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2005年7月31日 (日)

中国の環境問題

中国の環境問題

重金属汚染広がる 工業化ひずみ 工場周辺農地に被害
http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200507300001a.nwc

日本の経済誌ももっと中国の環境問題について書くべきだよ。

急速な経済成長を続ける中国で、工業化のひずみが表面化している。急成長の大きな柱は重化学工業の進展だが、工場などから排出される重金属などの有害物質が周辺農地の土壌を汚染し、耕作禁止に追い込むところまで深刻化している。
(略)

中国に進出した日本企業がこういった公害問題を起こさないとは限らないし、そのとき中国の法と行政にしたがっていたからと言って免責されないだろうことは容易に想像がつく。こういった事はもっと警告すべきじゃなかろうか?

いまの中国は庶民の生活と自然(環境)を犠牲にして発展しているようにみえる。さて、いつまで発展し続けられるのだろうか?

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愛媛がんばれ!

愛媛がんばれ!

中学歴史教科書 岡山・総社市教委 扶桑社採択を断念 抗議相次ぎ一転
http://www.sankei.co.jp/news/050730/sha040.htm

がっくり、総社市の教育委員会にはがっくりきた。
でも愛媛ではがんばっている。

教科書問題:「戦争美化」に反論−−愛媛1000人委が声明 /愛媛 http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/ehime/news/20050730ddlk38040233000c.html

今年8月の中学校歴史教科書の採択に絡み「教科書を改める愛媛1000人委員会」(宮川康会長)のメンバーが29日、県内の全教委にあてた「採択の際に外部の不当な介入に屈しない」ことを求める声明を発表した。今後、各教育委に提出するという。
声名は、扶桑社の教科書が「戦争を美化している」と言われていることについて、根拠を示していない中傷と批判し「学習指導要領の目標が大切な基準」と主張。その上で「韓国人や中国人まで動員して行われる採択妨害を毅然(きぜん)として排除し、子供達と我が国の将来にとって、最も優れている教科書を採択することに全力を挙げていただくことを要望します」と訴えている。
宮川会長は「子どもたちが、自国への愛情を深められるような教科書が採択されてほしい」と話した。【伊藤伸之輔】

愛媛がんばれ。まけるな!

この記事で大事な点は「韓国人や中国人まで動員して行われる採択妨害」とはっきり言い切っていることだ。もしも、本当に韓国人や中国人が日本の教育に干渉しているなら幕末の不平等条約など比較にならない内政干渉だよ。会長の非難が事実無根なら、これまた とんでもない非難を行なったことになる。マスコミには事実関係の続報をお願いしたい。

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2005年7月30日 (土)

「日本と中国における『西洋』の発見」

「日本と中国における『西洋』の発見」銭国紅
ISBN4-634-64960-8

私は「なぜ、日本は明治維新に成功し近代化し、中国(清)や朝鮮(李朝)は近代化できなかったのか」知りたいと思っている。

19世紀の清は欧米についての情報量で日本に劣ることはないようだ。むしろ、欧米の宣教師が中国語への翻訳や出版を行ない日本は翻訳された書籍を輸入する立場であったように むしろ清の方が情報を持っていたと言って良いだろう。清が近代化できなかったのは、西洋を知らなかったからではない。

では何故なのか。

まず、学ぶ態度の違いである。日本は遣隋使以来の「外国に学ぶ」という態度があった、一方、中国には〜華夷秩序というのだろうか〜自分たちが外国に学ぶものだどないという態度であった。自分たちの文明に自信を持ちすぎていた清は、ロシアに外交使節を送ったとき、西洋式の礼法に則って行なわれたことに面子を傷付けられ、外交そのものに消極的になって行く。日本は外国に行ったときには外国の礼法に従っても面子を傷付けられることはなかった。

また、比較対象の違いということもある。日本は常に先進国(潜在的な脅威)として中国を意識してきた。そのため中国と西洋を比較することができ、西洋がすぐれたているなら、その文物を取り入れることができた。それに対して、中国は外部に(文化的な面での)脅威を持たなかったため、自分自身と西洋を比較するしかなかった。人間にとって他人同士の比較よりも自分自身と他者の比較は難しいものである。この点は同情してもよいのかも知れない。

このような状況のなかアヘン戦争が起きる。そしてアヘン戦争に清は敗れるが、この時も清は危機感を持たなかったようだ。敗れたのは単に兵器の差であると解釈した中国は(兵器については学習しようとしたが)その兵器を生み出した思想と社会制度を評価することはなかったようだ。

社会の仕組を含めた近代化の必要性を実感したのは日清戦争(1894年)にやぶれてからである。日本の明治維新の約25年後のことだ。この時から中国の近代化と西洋の知識の本格的な吸収は始まるといっても良いかもしれない。考えようによっては杉田玄白の解体新書(1774年発行)から約100年の差があると言えるだろう。

さて、現在の中国はどうであろうか?

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2005年7月29日 (金)

日本の戦争責任

日本の戦争責任

「アジアが見た日本」ニューズウィーク日本版  2005/7/20
http://www.nwj.ne.jp/

なまぬるの記事でした。ニューズウイークは左派系の雑誌と思っているので、もっと日本に「反省しなさい!」といった記事かと思っていたが、意外とどっちつかずの記事だ。中国に配慮しつつ東南アジア・南アジアにも目配りしたと言うことだろうか?

オランダ軍を追い払った日本軍をインドネシア市民は大歓声で迎えたと、歴史学者のオンホクハムは言う。イギリス植民地下のシンガポールで日本軍と戦ったインド兵の多くは、独立運動の闘士チャンドラ・ボーズ率いるインド国民軍に参加し、インド国境で日本軍と共闘した。

日本軍が欧米の植民地支配下にあった地域に進出したときに、現地の人々に歓迎されたということは事実であろう。ただし、イラクにおけるアメリカ軍が嫌われ者の支配者を追い出した時点では歓迎されても、たちまち嫌われ者になったように時間がたつにつれ日本軍も嫌われたとしても何の不思議もないと思う。

日本の戦争責任を問うならば、欧米によってアジアが植民地化されていた時代から始めるべきだ。少くともタテマエとしては「日本は(欧米による)植民地支配に反対」し戦争を始めたのだから。少くともイラク戦争を始めたアメリカと同程度には正統性があるはずだ。

そしてマレーシアの方が書いたコラム「日本が超えるべき3つの関門」に以下のような記述がある。

第三に、憲法9条を捨てるべきだ。自力で立ち上がり、自国の領土と世界における国益を自分で守らないかぎり、だれも日本の主張を真剣に受け止めない。

私は憲法9条を廃止すべきだと思っている。東南アジア諸国が日本よりも中国を重視するのは、市場の大きさでばかりはなく最後にたよりになる(共に命を賭けてくれる)存在であると日本が思われていないからだ。平和主義と臆病者は紙一重であることを忘れてはならない。そして、臆病者は暴力を育てる最高の土壌であることも忘れてはならない。

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2005年7月28日 (木)

「私の視点 専門高校への偏見」武田明宏

「私の視点 専門高校への偏見」武田明宏
朝日新聞 2005年7月28日12版 12面

専門高校とは 工業高等学校や商業高等学校のことである。

かつてのテレビドラマにも。工業高校に不良がたくさんいるかのような印象を与えるものがあった。私自身も、16年前、助手として4年間勤務した大学から工業高等学校建築科の教員に転職したが、当初は同じような偏見を抱き、身構えて生徒たちに接したことがある。

著者の工業高校での取組を紹介した投稿だが、著者の出身大学との連携を実施し効果をあげていることを述べている。また工業高校への偏見〜不良が多い〜を解消したいと願ってもいる。

