から見ると、どれも「中途半端なもの」にすぎないのだ。たとえコンクールで入選したとか弁論大会で優勝したとかいうものでも、いわゆる「全国大会レベル」のものではなく、小学校のクラス討論で一位になったと言う程度のことでも堂々と書いてくる。
(中略)
「中途半端な総体としての自分を潔く引き受け、他者に中途半端な自分を開示していく」表現法を学ばせている。

世の中の大部分は中途半端な人でできている。大丈夫。中途半端でも仕事はあるし生きていける。「まぁ俺の人生こんなもの」と言いつつ「それなりに楽しいじゃん」と言えればいいのよね。

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2005年5月29日 (日)

日本は、反日デモに反対してはならない

日本は、反日デモに反対してはならない

大紀元も朝日新聞も思想性の強いメディアだが、問いと答えの組み合わせにすると面白い記事があった。

問い

「常任理事国入り 問われる「敗戦国」の作法/ 若宮啓文『風考計』」朝日新聞
http://www.asahi.com/column/wakayama/TKY200504250098.html

しかし、だからこそ言うべきことは言いつつ、相手の気持ちをどうほぐすか、そこは日本の知恵と度量が問われているのではないか。

答え

「日中関係改善五つの戦略」大紀元日本5月27日http://www.epochtimes.jp/jp/2005/05/html/d58035.html

五、湯曄という上海の若者は最近、反日デモの参加に呼びかけたため、5年間の懲役を言い渡された。日本政府は彼の釈放を中国政府に要求すべきである。

日本はA級戦犯の分祀とか小手先の対応で お茶を濁すべきではない。中国の反日感情を受け入れるべきである。反日デモを押さえるように要求などすれば、それこそ内政干渉になる。日本は平和的なデモに対して反対してはならない。大紀元が問題とする湯曄さんがどのような行為を行なったのか知らないが、「反日デモの参加に呼びかけた」だけで拘束し5年間の懲役とは、表現の自由に対する侵害だとしか言いようがない。

「暴力行為や暴動には反対しますが、平和的なデモを抑圧することを認めることはできません。」とはっきり言うべきであろう。

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2005年5月28日 (土)

「<私>の愛国心」香山リカ

「<私>の愛国心」香山リカ
ISDN4-480-06185-1

左派が何故力を失っていったか良く判る本である。私は、香山氏は左派の論客だと思っているので、氏の愛国心についての評価について読みたくてこの本を読んだ。期待どうり香山氏は、最近の「右傾化」について批判的であるが、その論を読み進むにつれて「何故、日本で左翼が力を失っていったか」感じた。

まず、氏は「不安」が右傾化の原因であると言う、だが不安を解消する手段については何も語らない。そして、日本とアメリカの精神分析は行なうが 中国と朝鮮については行なわない。意識的にか無意識的にか、中国と朝鮮は 分析対象にならないのである。これで何かの役に立つのだろうか(私は記事がかけて良いけどね)。

左派が衰退した理由を精神分析風に表現するとこうなる。「自分の親(または先生)を理想化したため、親の現実の姿を直視できない。そのため無意識的にその存在をさけている。結果として、現実社会のありのままの姿を直視することができず社会に適応できないから」

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2005年5月27日 (金)

民主党の正体

「『最強のビジネスマン』講座」大前研一
SAPIO 2005/06/08

がんばれ民主党! とおもわず思ってしまった記事。支持率も一ケタになってしまったけど、がんばれ民主党。

私に言わせれば、民主党は自民党の脱落組か、というイメージが強い。
(中略)
その地域の自民党1位は自民党へ、2位は民主党へというパターンが多く、野球に例えれば自民党がメジャーリーグ、民主党がマイナーリーグという感じなのだ。

う〜ん、これで民主党が旧社会党のようにふるまっている理由がよくわかった。

  自民党の二軍(旧自由党ふくむ) + 旧社会党 ー> 民主党

旧社会党は、野党とは言え一軍だもんな〜。自民党の二軍では力不足な訳だ。(旧民社党が少しがんばっているけどね〜)まあ、民主党は旧社会党の後継政党だという印象をもっていたけど。民主党内の旧社会党にとっては、自分達が民主党の支配権をにぎればにぎる程、その正体が国民にばれていくのよ、いたしかゆしだよね。

民主党よがんばって正体をさらしてくれ。

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2005年5月26日 (木)

「霞ヶ関のそばで『戦争の記憶展』を」 By Carol Gluck

「霞ヶ関のそばで『戦争の記憶展』を」 By Carol Gluck
ニューズウィーク 2006/06/01号
http://www.nwj.ne.jp/

うーん、ニューズウィークは左派系の雑誌なので、こんな記事があっても驚かないが、筆者は現実が見えているのだろうか?

