「日本と中国における『西洋』の発見」
「日本と中国における『西洋』の発見」銭国紅
ISBN4-634-64960-8
私は「なぜ、日本は明治維新に成功し近代化し、中国(清)や朝鮮(李朝)は近代化できなかったのか」知りたいと思っている。
19世紀の清は欧米についての情報量で日本に劣ることはないようだ。むしろ、欧米の宣教師が中国語への翻訳や出版を行ない日本は翻訳された書籍を輸入する立場であったように むしろ清の方が情報を持っていたと言って良いだろう。清が近代化できなかったのは、西洋を知らなかったからではない。
では何故なのか。
まず、学ぶ態度の違いである。日本は遣隋使以来の「外国に学ぶ」という態度があった、一方、中国には〜華夷秩序というのだろうか〜自分たちが外国に学ぶものだどないという態度であった。自分たちの文明に自信を持ちすぎていた清は、ロシアに外交使節を送ったとき、西洋式の礼法に則って行なわれたことに面子を傷付けられ、外交そのものに消極的になって行く。日本は外国に行ったときには外国の礼法に従っても面子を傷付けられることはなかった。
また、比較対象の違いということもある。日本は常に先進国(潜在的な脅威)として中国を意識してきた。そのため中国と西洋を比較することができ、西洋がすぐれたているなら、その文物を取り入れることができた。それに対して、中国は外部に(文化的な面での)脅威を持たなかったため、自分自身と西洋を比較するしかなかった。人間にとって他人同士の比較よりも自分自身と他者の比較は難しいものである。この点は同情してもよいのかも知れない。
このような状況のなかアヘン戦争が起きる。そしてアヘン戦争に清は敗れるが、この時も清は危機感を持たなかったようだ。敗れたのは単に兵器の差であると解釈した中国は(兵器については学習しようとしたが)その兵器を生み出した思想と社会制度を評価することはなかったようだ。
社会の仕組を含めた近代化の必要性を実感したのは日清戦争(1894年)にやぶれてからである。日本の明治維新の約25年後のことだ。この時から中国の近代化と西洋の知識の本格的な吸収は始まるといっても良いかもしれない。考えようによっては杉田玄白の解体新書(1774年発行)から約100年の差があると言えるだろう。
さて、現在の中国はどうであろうか?
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