私も工業高校を多少は知る人間だが、著者の取組みの方向に賛成したい。そして、いくつかの意見を述べたい。

まず、私の事実認識を述べる。(1)工業高校に入ってくる生徒達は必ずしも工業高校の各専門科の内容や卒業後の針路に憧れて〜あるいは納得して〜入学しているのではない、ということだ。大学ならば、工学部建築科でもレベルがいろいろあり専門によってランクが決まると言うことはあまりない。工業高校では○○科と○×科で受験の難易度が大きく違う。つまり高校受験のときに内申と模擬試験の結果で自動的に学科を決めた生徒が多いのだ。

(2)生徒と教師の間に超えられない壁がある。中学までは生徒は もしかしたら将来、教師になるかもしれない。しかし、工業高校では、生徒が教師になることは まず無いであろうし教師が工業高校の生徒であったこともまずないであろう。

(3)専門性が低すぎる。工業高校の3年では、教えられる専門知識が少すぎるのではないか。一般教養を無視することもできないので、3年間を全て専門知識の修得と実技に使うこともできない。

つまり「工業高校」という存在は中途半端なのだ。この中途半端な存在であることが「不良」と「中退」を生むのではないかと思っている。

対策として著者の行なっているような、大学との連携のような より専門性を高めることは、正攻法であると思う。高い専門知識を身につけることが出来るのであれば、単純に「自分の成績だとこの学校のこの学科」ということは無くなるだろう。生徒と教師の間の壁も「専門家」としてつきあうことが出来れば突破できるだろう。

高校の3年間では短すぎる。専門知識だけのために1年余計に在学できるような制度が出来ないものだろうか。

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2005年7月27日 (水)

貢献感とニートとフリーター

貢献感とニートとフリーター

「(中)希望のゆくえ 職就かずに夢見続けたい」
朝日新聞 2005年7月27日朝刊 12版 26面

戦後の「自分を大切に」してきたことの結晶が「ニート」「引きこもり」という形で表われたのだと感じた。

私はアドラー心理学に興味をもっていた時期があって「アドラー心理学トーキングセミナー(野田俊作著)」などを、読み耽っていたことがある。アドラー心理学では健康な人格の判断基準の一部に「共同体感覚」「貢献感」をあげている。もちろん、これだけではないのだが、この2つは、アドラー心理学独得のものであるように思う。


「共同体感覚」というのは、自分がより大きな世界の一部であるという感覚です。「自分は○○人」という帰属している感覚に近いけれども、その帰属している対象、つまり共同体がとてつもなく大きい。家族や国家は帰属感を持つ対象としては小さすぎると言っています。共同体感覚の対象としてもっとも小さい共同体は、全世界の人々(いままで生きた人々もこれから生まれるであろう人々も含む)であると言っています。ちょっと宗教がかっていますが。

「貢献感」は共同体に貢献しているという感覚です。

正確に知りたい方には「アドラー心理学トーキングセミナー」を読んで下さい。面白い本ですから。

ところで、この朝日新聞の記事を読んで、何故、アドラー心理学を思いだしたかと言うと、この「ニート」や「フリータ」達は自分を大切にして「自己実現」を追い求めるあまり「貢献感」と「共同体感覚」をどこかに忘れてしまったように感じたからです。自分の夢を追い求めるのは「芸術家」の特権であり宿命です。多くの人々にとっては、社会や家族(その人にとっての共同体)に「貢献」することが「自己実現」なのですが。

「貢献感」を感じることは、人間にとってとても気持の良いものなのですが、現代の日本は若者に「自分を大事に」せよと教えるあまり、「国家に利用される」ことを恐れるあまり、この「貢献感」と「共同体感覚」を味あわせていないように思うのです。

人間は群を造る生き物です。「自分のこと」だけを考えて生きるのは 人間にとって不自然なことなのではないでしょうか。

* * *
もっとも、この記事は朝日らしく「社会」が何か対策を行ない個人がその果実を受けるべき、という論調で「個人の貢献感」は無視されていますが。

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2005年7月26日 (火)

中国暴動の理由

中国暴動の理由

「緊急特集 中国急変〜『沸騰経済の歪み噴出!』」
週刊ダイアモンド 2005/7/30

特集の内容は多岐にわたるが「これは暴動が起こるわけだ」と思ったことを書く。P35の「都市部における所得階層別可分所得の伸び率の推移」というグラフである。このグラフに関係する部分を引用する。

中国政府が価格抑制策を打ち出した最大の理由は、貧富の格差が拡大することをこれ以上、放っておけなかったからだ。特に問題視したのは、同じ都市内部での格差である。三五ページのグラフはそれを示したものだ。九四年には、所得の上位10%と下位10%の層の伸び率の差が、1%しか開いていなかったが、二〇〇三年には、一八%近くにもなっている。

記事中では指摘が無いが このグラフで下位10%の伸び率が2000〜2003年に マイナス1% になっている。下位20%の伸び率も年々下がっており、このままの傾向が続くとすると2006〜2009年頃にはマイナスになってしまう。

中国の統計は不正確だし、このグラフだけで判断できることではないかもしれないが「都市部の下位10%の層」に属する人々は 去年よりも今年の方が生活が苦しくなっているということだ。

貧富の差が大きいだけでは、暴動の理由にはならないだろう。それに加えて、将来へ希望がもてないこと(だんだん貧乏になっている)、富裕層に対する不公平感(あいつらは狡いことやって金持になった)があるとすれば、暴動が頻発しても不思議ではない。そのうちの一つ(生活が苦しくなって行く)をハッキリと見せられたのは 初めてだ。

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2005年7月25日 (月)

もっとがんばりましょう

もっとがんばりましょう

「メディア時評104 ナショナリズム除けの『おまじない』」魚住 昭
ダカーポ 2005/8/3

どうして、左翼というかインテリのひとって、現実を直視することが出来ないのかね〜。頭良いはずなのに。昨日、「靖国問題」(高橋哲哉著)について記事を書いたら、今朝買ったダカーポに「靖国問題」についての記事をみつけて読んだ。あたまがクラクラした。

まず、この人(魚住さん)の視界には「戦争が無くならない現実」と「戦死者を出した家族の気持」が入っていない。「北朝鮮による拉致事件や不審船・工作船」や「中国の原潜による領海侵犯」をどう思っているのか。現実の問題として、いつ「戦死者」を出しても不思議でない世界に日本はある。もし「戦死者」を出してしまったら戦死者の家族や友人に、なんと言うつもりなのだろうか。「私は非武装中立論者、侵略されたときには直ちに降伏するべきだ。戦うことで傷付くのはバカのすること」と思っていらっしゃるのだろうか? あるいは、自分や自分の家族は絶体に戦場に行かないで、戦う者の犠牲の上に暮らすおつもりなのだろうか?

「銀河の荒鷲シーフォート」というシリーズもののSF小説がある。記憶で書いてしまうので正確でない部分があると思うが、こんな話があった。主人公のシーフォートが士官学校の生徒を指揮して異星生物の襲来から太陽系を救う戦闘を行なうのだが、彼は生徒の志願をつのるときに、作戦の危険性やポイント(生徒達の操縦する小型艦隊が囮になって異星生物を罠に誘い込むこと)を説明しない。結果、彼の指揮した小型艦隊は彼の乗艦を残して全滅してしまうが、見事に異星生物を撃退する。作戦実行後、シーフォートは軍事法廷で釈明を求められる。シーフォートが、生徒を騙して作戦を実行したと告白したいと部下に言う、部下は「遺族の気持を考えてください。あなたは、告白して楽になるかもしれません。しかし、遺された家族に『あなたの息子は騙されて殺されたのだ』とおっしゃるつもりなのですか。志願して危険をかえりみずに戦った士官見習生としての記憶ではなく、騙されて死んだ息子として記憶に残るようにするのですか。御自分の気持を楽にしたいのならどうぞご勝手に」といわれてしまう。

靖国問題をしたり顔で語るインテリには「自分が戦う」「自分の家族や友人が戦う」「戦わなければどうなるか」と言った現実の視点が欠けているように思えてならない。

それから、ナショナリズムの起原を二百数十年前としているが、問題なのは「ナショナリズム」や「国家」などと言う言葉ではなく「人間の貢献したいと言う欲求や帰属意識」だよ。これは、人間が文明をつくった瞬間からあることだと思うよ。