戦争責任をめぐる圧力がたかまる今、東京で第二次大戦の歴史展示を開くというのはどうか。そう考えるのは意味あることだ。展覧会は大日本帝国の拡大、アジア・太平洋戦争の開戦から始まり、あらゆる偽性、残虐行為、失われた人命などを明らかにする。
(中略)
霞ヶ関の近くでこんな展覧会を実現させるのは、戦後60年たった今でも望めそうにない。

読後 いや〜な感じがのこるコラム。後味の悪い甘〜い安物のお菓子を食べたようだ。

日本は言論と表現の自由がある国だ。日本ではどんな展覧会を開こうと自由だ。日本には、朝鮮総連が国会会館で反日集会(*1)を開けるほど、言論と表現の自由がある。展示会が開けないとしたら 主宰者にやる気がないか、能力がないかの何方かだよ。

それから、結論を誘導するだけの展示会には興味がない。あらたな視点を提供してくれたり 論点整理や対立点を明らかにしてくれない展示会には行かないだろう。太平洋戦争について展示会を行なうなら、19世紀からの歴史を述べないではすまないだろう。大戦前のアジアの支配者は どうやって支配権を手にしたのか? そのアジアの民衆はどんな生活をしていたのか? 支配権はどの様にして失われていったのか?

欧米諸国にとっても厳しい問いになることだろうが、そこまで踏みこんで歴史を語る勇気が必要だ。

私が、歴史の展示会をするとしたら「歴史教科書の展示会」がいい。各国の15才ぐらいの子供が学ぶ世界史と自国の歴史の教科書を展示するのだ。もちろん相互に翻訳し互いに批評しあう。また他国の歴史学者に正しさ・中立性について評価してもらうのも良いだろう。「歴史教科書」にはその国の「正史」が表われる。そして「現在使っている教科書」はいくらでも手に入り史料であありがちな真贋論争にも無縁だという利点がある。

(*1) 以下 URL を参照
   http://www.tarochan.net/archives/2005/02/post_93.php
   http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/000456.html

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2005年5月25日 (水)

バカニュース〜動作原理と操作原理

バカニュース〜動作原理と操作原理

昔、職場の先輩にこう言われた「操作原理だけでなく、動作原理を理解せよ」。

操作原理とは「基本的な使用法のルール」のこと。「車のアクセルと速度の関係」「水道の蛇口を回せば水が出る」といったこと。動作原理とは裏側の仕掛。「エンジン内ではガソリンを爆発的に燃焼している」「水道の水は、取水し浄水場で消毒殺菌し水道管を通ってやってくる」といったこと。

で、このニュース「米軍の機密情報、『コピーアンドペースト』操作で流出」

同文書の問題の箇所は電子的手段によって「黒く塗りつぶされていた」。しかし、どうやら部外者でも、その黒塗り部分をコピーアンドペーストすれば、そこに隠されていたテキストを取り出すことができてしまったようだ。
http://japan.cnet.com/news/sec/story/0,2000050480,20083329,00.htm

この機密文書を公開する時に、公開出来ない部分を黒く塗りつぶした。で、黒く塗りつぶすときに(おそらく)公開できない部分の上に「黒い四角」を置いただけだったようだ。ワープロ(MS-Wordなど)を使う人なら判ると思うけど、テキストの上に画像をおくと下になったテキストは隠される。だげどテキストは消えたのではなく、上になった画像をどければ、下になっていたテキストがちゃんと表われる。操作だけを学んだ人に「ここ公開できないから黒塗りして」と頼むと起きそうなミスだ。

