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2008年8月 1日 (金)

人数は問題じゃない

人数は問題じゃない

読売新聞:広島の小1女児殺害、ヤギ被告に死刑求刑…控訴審結審
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080731-OYT1T00655.htm

検察側は5月の公判で、ヤギ被告のペルーでの性犯罪の前歴2件が証拠採用されたことを受け、「女児への異常な関心を裏付けている。控訴審で『悪魔の指示』と虚偽の供述をし、悔悟も見られない」と指摘。被害者1人でも「死刑を選択するほかはない」とした。

「殺人は死刑が原則」で良いと思う、減刑は「同情の余地があるかないか」だけ。

自己の性的欲求の為に小1女児を殺害したことに同情の余地はない。

これが自分の中の殺人に対する原則。

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コメント

同意!!!!!ポチッ。

投稿: 古田 | 2008年8月 1日 (金) 09時54分

気持ち的には、殺人=死刑で賛成です。確かに人数の問題ではありません。
しかし神ならぬ身が裁くわけです。冤罪、誤判の問題は避けて通れません。
例えば袴田裁判でも、事件当時の警察発表だけでは、多くの人が袴田が犯人に違いないと確信したでしょう。なのに今になって再審請求の弁護側資料を見るとでっちあげにしか思えません。
今後困るのが裁判員制度です。全ての資料を見ても過つというのに、裁判員の負担軽減のために証拠資料を精選するというのです。その段階で判決の誘導も可能です。
私は万が一事件に巻き込まれた時、こんないい加減な裁判で死刑にされてはたまりません。
最高裁の審議システムと冤罪可能性について、団藤教授の「死刑廃止論」に詳しいので、お時間ありましたら御一読ください。

投稿: ののこ | 2008年8月 1日 (金) 10時20分

ののこさん、こんにちは

> 気持ち的には、殺人=死刑で賛成です。確かに人数の
> 問題ではありません。
> しかし神ならぬ身が裁くわけです。冤罪、誤判の
> 問題は避けて通れません。

はい、私も「何がなんでも死刑だ」と思っている訳ではありません。冤罪の可能性はもちろん心配です。そして、神ならぬ人間は冤罪の可能性をゼロにすることは出来ません。しかし、冤罪の可能性がゼロでは無いから死刑を回避するのが正しいならば、同じロジックで、全ての処罰を否定することも可能でしょう。

      *      *      *

死刑については悩みながら「消極的賛成」と言う立場です。出来れば無くしたい、だけど無くせない。この事件のような犯罪を行った人間をどう処罰したら良いのか?

死刑以外のどのような処分が適当なのか?

難しい問題です。でも判断を下さなければなりません。人間には「選択の自由はあっても、『選択しない自由』はない」のですから。

      *      *      *

ご紹介にあった本は機会があったら読んでみたいと思います(次に図書館に行った時に探してみます)。

投稿: 乱読雑記 | 2008年8月 2日 (土) 00時04分

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