最後に少し引用する。

でも、その発症を抑える特効薬はありません。私たちにできるのは、せいぜい病気よけのまじないをすることぐらいです。私は日中関係が極度に悪化しだしたこの春からこんな呪文を唱えています。
「私にとって大切なのは自分の家族であり、友人たちだ。それ以外は東京で暮らす日本人だろうと、北京で暮らす中国人だろうと区別はない。すべて等価なのだ。」

これはナショナリズム(や群れることによる暴走)の害をさけるには正しいけれども、読み方によっては「自己中心的に行動します」と宣言しているようにとられちゃうよ。あなたの生活は「北京で暮らす中国人」よりも「東京でくらす日本人」に多くを依っているわけだから。もっとも、「ナショナリズム(や群れることによる暴走)の害」をさける為には2つしか方法がない。ひとつは徹底的に自己中心的にふるまうことで、もうひとつは「自分の属する群れ(帰属意識の対象)」を徹底的に大きくすることだ。つまり日本人としてではなく「生きとし生けるものすべて自分自身の一部」であると感じるような生き方をすることだ。

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2005年7月24日 (日)

もうすこしがんばりましょう

もうすこしがんばりましょう

「靖国問題」高橋哲哉
ISBN4-480-06232-7

小泉首相の靖国参拝以来、靖国神社について色々と読むようになった。この本もその一冊だが、本質にせまりながら結局、非武装中立論から出ることが出来ないでいる本だ。

この本では「感情の錬金術」と表現しているが、家族の戦死を国家への奉仕として意味付しすることで、悲しみを喜びへと変換するとしている。また、「無宗教の追悼施設」を造ったとしても第二の靖国神社になるであろうことを指摘している。また国家が戦死者を顕彰することの必要性を指摘している。

さて、この本で不足しているものは何か。私は2点指摘したい。(1)人間は、群を造る生き物であり、貢献したいという本能があること。(2)「武力を用いる国家」は依然として存在していること。

国民国家として成立するためには「国民」〜自分は○○国の国民であると自国に帰属意識をもつ人々〜が必要だ。著者は、属する集団に貢献したいと感じるのは人間としての本能の一部であり、また貢献したときに喜びを感じるものであることに気付いているようには見えない。著者の言う「感情の錬金術」とは、払った犠牲を「集団への貢献」と認めることに他ならない。これは特別なことではない。ちょっとした仕事でも「助かったよ、ありがとう」と認められることは、報酬が支払われるのと同じように大事なことだ。チームで仕事をしている人は誰でも経験していることではないか。著者は靖国神社(や諸外国の同様の施設)を特別視しすぎる。

この本の後半では、靖国神社的なものを無くすためにどうすれば良いか論じているが、出した答えは、非武装の戦争を行なわない国家になること である。これは、問い(靖国神社的なものを無くす)に対して正しい答えであるが、非現実的な答えであることに気がついているのだろうか。平和ボケした人間以外の誰がこの答えに有用性を認めるだろうか?

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2005年7月23日 (土)

訳がわからん教科書訴訟

訳がわからん教科書訴訟

教科書採択で570人提訴 中・韓国人ら愛媛県相手に
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK&PG=STORY&NGID=soci&NWID=2005072201005388

「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史、公民教科書(扶桑社版)の採択をめぐり、公正が確保されず適正な手続きが行われていないとして、韓国人や香港在住の中国人ら577人が22日、愛媛県などを相手に、来春使用する教科書採択の対象からの排除や1人当たり1000円の損害賠償を求める訴えを松山地裁に起こした。
訴状によると、扶桑社は昨年7月以降、検定合格前の申請本70冊を19都府県の教員らに貸与したり閲覧させたりした。原告は、大量配布は教科書の売り込みが目的で、教科用図書検定規則に違反すると指摘。県教委が扶桑社版を採択対象から除外しないと、結果として優遇することになり、教育基本法や独占禁止法に違反すると主張。
侵略戦争を美化する教科書が採択されれば精神的苦痛を受けるなどとしている。

ごめん、理解できない。なんで中国人や韓国人が(仮に問題があったとしても)日本の教科書検定によって不利益を被るの。もし教科書に問題があって精神的苦痛を受けるのだとしたら中国の教科書によって日本人が受けた苦痛は中国人の比ではないよ。中国の教科書(の日本語訳)を読だことがあるけどね。

左翼の人に聞きたい。日本を中国のような国にしたいの? 中国の庶民の生活を日本の庶民にさせたいの? 支持者に中国の失地農民のように暴動を起こしてもらいたいの?

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2005年7月22日 (金)

冷静な中国

冷静な中国

「2005/7/22 中国内での現状認識」21世紀政策研究所 田中直殼
http://www.21ppi.org/index.html

もう一つ、中国の人で複数の人が言ったことなのですが、現在ただいまの中国共産党首脳部は、中国経済の台頭というかたちで急速な歴史的な台頭が起きているという認識は誤りだ、ということを中国国民に少しずつ教えていくといいましょうか、そういう教宣活動をする方向に舵取りをした、というのです。

え? って感じ。中国のスポークスマンって「威張っていなきゃ死んじゃうんじゃないか、この人」と思わせる記者会見やコメントをしている印象があるけれども、中国首脳部はそうじゃないのね。

もう一つの、日本から中国への直接投資が抑制されるのではないかというテーマです。これは、これまで中国の経済発展は非常に目覚しいものなのですが、GDPのうち4割を越える部分は海外からの直接投資、要するに外国企業が中国にもたらした経済活動によって支えられている、このことは中国政府はもう嫌というほど知っています。そしてそのことを国民に認識させるようなある種の運動も最近では始まっています。

確かに「GDPのうち4割」を外資に依存しているようではね。けれども、経済的理由で小学校にも行けない子供がいるのは何故。小学校レベルなら教育費ってほとんど人件費でしょうに。日本の明治時代の教育の役割について学習しましたか>中国さん。もっとも、江戸時代から寺子屋の伝統があった日本と比べるのは乱暴かもしれない。

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2005年7月21日 (木)

民主国家・国民主権の国家にとっての「拉致事件」の重み

民主国家・国民主権の国家にとっての「拉致事件」の重み

6か国協議再開へ 米・中・韓が水面下で狙う北の鉱物資源
YomiruiWeekly 2005/07/31

一年あまり中断していた、北朝鮮の核問題をめぐる6か国協議が、7月下旬にも再開されることが決まった。北朝鮮が再開に応じたのは、国際社会の圧力をかわす「時間稼ぎ」の可能性も高く、協議で、日本が重視する拉致問題の解決は見込めないとの見方が強い。さらには、「経済利権」をねらって動いている、との観測さえあるのだ。

ふ〜、と溜息をついてしまうような記事である。内容がおかしいというのではない。現実に溜息をついてしまう。今回の6か国協議は拉致事件の解決には結びつかず 結局 北朝鮮の地下資源をめぐって米・中・韓と北朝鮮の妥協が成立し日本だけが蚊帳の外におかれ経済援助を行なわされることになる可能性さえあると言う記事だ。

中国や北朝鮮のような階級社会にとって、拉致された人々は「一種の資源」であろう。だが日本にとっては「家族」であり「仲間」である。妥協出来ることではないのだ。北朝鮮の地下資源などアメリカでも中国でも奪るがよい。だが、日本は拉致された人々をとりもどさなければならない。小泉さん、ブッシュさん、民主国家にとって「国民が拉致」されることの重みを知っているよね。

それから、日本は資源が無くても繁栄できることを実証した。私は、経済的にはむしろ地下資源など無いほうが良いとさえ思っている。ヘタに自国の地化資源に縛られないほうが経済的には効率がよいのだ。北朝鮮の地下資源など どうでも良い、拉致された人々が帰ってくるか来ないかそれだけだ。

