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2005年9月29日 (木)

血が逆流する文章

血が逆流する文章

「反『人権』宣言」八木秀次
ISBN4-480-058998-2

下に引用した文章を読んだとき、一瞬、血が逆流した。一種のトラウマだね、これは。

「この教師の勤める学校でも、校内出でナイフを見ることは少くない。あるとき、生徒と先生の間で次のような会話があったという。
『危ないよどうしてそんなもの持ってるの?』『別に。ロープ切ったりとかするだけだし』チャッと音を立ててバタフライナイフが開いた。『それ、こわいよ持ってくるのやめてよ』『おれが何かすると疑ってわけ? それって人権侵害じゃん』(『朝日新聞』一九九八年二月三日付)
これで生徒とのやりとりは途絶えた。この教師は「人権...。教員は、この言葉にどれほど困っていることか」と嘆息したと、この記事は伝えている。
(略)
今日、「人権」という言葉は、それが突きつけられると皆、及び腰になる、あたかも水戸黄門の印篭のように、口にしさえすれば、誰もが押し黙ってしまう、あるいは思考停止してしまう、神聖で犯すべからざる言葉として流通している。

なにも「人権」という言葉にトラウマがあるわけではない。私が反応したのは、「力で押しとおす」行為と人間に対してだ。中学・高校時代の横暴な教師や危険な不良の記憶。抑圧された状況、不良の先輩にからまれた状況のフラッシュバック。

「人権」と言う言葉は曖昧なのだ。不良がナイフをちらつかせながら「おれが何かすると疑ってわけ? それって人権侵害じゃん」と主張する。それを可能にする人権という言葉の危なさ。そして「人権」があることが何も保障しないという空しさ。何を人権と呼ぶに値するのか真剣に考えなくてはならない。でなければ、単なる自己中でも「人権侵害!」と騒いだ者が勝つ社会になってしまう。

「人権」という言葉に怯えてはならない。

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