昔、「台湾にはコンクリートの壁に水道の蛇口だけがついているのがある」と聞いたことがある。台湾にやってきた国民党の中には 水道が理解できず、蛇口を「水がでる魔法」と思った者がいたらしい。

こうは、なりたくね〜(笑)。だけど 身の回りにある「ハイテク製品(笑)」のどれ程を理解しているだろうか。

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2005年5月24日 (火)

トヨタ自動車は日本の企業? 金持と庶民の違い

トヨタ自動車は日本の企業? 金持と庶民の違い

日本経団連の奥田碩会長が小泉首相の靖国神社参拝を批判したらしい。

 日本経団連の奥田碩会長は23日、首相との会談をドタキャンして帰国直前の呉副首相と昼食会後、首相の靖国参拝について「個人の判断と国益を見ての判断は違うから、是非、両方の判断でうまく調整していただきたい」と、中国寄りとも取れる発言をした。昼食会で呉副首相は「トヨタは(中国進出で欧米企業より)出遅れたが、今は立派にやっている」などと評価姿勢を見せた。http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200505/sha2005052406.html

奥田氏のこの発言、私は「彼の立場なら言いそう」って思うんですね。(あ、誤解の無いように申し上げておきますが、私は靖国神社参拝は賛成ですから。百歩ゆずっても「日本の内政問題なので、外国にどうこう言われる問題ではない、日本人が決定すべき問題」。)

で、奥田氏のこの発言を聞いて、なぜ彼の立場なら言いそう」って思たかと言うと、彼は別に日本国に頼らなくても生活していける立場なんですね。私のような庶民と違って。

トヨタは、総販売台数 670万台のうち日本は175万台と国内の販売台数は25%程度なんですね。トヨタは日本にルーツはあるけど、日本の企業として振舞う理由はあまりないのです。つまり、奥田氏の発言は「トヨタの会長としては正しい」と。また、奥田氏と私のような庶民の「日本国に対する」決定的な違いは「奥田氏は日本国にたよる必要はない」が、私は「日本国と運命を共にするしかない」と言うことです。

庶民は「教育は公教育がメインで、せいぜい塾に月数千円であっぷあっぷ」
金持は「公教育がおかしければ、私学も家庭教師も選択可能。留学も可能」

庶民は「公共の健康保険があるから最低限の医療が受けられる」
金持は「保険外診療の費用も十分はらえる」

庶民は「安全は、警察が治安を保ってこそ」
金持は「ボディガードを何人でも雇える」

庶民は「国が滅ぶとき、国と共に死ぬか被占領国の国民として生きるかしかない」
金持は「国が滅びそうなら、何処にでも移住可能」

庶民が日本国を応援するのは 本能的にこのことを知っているからです。

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2005年5月23日 (月)

「『B』で生きる経済学」森永卓郎

「『B』で生きる経済学」森永卓郎
ISBN4ー12ー150100ー4

森永氏は以前「テレビタックル」でガチガチの9条護憲派であることを見せてもらっていたので、氏の政治的な立場には?であるが、とにかく読んでみた。

「年収300万円」の「B」クラスという表現はセンセーショナルだが「それだけ」といっていいかもしれない。例えば、p54の「『可愛がわれる』能力」にいたっては「鈴木健二の『気配りのすすめ』」と本質的には何処勝ちがうのか良く判らない。階層化はこの本の言う程、明確にはすすまないだろう。

後半の教育のついて、たとえば「『ゆとり教育』は『一億総バカ化計画』」なっとく出来る部分もあるが、日本はゆとり教育の方針を転換しつつあるように見える(私は十分に転換したとは思っていないが)。この本で森永氏は転換を予想していないようだ。

この本は2003年に書かれた本だが「3年後にはおとずれる新『A』と新『B』以下とに二極化した超階層化社会」まであと1年。森永氏の予測はあたるだろうか?