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2005年7月20日 (水)

国内政治に海外勢力を利用するな。

国内政治に海外勢力を利用するな。

愛媛・松山…反対派、韓国から“運動団体”「友好関係の政治利用」…知事、市長ら痛烈批判
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/text/050717text.html

松山市には先月三十日、韓国の友好都市・平澤(ピヨンテク)市から市民訪問団十人が訪れた。松山市と市教委、愛媛県、県教委に扶桑社版教科書の不採択を求める要請書を渡す手はずだった。しかし、県教委は「採択に関する面会には応じられない」と拒否。松山市と市教委も、企画官一人だけが面会。訪問団は記者会見して“非礼”をなじった。友好都市の市民を迎えるにしては冷淡な対応に映るが、この訪問自体、特定県議や県内の政治活動家らが訪韓して要請したものだった。
(略)
阿部県議らの行動に対して、中村市長は「自らの政治目的を果たすために外国を刺激し国内に影響させるやり方が果たして真っ当か」と言い、加戸知事も「政治家として不見識」と痛烈に批判する。

呼ばれて他国の教育に口をつっこむのもどうかともうが、自分の政治的な理由で海外勢力を呼び込むのは植民地化への第一歩だよ。幕末の日本人を見習ってほしい。薩長も幕府も金を払って武器を買うことはしたけど、呼び込みはしなかった。それは明治維新の成功の理由のひとつだよ。特に「負け組」幕府方の痩せ我慢には敬服する。

それとも「韓国の友好都市・平澤」韓国に友好都市を持つことは教科書にまで気をつかって、おつきあい申し上げないとならないのかね。

ところで、阿部県議は Web ページを持っている。(阿部悦子と市民の広場悦子の日々便り )比較的更新されているようなので、この件についても記事がのることを期待している。阿倍県議の意見も是非読んでみたい。

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2005年7月19日 (火)

久し振りの日教組

久し振りの日教組

小泉首相らの言動を非難/日教組委員長が大会で
http://www.shikoku-np.co.jp/news/news.aspx?id=20050718000114

日教組の森越康雄委員長は18日、東京都内で開かれた定期大会で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題や中国、韓国に対する政治家の発言を「反省のない人ほど鼻持ちならない。敗戦から60年、意見の違う国や人たちと冷静に話し合う覚悟があるのか」と非難した。

「反省のない」のは日本よりも「中共」でしょうが。

日教組のニュースを久し振りに聞いたきがする。小泉首相へのピント外れの非難といい時代錯誤の左派の意見だね〜。できれば定期大会の演説(基調講演?)を読んでみたいのだけど、 ここ (http://www.jtu-net.or.jp/)にもないし。どこかにないかしら。


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2005年7月18日 (月)

艦名「独島」に思う

艦名「独島」に思う

少し古いニュースだが韓国の大型輸送艦に「独島」と命名した。

竹島の韓国名「独島」を艦名に、大型輸送艦が進水
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050712i513.htm

韓国海軍は12日、日本の竹島の韓国名「独島」を艦名にしたアジア最大級の大型輸送艦「独島艦」(1万4千トン)の進水式を、釜山で行った。

竹島問題について韓国は実効支配を行なっているという有利な立場にあるのだから、こんな日本を刺激するようなことをする必要はないのに と思う。韓国は実効支配を少しでも(静かに)長く維持し、日本に忘れてもらうのが最善の戦略だと思うのだが。こんなことをすれば、日本の世論が竹島問題を忘れるのが遅れるだけだよ。

国内にばかり気をつかうと足をすくわれてしまうよ、韓国さん。

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2005年7月17日 (日)

「朝鮮紀行」と「日本奥地紀行」まとめ

「朝鮮紀行」と「日本奥地紀行」まとめ

私は朝鮮併合の前の朝鮮の状況を知りたいと思い「朝鮮紀行」を読みはじめた、そして「ものさし」としての期待から「日本奥地紀行」を読みはじめた。心に残ったのは(「朝鮮紀行」と「日本奥地紀行」の形式の違いから比較することは出来ないのかもしれないが)「日本奥地紀行」での日本文化に対する記述の多さと朝鮮の政府・行政に対するイザベラ・バードの絶望である。もし、私と同じような理由でこの2冊を読むなら、「日本奥地紀行」から読まれることをお推めする。イザベラ・バードが経験した順に読んだほうが彼女の経験を追体験できるような気がするからだ。

イザベラ・バードは日本と朝鮮の全てを見た訳でもないし、見たものを全て記述した訳でもないだろう。それでも、この2冊の記述は多岐にわたる。この本から引用して何かを述べることは、(多くのなかから一部を選ぶという行為によって)自分自身の価値観をさらす行為でもあるのだろう。この2冊の本は読む価値があった。そして、もっと19世紀の東アジアの状況を学びたいと思った。最後に「朝鮮紀行」から引用して終りにしたい。

朝鮮紀行 P563  第三十七章 最後に

今日の朝鮮人は何世紀にのわたる弱い立場の産物であるとはいえ、それでも朝鮮で一年近くすごし、そこに住む人々をおもな研究対象とした結果、私は一八七十八年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。

I  朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
II  国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。

おしまい

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2005年7月16日 (土)

「朝鮮紀行」その4

「朝鮮紀行」その4

先程「日本奥地紀行」を読み終えた、「朝鮮紀行」昨晩(今朝?)読み終えた。

この本について「だから、この本からの引用が気になった方には、この本を通読することをお推めする。」と書いたが、この感じは変わっていない。読む価値のある本だ。さて、気になったところを引用しつつ感想を書く。

日清戦争(1894〜1895)当時の朝鮮半島での日本軍に関する記述。

朝鮮紀行 P371 第二十四章

ここをはじめ平壌までのどの郡庁所在地でも20人から30人の日本兵が庁舎に寝起きしていた。住民たちは三世紀前の遺産である憎しみから日本兵を嫌っているが、彼らに対してはなにも言えないでいる。日本兵がきちんと金を払ってものを買い、だれにも危害を加えず、庁舎の外にはめったに出て来ないことを知っているからである。

朝鮮紀行 P373 第二十四章

その日私達は三件の葬列に出会い、道路いっぱいに広がっていた日本の分遣隊が右と左に一列縦隊となって葬列を通すのを見かけた。遺体が通るとき、兵士たちは帽子に手をかけて見送っていた。

朝鮮紀行 P441 第三十章

慈山でもほかと同様、人々は日本人に対してひとり残らず殺してしまいたいというほどの激しい反感を示していたが、やはりほかのどこでもそうであるように、日本兵の品行の良さと兵站部に物資をおさめればきちんと支払いがあることについてはしぶしぶながらも認めていた。

日本が嫌われていたことは確からしい。しかし「日本兵の品行の良さ」と「日本兵がきちんと金を払ってものを買」うことをイザベラ・バードはなぜ記述したのか。

朝鮮紀行 P432〜433 第二十八章

気候はすばらしく、雨量は適度に多く、土壌は肥え、内乱と盗賊団は少いとくれば、朝鮮人はかなり裕福でしあわせな国民であってもおかしくない。もしも「搾取」が、役所の雑卒による強制とりたてと官僚の悪弊が強力な手で阻止されたなら、そしてもしも地租が公平に課されて徴収され、法が不正の道具ではなく民衆を保護するものであったなら、朝鮮の農民はまちがいなく日本の農民に負けず劣らず勤勉でしあわせなになれるはずなのである。
(略)
旅行者は朝鮮人が怠惰であるのに驚くが、わたしはロシア領満州にいる朝鮮人のエネルギーと勤勉さ、堅実さ、そして快適な家具や設備をそろえた彼らの住いを見て以来、朝鮮人のなまけ癖を気質とみなすのは大いに疑問だと考えている。朝鮮じゅうのだれもが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食をまかなう以上のものを持てば、貪慾で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っているからである。
(略)
搾取の手段には強制労働、法廷税額の水増し、訴訟の際の賄賂要求、強制貸し付けなどがある。小金を貯めていると告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと言ってくる。貸せばたいがい元金も利子も返済されず、貸すのを断われば罪をでっちあげられて投獄され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり笞で打たれる。

つづく.....

