国籍は参政権の別名である
国籍とは参政権の別名である
産経新聞:櫻井よしこ氏招き勉強会 外国人地方参政権で民主推進派
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080312/plc0803120043001-n1.htm
櫻井氏は、外国人への選挙権付与に反対の立場から「特別永住者の歴史的経緯を考慮し、日本の国内法の順守を誓約してもらった上で、国籍取得の条件を特定的に簡素化する必要がある」と主張した。また「外国籍のまま選挙権を与えるとアイデンティティーと実際の国籍の間のギャップを永続的に固定化してしまう」と指摘した。
これに対し、岡田氏は「それも含め本人が背負っていく話だ。もし私が外国で2、3世として生まれ育ち、『選挙権を得たければ国籍を捨てろ』といわれたら許せない」と反論した。
私は、「民主国家において国民とは、参政権を持っている人間(持つことになるであろう人間)のことである」と定義すしている。日本でも(犯罪などで)公民権を停止されるような例外を除けば、国民ならば参政権を持っている(未成年なら、参政権が与えられることが予定されている)。
戸籍や選挙人登録や住民登録など、国によって制度は違うが、民主国家において国民は参政権を持っている。
だから「外国人参政権」という言葉そのものが矛盾なのだ。
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先ほどの定義によると「地方参政権だけを持ち、国家の参政権を持たない人間(即ち、十全な選挙権を持たない人間)」は、民主国家にとっては「二級国民」と言えるだろう。
在日韓国人が、地方参政権を要求しているのを見ると、「そんなに、頑張って運動してまで『二級日本人』になりたいのか」と不思議な気分になる。
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岡田氏は「もし私が外国で2、3世として生まれ育ち、『選挙権を得たければ国籍を捨てろ』といわれたら許せない」そうだけれど、氏は「外国人に参政権を認めるべきか」ということと「二重国籍を認めるべきか」ということを、ごっちゃにしているのではないだろうか。
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私達日本人は「日本国の主権者」だ。ところで「権利」には「責任」が付き物だ。
では、「主権者」であることの「責任」とは何だろうか。
納税や勤労の義務ではないことは明確だ(主権者ではない人間=外国人も納税するし勤労している。もちろん日本以外の国でも同じだ)。
「主権者」であることの「責任」とは、「日本国の将来に対する道義的責任」だ。自覚している方も多いと思うが、私達日本の主権を持ち参政権を持っている人間は、日本の将来に対して責任がある。
地方参政権を得るということは「部分的であれ日本社会の将来に責任を持つ」と言うことなのだ。即ち、在日韓国人の方は、参政権が欲しければ「日本の将来に私は責任を持ちます(あるいは、持ちたいです)」と言えなければならない。
その覚悟があるなら「日本に帰化する」ことが選択肢にならないのだろうか。「外国人」という「日本とは距離のある立場」のまま「日本の将来に責任を持つ」というのは、おかしくないだろうか。
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以上のことから、私は、「日本の参政権を持ちたいの望む者が日本に帰化を望まないのはおかしい」と思う。
岡田さんの発言「もし私が外国で2、3世として生まれ育ち、『選挙権を得たければ国籍を捨てろ』といわれたら許せない」という言葉は「2重国籍」を認めていないことに対するものであるなら、理解できなくもない(私は「現在の国籍を保ったまま帰化を認めること」に反対です)が、「外国人に参政権を認めよ」と言う主張であるならば、ピント外れの意見であると思う。
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しかし、そんなに頑張ってまで「二級日本人」になりたいのかねぇ〜。その前に、ちゃんとした韓国国民になるべきだと思うけど。そして「参政権に伴う責任は、納税ではなく、日本国への忠誠(責任を持つこと)である」ことを意識し、参政権とは「権利であると言うよりは義務」であることを知ってほしい。
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コメント
早く言えば国会議員が二重国籍は「合法」だと言ってる様なものでしょう、何とも日本人は救われません。
投稿: 観音崎 | 2008年3月13日 (木) 11時52分