« 中国にとってのミャンマーの価値 | トップページ | 国連事務総長の余得 »

2006年2月17日 (金)

自己実現のなれのはて

自己実現のなれのはて

「断 人の為に働くこと」さかもと未明
産経新聞 平成18年2月16日 12版 22面

随分、贅沢な話だと思って調べ始めると、一連の試みのあちこちで、「いい学校を出て新卒で正社員にならないと損ですよ。条件の悪い仕事しかありませんよ」という趣旨のメッセージを見てますます不愉快になった。
(略)
「人のために働くこと自体が喜びです。それができる人は収入が少なくても立派です」。この当たり前のことを、なぜ誰も言わなくなったのだろう。

ニートについての別の記事も読んだ、申し訳ないが、ソースを無くしてしまったので、その記事に付いては記憶で書く。以下は記憶による。

「やりたいことがない」ことは「やりたいことが出来ない」と同じくらい苦しい。

仕事にやりがいを感じているのは「自由に働けるフリータ」より「正社員」に多い。

自分の仕事にやりがいを感じていても、その仕事に不本意ながら就いた人も多く、経験し熟練するうちに面白さを感じるようになった人も多い。

私は「自己実現の悲劇」「損得を理由して説得することの無力さ」を感じる。そして、私達は「貢献することの快感」「とにかく始めることの力」「仕事は修業だということ」を子供達に伝えていないのではないか、と思う。

    *     *     *

「『フリータ』になると損ですよ」「勉強しないと損ですよ」と言ったところで「損するのは私でしょ、あんたには関係ない」と言われてしまったら、なんと答えるのだろうか。

損得のみで人を働かせようとするなら、よっぽど厳しい条件〜餓死するかもしれないくらいの〜が必要なのではないかと思う。

    *     *     *

学校と言う社会から切り離された場所しか経験していない子供(や青年)に「やりたいこと」や「仕事のやりがい」があることの方が不自然だ。現代社会は「やりたいこと」や「自己実現」を追い求めるあまり「日常の幸せ」や「家族や仲間に貢献すること」を軽視しすぎているような気がする。

「やりたいこと」や「夢」があるのは良いことだ。けれども「やりたいこと」が無くてもおかしな事ではない。人類の一万年に及ぶ歴史の中で「自己実現」や「やりたいことを職業にしよう」なんて時代は、ここ数十年にすぎないのだから、私達の心(あるいは遺伝子)に準備ができているはずはないのだ。

    *     *     *

私達は、価値観を押し付けることを怖れるあまり、「子供の自由意志」を尊重するあまり、子供達を無規範な状態においてしまったのではないか。価値観を押し付けないことは、一見、子供達の自由意志を尊重しているかのような錯覚を与える。しかし、それは先人達から私達が受け継いだ文明・文化という財産を子供達には使わせないと言うことではないだろうか。

|

« 中国にとってのミャンマーの価値 | トップページ | 国連事務総長の余得 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/8697002

この記事へのトラックバック一覧です: 自己実現のなれのはて:

« 中国にとってのミャンマーの価値 | トップページ | 国連事務総長の余得 »