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「朝鮮紀行」その3 と「日本奥地紀行」その2

「朝鮮紀行」その3 と「日本奥地紀行」その2

「朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期」イザベラ・バード著 時岡敬子訳
ISBN4-06-159340-4

「日本奥地紀行」イザベラ・バード著 高梨健吉訳
ISBN4-582-76329-4

日本は(現代においても、そして世界中のどの国においても)全ての人々が物質的に恵まれているわけではない。この記述は鬼怒川の近くの(イザベラ・バードの従者&通訳の)伊藤もまったく知らなかった貧しい村のようすである。

日本奥地紀行 P146 第11信

仕事中はみな胴着とズボンをつけているが、家にいるときは短い下スカートをつけているだけである。何人かりっぱな家のお母さん方が、この服装だけで少しも恥しいとも思わずに、道路を横ぎり他の家を訪問している姿を見た。幼い子どもたちは、首から紐でお守り袋をかけたままの裸姿である。彼らの身体や着物、家屋には害虫がたかっている。独立勤勉の人たちに対して汚くむさくるしいという言葉を使ってよいのでものならば、彼らはまさにそれである。

そして美しいほど清潔な都市もある。以下は新潟市についての記述である。

日本奥地紀行 P195 第16信

ここには美しい料亭が多いので有名であり、遠くの地方から訪れてくるものが多い。また劇場が立派で、この町は娯楽の一大中心地となっている。町は美しいほどに清潔なので、日光のときと同じように、このよく掃ききよめられた街路を泥靴で歩くのは気が引けるほどである。これは故国のエディンバラの市当局には、よい教訓となるであろう。藁や棒切れが一本でも、紙一枚でも散れば、たちまち拾いあげられてしまう。

イザベラ・バードは日本の行政機構を基本的には信頼しているようである。対して李氏朝鮮の行政機構は評価していないようだ。

朝鮮紀行 P211 第十二章

作物は整然と植わっており、畦や灌漑用水路も良く手入れされている。日本と土壌が良くにているのであるから、しかも気候は日本よりもはるかによく恵まれているのであるから、行政さえ優秀で誠実なら、日本を旅した者が目にするような、ゆたかでしあわせな庶民を生みだすことができるであろうにと思う。

そして以下は沿海州のロシア支配下の朝鮮人に対する記述である。

朝鮮紀行 P307 第十九章

朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。ところが沿海州でその考えを大いに修正しなければならなくなった。みずからを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警官や軍人から勤勉で品行方正だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。

つづく....

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2005年7月15日 (金)

「朝鮮紀行」その2 と「日本奥地紀行」その1

「朝鮮紀行」その2 と「日本奥地紀行」その1

「朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期」イザベラ・バード著 時岡敬子訳
ISBN4-06-159340-4

「日本奥地紀行」イザベラ・バード著 高梨健吉訳
ISBN4-582-76329-4

「朝鮮紀行」を読み終えていないのに「日本奥地紀行」に手を出してしまった。そして両方とも読みながら記事をかきたくなってしまった。題名が安直であることには気がつかないように。

ところで、イザベラ・バードが日本を旅したのが 1878年(明治11年)で朝鮮を旅したのが1894年から1897年にかけてである。十数年の時間差があること、記述の形式の違い、記述する期間の長さの違いも忘れないようにしないと何を比較し何を知りたいのか判らなくなってしまう。

朝鮮紀行 P55  第二章 首都の第一印象

私は昼夜のソウルを知っている。その宮殿とスラム、ことばにならないみすぼらしさと色褪せた栄華、あてのない群衆、野蛮な華麗さという点では他に比類のない中世風の行列、人で込んだ路地の不潔さ、崩壊させる力をはらんで押しよせる外国からの影響に対し、古い王国の首都としてその流儀としきたりとアイデンティティを保とうとする痛ましい試みを知っている。が、人ははじめからそのように「呑み込める」ものではない。一年かけてつき合ったのち、わたしはこの都を評価するにいたった。

朝鮮紀行 P59  第二章 首都の第一印象

城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へいくまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!

うーん、こんな引用のしかたでは「嫌韓」のプロパガンダではないか。しかし「日本奥地紀行」でもイザベラ・バードは蚤になやまされているとは記すものの、(第10信までには)これほどキツい表現は出て来ない。それよりも日本の街並について、このように記している。

日本奥地紀行 P29 第1信

日本の大通りは、イギリスの忘れられた田舎町によく見られる上品で立派な大通りと変わりはないのだが、かれらはそれに似合わぬ自分たちのおかしな姿に、少しも気がついていない。車は疾駆し、追いかけ、互いに交叉する。

彼女の(日本人の体型に対する)偏見を差し引けば、日本の街並がイギリスの上品な田舎町に似ている、つまり、彼女にとって(それほど)不快ではない場所であるように読める。(老婆心ながらご注意申し上げると、車とは人力車のことで自動車ではない。お間違いのないように)

つづく......

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2005年7月14日 (木)

「朝鮮紀行」その1

「朝鮮紀行」その1

「朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期」イザベラ・バード著 時岡敬子訳
ISBN4-06-159340-4

この本と同じ著者の「日本奥地紀行」も読むつもりである。読もうと思った理由は後述するが、この2冊を読み切るまでに時間がかかりそうなので、読みおえた部分から記事にしていこうと思う。2冊とも読み切ったら纏めの記事を書きたい。

この本を読もうと思ったのは「当代江北日記」 というサイトのこの記事  この記事 を読んだからである。イザベラ・バードの名は「2ちゃんねる」などで眼にしていた。この本からの引用がプロバガンダの材料のように使われていたので「と」系の人物と本であるように感じていた。「当代江北日記」さんは「やや左派の良質なサイト」あると評価している。そこで言及され「2ちゃんねる」での評価と全く違う日本と朝鮮への評価がなされていた。

それで、読んでみようと思ったのである。

さて、私の読んでいる本は講談社文庫版のものであるが、この本は(私の知る限り)2種類の翻訳本があり「当代江北日記」で言及されたものは平凡社が出版したものである。平凡社のもの は翻訳者の名前から推理すると朝鮮の人が翻訳したものと思う。

さて余計な前説はこれくらいにする。

まず、この本(朝鮮紀行)の内容は、多岐に渡っている。李氏朝鮮を四度旅し朝鮮半島から沿海州まで足を延ばしている。時には日本にも立ち寄っている。だから、「嫌韓」の側からも「親韓」の側からも都合の良いところが見つかるということだ。この本を引用してどちらの側からも都合の良いプロパガンダが書けるだろう。この本からの引用には用心せねばならない。

だから、この本からの引用が気になった方には、この本を通読することをお推めする。李氏朝鮮と朝鮮人・日本人を一人のイギリス婦人がどの様に見ていたか理解できるような気がする。まだ読了していない私には言う資格がないのかもしれないが。

さて、この本を引用している場合は用心せよと書いたので安心して引用する。

序章より(P29)

手工業は不振である。最上の生産物はコウゾでつくる数種の紙で、そのうち油紙はベラム革のような見かけをしており、人をその上に載せて四すみをもちあげられるほどじょうぶである。その他上質のござ、竹製のすだれがある。
美術工芸はなにもない。

いきなり「美術工芸はなにもない」かい!

