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2009年2月20日 (金)

マスコミの使命と受け手の解釈

マスコミの使命と受け手の解釈

ITpro:本当のことを言う
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090212/324601/?ST=management&P=5

以下に引用する記事にある「先に紹介した特集記事」というのは液晶パネルの暴落を予想した記事で、その予測は的中したそうです。

先に紹介した特集記事がいい例である。この記事は取材先から猛反発を浴びたが,実は社内のある大先輩からもこの記事のおかげでこっぴどく怒られたのである。業界の成長に水を差すというのが,その理由だった。「私たちには産業を育成する責務がある。このようなネガティブな記事はせっかく加熱してきた投資意欲を削ぐものだ」と。

その大先輩は,マスコミは行為者であるべきで,観察者ではダメなのだという。



新聞が行為者たろうとすること,つまり自身の正義や信念を基準に世間を動かそうとすることは,いいことなのか悪いことなのか。私にそれを断ずる能力はない。けれど山本夏彦氏は,こうした過去の行動がいつも大きな悲劇を生んできたということを指摘し,「私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう」とおっしゃった。これから先のことはともかく,過去に反省すべき多くの行為をとってきたことは事実だと思うし,その系譜に連なる私たちはそのことを強く自覚しなければならないと思う。

マスコミの最大の問題は「観察者(あるがままの報道をすること善とする立場)」と「行為者(活動家として社会を導こうとする立場)」がごっちゃになっていることだ。ニュースに接する度に、「この記事を書いた人間の意図は?」と考えたり「事実を淡々と伝えているのか?それとも?」と考えるのは正直疲れる。

いっそのこと「我が番組は○○党を応援しています」とか、「××主義に基づいて判断しています」とか言ってくれと思うときもある。そんな番組だらけになっても、公平中立を下手に装った番組の多い現在よりましではないかと。

だけど、観察者として事実を淡々と伝えるという機能がマスコミから失われて良い訳がない。何故なら、「宣伝ビラ」や「プロパガンダ」だらけで民主政治が成り立つ訳がないからだ。

淡々と事実を流す報道が増えてほしいと願う。

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コメント

殆どの過去の「間違い」はマスコミの「プロパガンダ」が生み出したものでしょう。

日本のマスコミは日清・日露・大東亜は日本の国力を計算しない煽り方をして居ます。軍部がしっかりし、政治が正しい判断を下から日本が衰退せず、日本の立場が貫けた。

戦後は「日本悪」を植え付けたのもマスコミ。中国・韓国との「友好」と言う「間違い」を犯したのもマスコミ。日本の「日和見マスコミ」の限界をもう日本人も知って良いのでは無いでしょうか。

権力を「監視する」と言う能力もない癖に「大迎」なアドバルーンを揚げて、軍の権力に靡き、戦後は進駐軍権力に「へばりついて」食いつなぎ、進駐軍から解き放たれたら中国・北朝鮮礼賛いい加減なものです。

日本のマスコミは「天気予報」と「外国からのニュース」を伝達するだけで十分、下手な「評論」をするから「ボロ」だ出る。新聞・ニュースに頼らなくても事の「善悪」が判断出来りゃ人間OK。

投稿: 猪 | 2009年2月21日 (土) 11時17分

最近のマスコミは鬼畜の域に達してます。

投稿: き | 2009年2月21日 (土) 18時23分

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