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2005年5月22日 (日)

戦う国際貢献なんて幻想

東京新聞 2005/05/21夕刊 9面 「土曜訪問 戦う国際貢献なんて幻想 河合雅雄さん(霊長類学者)」
( http://www.tokyo-np.co.jp/doyou/text/d166.html )

ひさしぶりに東京新聞を読んでみた。BLOGの更新頻度をあげるためには書籍だけでは苦しい。とりあえず「けなす」対象をさがしてみるのだ。この記事の前半は、河合氏の生物学者としての経歴についての記事だが、最後にとってつけたような政治的な発言がある。

 「私は人間の将来を決して悲観していない」と語る一方で、「非常に残念」と思うことがある。昨今の憲法改正論議だ。「戦争放棄の理念は残すと言いながら、戦争ができるよう憲法を変えるまやかしを行おうとしている」

うーん、私は「第九条があったから拉致事件があった」つまりお行儀良くしすぎたから北朝鮮になめられた と思っているのだが。日本国憲法は日本人が幸せに生活するためのツールにすぎない。使い勝手が悪くなれば、取り換えてしまうべきだ。いままでは、アメリカの戦争に巻きこまれないために利用できたかもしれない。だが北朝鮮による日本人の拉致があきらかになったとき、私は思った「これがアメリカ人を拉致したのであれば、戦争だろうな。」「日本は何もできないのだろうな」と。これは、憲法九条を盾に世界の現実から眼をそむけってきた日本の姿だろう。

戦争を回避するためにも 憲法改正が必要なのだ。

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2005年5月21日 (土)

浮世絵はマンガへと進化した

浮世絵はマンガへと進化した

「エコノミスト」2005/05/24号 p70
   『模倣される日本』浜野保樹著  書評 著者インタビュー

『模倣される日本』は本屋で見かけただけで、読んではいない。たまたま買った雑誌に書評があったので(書評を)読んでみた。最後の部分を引用する。

話をアニメに戻せば、世界が注目していると喜んでいるだけでは、かつてジャポニズムで浮世絵が世界的なブームになりながら、浮世絵自体は日本から消えていった二の舞にならないもと限らない。そのことを心にとどめておくべきだと思います。

さて、私は浮世絵が消えたことを残念だとは思うが、悲観すべきでないとおもう。浮世絵はマンガへと進化したのだと思うから。浮世絵は庶民が楽しむもで、現代風に言えば「アイドル生写真」や「旅行ガイドのさし絵」や「エロ本」の類である。時とともに変化するもので、保存すべきものではない。伝統芸能のように遺すことは可能だったかも知れないが、そのように「保護されているもの」は、「『浮世』絵」ではないだろう。

もっとも、絵描きが「マンガへと進化したのだ」と言って胸をはるのは良いだろうが、商人は違う。浮世絵は世界的なブームになったが、(世界的なブームは)日本の版元に利益をもたらしてはいないだろう。世界でブームにっているのに儲そこなっては商人としては半人前である。

  * * *

書評で記事をかいちゃったから『模倣される日本』読んでみようかな。

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2005年5月20日 (金)

「現代史の中で考える」高坂正堯 著

「現代史の中で考える」高坂正堯 著
ISDN4-10-600526-3

古い本であるが、今、考えなければならないこと・思いだしておかなければならないことが書いてある。引用する。

それからもう一つ付け加えますと、あの天安門広場のようなところに学生がいて、周りを囲み鉄砲を撃ちます。当然ながら、ある程度の弾丸は学生を飛び越え、向う側にも達します。向こう側にも兵隊はいます。死にますよね。今回の兵士の死傷者というのは、そうして出たとしか考えられません。撃たれた側の兵隊は、ますます頭に血が上って、ますます撃つのではないですか。今回「手当たり次第発砲した」と言う記録がたくさんありあすけれども、そういう状況でなかったら兵隊から何人もの死傷者が出るなんてことになるわけがない。だから、私はあの軍隊の使用法を考えた人物は、力の使用ということが非常によくわかっている人間だと思います。いささか血と涙に乏しい人間ではありますけれども、えらいもんやという感じもしないわけではありません。」

「天安門事件直後に感じたこと」と題された1989年6月21日 新潮社の社内勉強会の講演の一部。

忘れないで欲しい、1989年に自国民に発砲した中国と言う国を。その鎮圧を行なった者達の後継者が現政権であることを忘れてはいけない。この政治的タフさに日本は向かい合わねばならない。

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2005年5月19日 (木)