*  *  *

訂正しました

  誤)「日本奥地紀行」を
  正)「日本奥地紀行」も

  誤) 多岐に渡りっている
  正) 多岐に渡っている

  誤) 〜じょうぶである。
  正) 〜じょうぶである。その他上質のござ、竹製のすだれがある。

  誤)李斯朝鮮
  正)李氏朝鮮

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2005年7月13日 (水)

今度は都市部で

「外銀の投資熱で中国は銀行バブル」ジョージ・ウェアフリッツ
ニューズウィーク  2005/7/20
http://www.nwj.ne.jp/

中国の銀行 侮り難し、というか大丈夫か。

だが、中国の銀行の問題は、世界の金融史上でもきわめて特異なものだ。中国の銀行のある外国人顧問が発見した融資の審査書類は、政治的な道具に使われる銀行の姿を端的に示している。そこには、次のように書かれている。

■目的 暴動を起こしている農民への融資
■返済の資金源 不明
■承認理由 (空欄)

この審査結果で、実際に融資が行なわれた。つい昨年のことだ。

えっと「暴動を起こしている農民への融資」って何? 返済の資金源が不明で良いの? 多分「失地農民」への補償なのだろうけど....騒ぎがおさまって、時間がたって「貸し付けた」農民の中からビジネスに成功した人がでてきたら そこから「回収」するつもりなのかしら。

国営新華社通信が先週伝えたところによると、5月にゴルムドの住民数千人が七つの銀行を占拠する事件があった。地元の信用組合の一つが、資金難から預金の払いを戻しを拒否したのが発端だ。新華社によると、中央政府が預金者に包囲された銀行を閉鎖するまで、取り付け騒ぎは2日間続いた。危機打開のため、中国政府は不良債権比率がすでに96%に達していた信用組合に、900万ドルの資本注入を行なったという。

不良債権比率が96%なら、預金の払い戻しにもこまるよね。預金が引き出せないんじゃ取り付け騒ぎも起きるわな。

ゴルムドってチベットのラサの近くみたいね、今度は都市部でよろしく。

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2005年7月12日 (火)

岡田さんが保守中道?

岡田さんが保守中道?

安倍氏なら戦いやすい ポスト小泉で民主・枝野氏
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=poli&NWID=2005071201005283

民主党の枝野幸男憲法調査会長は12日午後、共同通信加盟社の論説研究会で講演し、ポスト小泉純一郎首相について「(岡田克也代表とのイメージを)差別化できる方が戦いやすい。安倍晋三自民党幹事長代理なら明確に差別化できるので一番よい」と述べた。タカ派的なイメージの強い安倍氏なら、“保守中道路線” の岡田氏と対比を鮮明にできるとの認識を示したものだ。
さらに「一番嫌なのは谷垣禎一財務相。岡田氏との関係で(イメージが)差別化できない」と指摘した。
次期衆院選への対応では「首相候補である岡田氏とそのメッセージをパッケージで示し、自民党の安倍さん、谷垣さんらとの違いを出していく」と強調した。

日本に足りないのは「意」だ。人間には、知識・知恵の「知」 感情・情緒の「情」 意志・意見の「意」の3つが必要だ。「知」も「情」も日本にはある、足りないのは「意」だ。日本の政治家でもっとも「意」を持っている政治家が安倍さんだと思う。岡田さんは「恒久平和を祈念して靖国に行くと説得できなかった小泉首相には、自らの判断で参拝を取りやめるか、総理を辞めるかという選択肢しか残っていないように思われる」と述べるように説得できなければ 相手国の意志に従うという弱い意志の持ち主だよ。それが民主党では「保守中道路線」なのか....

岡田さんを「親中左派」と思っていたので、民主党では「保守中道路線」であることに正直おどろいたが、それは私の修業が足りないと言うことらしい。

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2005年7月11日 (月)

日本をもっとパクろう

日本をもっとパクろう

「模倣される日本ー映画、アニメから料理、ファッションまで」浜野保樹
ISBN4-396-11002-2

「世絵はマンガへと進化した」で、この本の書評を読んで記事を書いてしまった。なんとなくこの本のことが気になっていたので、先日、書店で見かけたとき思わず買ってしましまった。

前半には「世絵はマンガへと進化した」で書いたように日本のアニメを始めとする文化が模倣されているか 実例を上げて述べられている。だが、著者はこの部分よりも むしろ後半の日本の文化の現状についての愁いについての部分の方が言いたかったのではないかと感じだ。

まず「オリジナルとコピー」、オリジナルを知ってしまった人間はコピーでは満足できなくなる。アメリカのメジャーリーグと日本のプロ野球がこの関係ではないかとしている。実際 イチローや松井がMBLに行ったあとのプロ野球の現状をみると「コピーはオリジナルにかなわない」ということが良く判る。プロ野球が「真のワールドシリーズ」をやりたい理由はここにある。サッカーはワールドカップがあるおかげで「弱いかもしれないが本物」という扱いを受けている。日本の金持が「舶来物」を欲しがることを嘆いてもいる。そしてもう一つ、戦後日本が直面した文化の断絶である。占領軍(GHQ)の指示により歌舞伎や剣道なと日本文化は断絶の危機に直面した。幸にもアメリカに日本文化の理解者がいたため、断絶することはまぬがれた。

さて、私達は日本文化を継承しているとはいえ失っているものも多い。私自身、神社のお参りの作法を親からの伝承ではなく本で学んだのである、大したことではないかも知れないが。躰の使い方(しぐさ)、お祭りや年中行事の縁起についても学びなおしたい。そして日本文化のおいしいところをパクろうと思う。ビジネスではなくアートとしてならば「パクられる」ことは最高の称讃なのだから。

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2005年7月10日 (日)

アメリカさん、やっと気がついた?

アメリカさん、やっと気がついた?

日本は憲法改正し軍事面で「普通の国」に 米誌、論文を掲載
http://www.sankei.co.jp/news/morning/10int002.htm

同論文は日本が軍事的により積極的となれば、中国の覇権への野望を抑え、東アジアの安定に寄与するとし、

太平洋戦争でアメリカは何を得たのか? 何も得ていないのではないか。日本がハワイを奇襲し太平洋戦争が始まったのだが、ルーズベルト大統領は戦争をしたがっていたとも言われている。アメリカは太平洋戦争で何を欲しがっていたのか? 建前としては中国大陸に対する日本の侵略を止め中国の人権状況を改善することであったろう。本音は中国大陸の利権であろう。

太平洋戦争の結果 アメリカは何を得たのか? 中国大陸から日本を追い出すことには成功した。しかしアメリカは利権を得られなかった。日本による抑圧はなくなった。しかし中国の人権状況は改善しなかった。アメリカが得たのは「冷戦」であった。日本が押し止めていたロシア(ソ連)の南下に直面した。中国はソ連と手を結び、アメリカは(日本に替って)ソ連と中国の圧力に対峙することになった。

そして60年後、日本に「中国に対するカウンターパワー」であることを期待している。60年前に その事に気が付いていてくれたら太平洋戦争はなかったのだが....

日本はこの機会を上手に使い アメリカからの独立を完成させるべきだが 60年前の教訓を忘れてはならない。

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2005年7月 9日 (土)

歴史は道徳 歴史はメッセージ

歴史は道徳 歴史はメッセージ

「『正史』はいかに書かれてきたか〜中国の歴史書を読み解く」竹内康浩
ISBN4-469-23183-5

日本にとって「歴史は学問」であるが、中国にとって「歴史は政治」でることは知っていた、だがこの本は中国にとって「歴史は道徳」「歴史はメッセージ」でもあることを教えてくれた。

歴史はメッセージであることを示した部分を引用する。

愚かな主君を諌めようとした賢人宰相の趙盾は、主君から嫌われ命を狙われて逃亡する。ただし、彼が国境を超える前に別の人物によって主君は殺され、彼は引返す。戻ってみると、記録係は「趙盾が主君を殺害した」と記録して、朝廷内に告示している。我が身一つで亡命していた趙盾に主君殺害が可能なはずはなく、当然彼は「事実ではない」と抗議する。しかし記録係である董狐の言うことには、この事件の責任を負うのは国の宰相たる趙盾よりほかにない。そのことを明らかに示さねばならぬ、というのであった。

