« リークは検察の優しさ | トップページ | 事務所費問題 »

2009年3月12日 (木)

外国人排斥は悪なのか

外国人排斥は悪なのか

J-CAST:フィリピン人一家の在留不許可 「可哀そう」か「自業自得」なのか
http://www.j-cast.com/2009/03/12037556.html

では、新聞が擁護しているのに、ネット上でバッシングが続いている事態をどう考えたらよいのか。

一家代理人の渡辺彰悟弁護士は、「一部の人たちに外国人排除の発想があるのではないですか。日本では、いろんな要素を見て相対的に判断する土壌がまだ育っていない、と感じています」と話す。法律家としての仕事ぶりを否定するような声については、「条約上の価値を実現してほしいと訴えているのに、違法行為どうこう言われる筋合いはないと思います。本人たちにも、胸を張ってほしいと言っています」と反論する。

国家とは暴力装置だ、民主国家は国民の総意によって運営される暴力装置だ。そして民主国家の国民は本質的に外国人排斥という性向を持つのではないだろうか。

  *        *        *

日本には日本の文化と規則があり、他国には他国の文化と規則がある。それぞれの国がそれぞれの価値観を持った人々によって営まれている。

ある人間集団が自分達の文化や価値観を守るためには、言い替えれば他の人間集団の価値観や文化を押し付けられたくなければ、何が必要だろうか。

その為には実力が必要だ。その為の暴力装置が国家であると思う。だから、国家は、他国の価値観を押し付けられないだけの実力(≒経済力・暴力行使能力)を持って始めて成立する。

  *        *        *

価値観が同じ、殆ど同じならば、別な集団(≒別な国家)になっているは必要ない。数が多い方が暴力装置としての能力は向上し、他人の価値観を押し付けられる可能性が低くなるのだから。

ならば「同国人≒価値観の近い人」であり、「外国人≒価値観の異なる人」であり、「外国人≒自分達の価値観への脅威」であると言える。

自分ひとりでは自分の価値観を護れない人間(≒法律や習慣、実力装置としての警察や裁判所に守ってもらはなくては安全が確保出来ない人間≒一般国民)は、外国人排斥を国家に期待するのが自然だろう。

  *        *        *

人間は一人では暮らしてゆけない。価値観は異なるけれども、お互いに必要な関係というものもある。価値観が異なっているからと言って、争はなければならないというものでもない。

でも、価値観の異なる人間がいっしょに暮らしているとトラブルの元だ。

価値観が異なる人間同士は「敬して遠ざけ」て、互いに必要で、我慢出来る範囲で付き合うのが平穏なくらしのコツだ。外国人排斥は「価値観の異なる者どうしの距離が近すぎる」ことのシグナルと言うことも出来る。

外国人排斥を原因としての「悪」と決めつけずに、結果としてのシグナルだと捉えるべきではないだろうか。

BlogRanking (読む価値のある記事だったらクリックお願いします)

|

« リークは検察の優しさ | トップページ | 事務所費問題 »

コメント

日本に密入国して、子供を産み育て、それがバレたら、日本に住み続けたいと主張するのは、無理というものでしょう。

マスメディアがなぜ彼らを擁護するような主張をするのでしょう。

法を犯して、日本に住まわせてやることがいいんでしょうか?

そんなことを認めていたら、日本は法治国家ではなくなってしまいます。

また、心無い近隣諸国の人たちは、今よりもっとたくさん、日本めざしてやって来ることでしょう。

元々不法に入国する人たちですから、何をしでかすかわかりません。治安は更に悪化することでしょう。

投稿: ノワール黒田 | 2009年3月13日 (金) 11時34分

基本的に「密入国」は犯罪でしょう。その時点で送還するのが人道的にも正しい筋道。

投稿: 猪 | 2009年3月13日 (金) 15時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/44327709

この記事へのトラックバック一覧です: 外国人排斥は悪なのか:

« リークは検察の優しさ | トップページ | 事務所費問題 »