中途半端でもいいじゃないか
中途半端でもいいじゃないか
「『中途半端でもいいから』が挑戦する気持を育てる」原孝
週刊ダイアモンド 2005/06/04
「特集 息子・娘がニートになる日」の一部、この特集を読んだ印象では「ニートは『自己実現病』かかった贅沢な存在」だ。「生病老死」を知ったとき出家したブッタのようでもある。生活苦から切り離されて育った若者が現実にであったたきに 出家してしまう。ブッタは王子として生まれ、何不自由無く育てられたが「生病老死」にであった時にすぐさま出家してしまう。彼は完璧でないことに耐えられなかったのだろう。
あるとき、ハッとした。米国の若者が書く「長所」は、日本人の私から見ると、どれも「中途半端なもの」にすぎないのだ。たとえコンクールで入選したとか弁論大会で優勝したとかいうものでも、いわゆる「全国大会レベル」のものではなく、小学校のクラス討論で一位になったと言う程度のことでも堂々と書いてくる。
(中略)
「中途半端な総体としての自分を潔く引き受け、他者に中途半端な自分を開示していく」表現法を学ばせている。
世の中の大部分は中途半端な人でできている。大丈夫。中途半端でも仕事はあるし生きていける。「まぁ俺の人生こんなもの」と言いつつ「それなりに楽しいじゃん」と言えればいいのよね。
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