現代に住む我々からは「事実を事実として記録し、そののち批判する」という精神はないように見える。「言いたいことを言うために、事実を歪曲している」ように見える。が、中国の文化の中では正しい書法にしたがった文章ということだ。中国の文化では、「表現したいこと、伝えたいこと」をこのような形で表現するのが正しい書法であるようだ。もう少し引用する。

それゆえ、実際の下手人の名を挙げて「趙穿、其ノ君ヲ殺ス」と書いたならば、それは過去に起こった単なる事実を示したことにしかならない。しかし、「趙盾、其ノ君ヲ殺ス」と書いたならば、事件の本質的な責任の所在と、事件後の秩序回復がまだなされていないことを併せて示すことが期待されるというのである。これがその書法の言わんとするところである。

著者は現代中国がこの書法を保持しているとは書いていない。しかし 私には現在も このような書法のような表現方法を採っているように思われる。

ところで最近、 中国社会科学院近代史研究所で「中国は日本の侵略戦争によって14年間に5千万人が殺害された」と発表があったそうだ(ソースは韓国語の聯合ニュース)。これを、中国的書法に従って解釈すると「日本は反省がたりない」と言うことだろうか。中国で日本軍が殺害したとされる人数は 最近まで「3000万人」であったが、今回「5000万人」に修正された。人数が多ければ罪も重いであろう。人数を増やしていくことは、中国側からするとより大きな声で言っているのと同じでことあろう。残念ながら、日本人には理解しがたい書法であるのだが。日本は(真に受けて)最初は驚いたが、最近は「あきれて」いるように見える。もっとも、あきれているだけでは 中国の言うことが真実になってしまう。日本には淡々と反論し続けることが必要だ。

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2005年7月 8日 (金)

撤退するなら突然に

撤退するなら突然に

ロンドンで爆彈による同時テロがあった。ところで、こんな記事を読んだばかりだった。

英国防省、イラク撤退を計画 英紙が報道
http://www.asahi.com/international/update/0705/005.html

英国の国防省がイラクからの英軍の大規模な撤退を計画していると、英紙フィナンシャル・タイムズ(電子版)が4日報じた。

イラク駐留軍、英国防省が半数撤退案・英紙報道
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050705AT2M0500K05072005.html

5日付の英紙フィナンシャル・タイムズは、英国防省が来年4月までにイラク駐留英軍の約半数を撤退させる計画の草案を作成したと報じた。

英国は第一次大戦前からイスラム諸国に深くかかわり、イスラエル建国にあたっては2枚舌外交と非難されるようなこともあった。中東で事件があったとき英国は無縁の立場ではいられない。ましてイラク戦争をアメリカと共に戦ったのであれば テロの対象になることを英国政府は覚悟していたであろう。

さて、スペインで2004年3月に起きた列車爆破テロを思いだす。このときは総選挙の直前だったのだが、総選挙の争点のひとつがイラク戦争の是非・撤退するか否かであった。そして今回、英国がイラクから撤退するかも という報道があった直後のテロである。こういう報道が日本でなされるということは暫く前から撤退の是非が議論されているのだろう。

こういう状況を見て「ここでテロを行なえば 撤退する可能性がある」とテロ組織に思わせてしまったのではないかと思ってしまう。

日本は英国ほど中東にコミットしてないし、イラクに自衛隊を出しているとは言え、戦闘行為は行なっていない。ねらわれる優先度は英米にくらべはるかに低いであろう。だが、アメリカの大事な同盟国であることには違いない。もしも「ここでテロを行なえば 撤退する可能性がある」ような状況になれば、攻撃の優先順位は上がるだろう。

だから「撤退するなら突然に」である。

民主主義体制の国家にとって政策を議論しないことはできない。だがらイラクからの撤退するか否かを議論することは避けられない。議論しつつ「テロを行なえば撤退する」と思わせないことはどうやったらできるのだろうか。

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2005年7月 7日 (木)

まともな教科書をえらぼう

まともな教科書をえらぼう

朝日新聞:教科書巡り14県が請願採択 歴史関係が大半 本社調査
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200507060352.html

来年4月から中学校で使う教科書について、6月下旬段階で47都道府県議会のうち14県議会が住民からの請願を採択していることが朝日新聞社の調査でわかった。

前回の採択よりも 教科書への関心が高まっているし、中国・韓国・北朝鮮のおかげで日本の正しさが認識されたとことは とても素晴しいと思う。教育の専門家である「教職員組合」さん、民衆の代表の県議会の判断を尊重してくださいね。教育委員会に専門家として意見を述べるの良いけれども、御自分の政治信条と価値観を「県議会の採択」よりも重いものだとは思わないよね。この民主主義の国で。

市段階では、6月24日に新潟市議会、昨年12月には大津市議会でも採択されるなど、請願採択の動きは市町村議会にも広がってきている。

ますます素敵!

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2005年7月 6日 (水)

中華人民共和国は国家なのか それとも王朝なのか

中華人民共和国は国家なのか それとも王朝なのか

中国全土で農民暴動頻発 土地強制収用に抗議
http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200507050009a.nwc

中国各地では、中央政府が原則的に禁止している開発目的の農地収用が絶えず、補償が不十分なこともあって農民の抗議活動が頻発している。土地を失った農民は全国で4000万−5000万人で、毎年200万人のペースで増加している。土地収用は、地方政府幹部と開発業者が結託し、実質的に農地をだまし取る例が多いといわれる。

中央政府が地方政府をコントロール出来なくなっているのではないかと心配してしまう。3日に2回暴動が起きている 状況で「中国各地では、中央政府が原則的に禁止している開発目的の農地収用が絶え」ないのでは、中央政府の現場をコントロールする能力に疑問を感じてしまう。

清朝末期のように中央政府が力を失いつつあるのかもしれないが、中国と言う国は「3日に2回の暴動(半年で130件の暴動)」と言うのが正常な状態なのかもしれない。北京オリンピックまでに どちらなのか判るだろうと思う。

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2005年7月 5日 (火)

魔都上海

「魔都上海」劉建耀
ISBN4-06-258186-8

1845年 上海の租界が始まった。そして第2次大戦頃までの約100年間存在した近代西洋と中国の伝統文化の混血児が「魔都上海」である。「魔都上海」うーん。「租界」「阿片窟」「妓館」 その時代に生まれたら男なら行ってみたくなる響だよねぇ。

この本は、1845年頃から第一次上海事変頃までの上海の歴史を文化的な側面とそれが日本に与えた影響についての論文と言ってよいだろう。文章はやや硬いが面白く読み進むことができた。

1845年 アヘン戦争に勝ったイギリスは上海に租借地をみとめさせる。それが上海の租界の始まりであるが租界は「風紀の乱れた場所」というイメージで捕えるのは一面的にすぎるようだ。上海にできた租界は欧米諸国にとって 商業基地であると同時にキリスト教を布教するための情報発信基地でもあった。キリスト教を布教するために宣教師たちは聖書を翻訳するのみではなく 西洋の学術書を翻訳し西洋の制度や政治を紹介する雑誌を出版していた。

これらの漢籍は日本にも輸入されていた。江戸時代の日本は「鎖国」をしているようでいて意外と海外の情報は入っていたのだ。その一部は上海で翻訳・出版された漢籍であった。
幕末になると書籍を輸入するのみならず多くの日本人が上海を訪れることになる。上海を訪れた日本人は西洋近代と半植民地化した租界を経験したのだ。この上海体験は明治維新への大きな力となった。

明治維新が成功し近代日本が成立すると「整って窮屈な日本」vs「自由と渾沌の上海」という構図が出現する。近代と中国の混血都市、清の中の独立国。「魔都上海」って良い響だよぇ。

近現代史をもう一度読みなおしたいと思ってしまった一冊でした。

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2005年7月 4日 (月)