「一日江戸人」杉浦日向子

「一日江戸人」杉浦日向子
ISBN4-09-402361-5

これは、歴史の本じゃないよな〜。でも歴史に興味のあるひとは是非よんでもらいたい。小難しい歴史書じゃないけれども、私の歴史観に大きな影響を与えた本だから。

著者の杉浦日向子氏は江戸研究家で漫画家。江戸時代人(江戸人)の日々の生活が楽しく描かれている。江戸時代の豊かさを満喫しよう。「江戸時代=封建社会=息苦しくで貧しい生活」という固定観念を持っているひとは是非読むべし。日本の豊かさは江戸時代には始まっていたのだ。江戸時代の文化、浮世絵・歌舞伎・落語・お祭り・細工物・和服、は町民・庶民の作りあげたものだ。こんなすばらしいものを作りあげた人達が豊かでないはずがない。

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2005年5月18日 (水)

「静かに語れ歴史教育」荒木肇

「静かに語れ歴史教育」荒木肇
ISBN4-931178-17-0

文章がかたいので読みにくい。だけど時間と頭に余裕のあるときに読みなおしたい本だ。著者の言いたいことには賛成する点が多いので。例えば「『教え子を二度と戦場に送るな』というのも、反省しているようでそうでない。送る、送らないは、やはり自分は安全地帯にいる発想である。」「いつもの教師の手口に慣れきっているので、自分の意見を決して言わない。彼らは意欲が低いのでもなければ...(中略)...もっと他のことで近代史を学びたいといった自由はその学級では認められることがない。」などなど。

私が、いわゆる「平和教育」を受け不満だった点をよく指摘している。現在、学校でどのような平和教育が行なわれているが知らないが、私が受けた平和教育について最も不満な点は「心情的な平和を唱える」だけで「なぜ戦争になったのか」「さける方法はなかったのか」について全く答えていないことだ。

歴史を学ぶことで学んで欲しいこと あるいは自分が歴史を学んで思うことは、「歴史を背負っている」ということだ。私達は、突然空中に親もなく生まれたわけではない。日々つかっている言葉や道具、生活を支えている社会の仕組や常識は、長い時間のなかで育まれたものであること、先祖達の努力と生活があって 今の生活があるということだ。「先祖に感謝しろ」と言うつもりはない。「継続している存在」「受け継いだ存在」であることを覚えてもらえれば十分だ。

細かい記述が多くすらすら読める本ではない。南京事件など細かく論証している。多分、著者は南京事件はなかったと思っている と思う。その当時の日本軍に 中国側が主張するような方法では南京事件を起こす能力がなかったことを淡々と記述してあるが まるで法廷に提出される鑑定書のような印象。これ以外にも戦前の日本社会や軍について説得力のある内容がもりだくさん。

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2005年5月17日 (火)

「日本国憲法」小学館

憲法についてのつづき。

憲法より大切なものがある。

大部分の日本人はそれを知っている、と思う。でなければ 自衛隊が存在する理由が判らない。自衛隊はどう考えても戦力としか言えず憲法違反の存在だと思う。でも私は自衛隊の存在を支持する。日本をとりまく状況をみて自衛隊が不用とは私は言えない。

日本国憲法より大切なもの、それは日本人の生命と幸せ。

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2005年5月16日 (月)

「日本国憲法」小学館

「日本国憲法」小学館
ISBN4-09-394611-6

日本国憲法を読みたくなったので。この本であることは偶然である。しかし、詩集のような写真を織りまぜた編集に何を感じるか。「日本国憲法って詩集だよね」っていうブラックジョークであるなら、そのセンスに脱帽である。

何故こんな細かいことを憲法に書かなければならないか理解できない文言が多い(歴史的経緯(私の仕事上の言訳使用率ナンバーワン)なのだろが)。例えば「第七十九条 5項 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達したときに退官する。」

私が憲法を書くならば「みんなで幸せになりませう」でおわりなのだが。多分、私は憲法不用論者なのだろう。

*  *  *

この本には「大日本帝国憲法」も記載されている。こちらは旧カナづかいの上に旧字体なので読みにくいのだが、読んでみようと思う。まだ読みはじめたばかりだが、文章としてはすぐれているように感じる。読みきったら感想を書きたい。

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2005年5月15日 (日)

「それがぼくには楽しかったから」

「それがぼくには楽しかったから」
リーナス・トーバルズ+デイビット・ダイヤモンド著
ISBN4-7968-8001-1

面白かった。以下面白かった言葉。

「一つめは生きのびること。二つめは社会秩序をまもること。三つめは楽しむこと。」多くの製品・もの・制度・集団にあてはまると思う。

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「歴史とはなにか」岡田英弘著

「歴史とはなにか」岡田英弘著
ISBN4-16-660155-5

昨日のつづき、

「歴史は科学ではない」と言ってしまうと「歴史を自分の都合の良いように捏造してしまうこと」を認めるように思われるかもしれない。

歴史には「よい歴史」と「悪い歴史」がある。引用すると「『よい歴史』とは、結局、史料のあらゆる情報を、一貫した論理で解釈できる説明のことだ。」

「よい歴史」とは史料を捏造も無視もせず(ここで中共は失格)説明しなければならない。「よい歴史」かどうか判断するしようとする人は、史料の捏造や無視がないことに加え、解釈に不可避的にもちこまれる「歴史家の価値観・人格」をも判断しなければならない。

「歴史とはなにか」には白村江の敗戦が日本にあたえた影響など、日・中の基本的な構図を描き出している。日本は中国からの独立が国是であることが良く判る。

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2005年5月14日 (土)

「歴史とはなにか」岡田英弘著

「歴史とはなにか」岡田英弘著
ISBN4-16-660155-5

最初はこれ。私は名著だと思う。いま日中・日韓で歴史教科書が問題になっているが、歴史問題について関心のあるひとは是非読むべきだ。この本を読んで、すいぶん頭のなかが整理された。

私なりにまとめてみる。

(1) 歴史はとは、「歴史的事実」と「歴史認識・評価」からなる。
(2) 歴史は科学ではない。というより科学になることはできない。
(3) 歴史は「政治的武器」だ。

「歴史認識・評価」は人間が下すものであって、「科学的に正しい歴史認識」がありえないものであることは自明だろう。歴史認識を「正しい」「正しくない」と評価することは価値判断であって宗教と哲学の問題なのだ。そして歴史は「政治的武器」だ。最近の例で言えば「竹島」の領有権を日本と韓国が争っているが、両国とも「歴史的にみて我が国のもの」と主張している。「歴史的に見て**国の領土」と判断された島を他国が占拠したとするなら、それは「侵略」になってしまう。

りっぱな「政治的武器」だ。

そして、人間は「自分は何者であるか」を問い「帰属意識」を持つものなのだ。歴史は回答をあたえる。国民国家にとって国民が歴史を共有することは必要条件だ。

中国は国民国家になろうとしている。国民がひとつの神話を信じなければ国民国家として成立しないのだ。「中国共産党」はその「国民が共有する歴史」(つまり一種の国造り神話)の一部に「抗日」を組みこんでしまったのだ。

中国を「抗日という国造り神話」でまとめようとする限り、中国は日本を滅ぼそうとするだろう。

今日はここまで、

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2005年5月13日 (金)

BLOG を始める。

すこしまえからBLOGをやってみたかった。読むだけでなく、書くことをしてみたかった。だが、何事も思っているだけでは始まらない。BLOGを始めるためには ISPに登録しなくてはならない。

多少とも労力がいるわけだ。そして何より「書くこと」には「多少」ではすまない労力が必要だ。
始めるのを決めたのは(最後に背中をおしたのは)「けなす技術」山本一郎著(ISBN-7973-3077-5)を読んだことだ。(山本氏は毀誉褒貶のある方らしい、この本からもお行儀の良い方とは思えない印象を受けた)

山本氏は言う。 とにかく、書くこと。書きつづければ文章力は上がる。そして書きつづけることで自分の変化に気付くことができる....うーん....もしかして、これは単に日記の効用?....子供の頃に日記を書きなさいって、いわれてたような気がする。
だまされたのかも知れないが、まあいい。BLOGを始めたかったのは確かだし。

どうなりますことやら。


新聞・雑誌・本について 気に入った言葉・なにかひっかかった言葉を書き留めていこう。まずはそれが始まりだ。






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