ハワイの歴史に日本の危機を学ぶ

ハワイの歴史に日本の危機を学ぶ

「ハワイさまよえる楽園 民族と国家の衝突」中島弓子
ISBN4-487-75396-1

最初にこの本を読み終えていなことをお詫びしておく。私の知りたいのは ハワイという国が その独立を失っていく過程を学ぶことで日本の独立を失わないための教訓を得たいがためである。(ハワイ王朝が亡びた後の部分も興味を惹くのであるが。)

ハワイはカメハメハ大王によって1795年に(ほぼ)統一されるが ジェームス・クックがハワイ諸島を「発見」したのが1778年であることからも判るように 白人と接触して始めて「国家」としてまとまり始めたのであろう。ジェームス・クック以前の文化・歴史についても知りたいところだが(おそらく文字がなかったので)考古学の範囲をでることができないだろう。

ハワイがその独立を失ってて良く過程で、注目したことが2つある。

一つめは「カプ」とよばれるハワイ土着の宗教的タブーを廃止したことである。このときハワイ王の母がみずから「カプ」を破っている。この一種の宗教改革は土着の信仰を破壊してしまい、無軌範状態を作りだしてしまったようだ。国家にとって「構成員の共同幻想」ほど重要な柱は無いことを忘れてならない。自分達がハワイの神々の庇護のもとにある民であるという幻想を壊してしまったのだろう。

もう一つは、1839年頃からすすめられる政治でハワイ人の一部にしか選挙権を認めなかったことだ。当時のハワイの状況では不可能だったかもしれないが、ハワイ人全員に選挙権を与えていたら、と思う。

なぜなら、この後に起きて来る「白人」対「ハワイ王朝」の争いにおいて議会の動向が重要な役割を果たすからだ。だがこれだけではない。「選挙」で「自分達の代表を選ぶ」ことは国家としてのまとまりを生み出すと思うからだ。たとえ「賛成できない意見の持ち主」であっても「自分達が選んだリーダ」には「他国のリーダ」にはない権威と親しみを感じるし「自分達のリーダ」を選ぶ過程で「自分達はハワイ人」であることを再確認するだろう。

この後にハワイは次々と西洋の制度をとりいれる政治改革を行なって行くが、かえって未知な制度を運用するため白人にたよることになってしまう。

ハワイの歴史を日本にあてはめるとどうだろうか。「『カプ』の廃止」に相当するものは「天皇の人間宣言」だろうか?(ちょっとインパクトが弱い) 政治改革はどうか? 日本では普通選挙を大正時代には実現している。経済的にも諸外国に依存している状態ではない。

心配するとしたら「あまりに日本が安定している」ことだろうか? 日本人であることを意識しない・日本という国がなくなることを想像できないことが 日本の危機ではないだろうか?

中国が「適度に反日」してくれることが日本の存続に継るとしたら皮肉なことだ。

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2005年7月 3日 (日)

政府関係者にウイルス警報〜紅客は隠蓑かも

政府関係者にウイルス警報〜紅客は隠蓑かも

アンチウイルスソフト(マカフィーやシマンテックなど)では検出できないウイルスが 来るかもしれませんので用心してください。

以前にも 日本政府ののいくつかの Web サイトのハッキングを行なった 中国の紅いお客さんが またいらっしゃるようです。

日本狙い大規模ハッカー攻撃を計画
http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-050701-0012.html

1日付中国系香港紙、文匯報は、中国最大のハッカー組織「中国紅客連盟」が今年7月と9月、日本側ウェブサイトへの大規模なハッカー攻撃を計画していると報じた。攻撃目標や詳細な時期は不明。

関連記事(毎日):中国ハッカー組織:日本の「反中国的サイト」を攻撃計画
http://www.mainichi-msn.co.jp/it/network/news/20050701org00m300127000c.html

だけど、本質的にもっと危険なのはこっちです。

英政府の情報狙いトロイの木馬攻撃、発祥はアジア?
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0506/17/news008.html

英政府や企業が情報収集を目的としたトロイの木馬の標的となっており、当局はウイルス対策ソフトやファイアウォールでは防ぎ切れないと注意を呼び掛けている。

特定の相手をねらったウイルスは作製可能だと思います。ウイルスはメールで感染することが多いですが 単純にメールアドレスが政府関係機関(〜.go.jp)とか特定省庁(例:防衛庁 〜jda.co.jp )であることで 絞りこめば良いのですから。加えてメールの題名や本文をその省庁で良く使われそうな内容であればバッチリです。

日本の有名なセキュリティ関係の情報を収集しているサイトによると 日本の政府機関にも同様な攻撃がしかけられている可能性があるようです。(セキュリティホール memo、リンクはしません。あのサイトに書かれている内容が理解できる人ならURLを知っていると思うからです。)

特定の相手をねらったウイルスの場合、アンチウイルスソフトがそのウイルスを検出できるようになるまで 時間がかかります。ソフト会社にしてみれば、一般には流行しないウイルス(=ユーザの大部分には無関係)だし、検体(=ウイルス)がソフト会社に届くまでに時間がかかります。場合によっては アンチウイルスソフトで検出出来るようにはならないかもしれません。

公務員のみなさん、ご注意ください。

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2005年7月 2日 (土)

ハワイ王国〜未熟な国家の悲劇

ハワイ王国〜未熟な国家の悲劇

「ハワイ王朝最後の女王」猿谷 要
ISBN4-16-660300-0

ハワイの通史について知りたいのだが、何から読み始めたらよいのか判らない。とにかく読み始めることにする。

ハワイ王朝の最後の王であるリリウオカラーニ女王の伝記で、ハワイ王朝が最後の日々をどのようにもがいたか知ることができた。

ハワイ王国はリリオカラーニの生まれた時には崩壊することを避けられない状態であったと思う。彼女自身は決して無能な人間でも不徳の人でもない。天才ではないがハワイ王国に誇りと愛をもった政治家であった。この本にはハワイ王国の政治の仕組が書かれていないが、議会があり選挙があったが 生粋のハワイ人(?)には選挙権が与えられていなかったし、政府の閣僚には多くの白人が任用されていた。この状況では早かれ遅かれハワイは白人のものになった(相手がアメリカではないかもしれないが)だろう。

国旗は「イギリス国旗+ストライプ」で(「ハワイ・ポノイ」がカラカウア王の時代に国歌として制定されるまで)国歌が英国国歌で代用されていた。ハワイに白人が着いたとき ハワイは国としてまだ未熟であったのだろう。そして対外紛争を経験したことがなかったのだろう。

もう少し ハワイの歴史について読んでみたい。

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2005年7月 1日 (金)

投票しよう〜日本人だから

投票しよう〜日本人だから

7月3日に都議会議員選挙が行なわれる。選挙権を持っている人は是非、投票していただきたい。

最近、外国人の地方参政権についての記事を読んだので、投票と参政権について考えた。今、書きたいことは外国人の参政権についてではないので 記事は引用しない。

古代の共和制ローマでは 市民権とは執政官を選ぶ選挙の選挙権を意味した。ローマの市民権といえば福祉 いわゆる「パンとサーカス」を思い浮かべる人が多いだろう。だが「パンとサーカス」は本質ではない。
「ローマ市民権」とはローマの政治に参加する権利と責任を意味した。そしてローマ市民権を持っているものがローマ人であった。

共和制の国家 あるいは 主権を国民が持っている国家おいて「○○政府への参政権」と「○○人であること」はイコールなのだ。

日本国では「ここに主権が国民に存することを宣言し」と憲法前文にあるように 国民が主権を持っている。つまり日本国においては政治に参加できる権利を持っている人間を日本人と呼ぶのだ(あるいは成年に達したとき参政権をもつであろう人間)。

都議会議員選挙で投票するには、(1)成人であること (2)東京都に住民登録していること (3)日本国籍を持っていること が必要だ。東京に住んでいても外国人には投票権はない。なぜなら東京都政に参加できるのは日本人としての特権であり責任であるからだ。

投票しよう。日本の政治に参加し意思決定に参加し 結果に責任を持つのは 日本人としての責任であり特権であるのだから。

投票しよう日本人なら。

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