« なんとかならんか | トップページ | 民族の知的所有権はだれが持つの? »

2009年5月10日 (日)

「国家」と「国民」は対立してないし

「国家」と「国民」は対立してないし

中日新聞 社説:日本人の「自分探し」 週のはじめに考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2009051002000045.html

また八一年から調査項目に加わった「個人の利益」か「国民全体の利益」かでも「国民全体の利益を大切にすべきだ」が同じく56%(個人の利益重視は27%)と、これまた最高になっています。

愛国心など他の調査項目ではそれほど大きな変化が見られないのに、「国・社会」重視派が五、六年前から右肩上がりに増え続け、今年初めの調査で最高になったのは、なぜなのでしょうか。

昨年後半からの急激な景気悪化で失業、派遣切りなどに遭い、生活防衛に必死な国民が多いはずなのに「個人」より「国や社会が大事」とは、あまりにも物分かりが良すぎはしませんか。



このあたりに疑問を解く鍵があるようです。一時は熱狂的な支持を得た小泉構造改革への揺り戻しとして、どうも自分たちの声が政治に届いていない、それならば政府や自治体任せでなく自分たち自身が国や社会にもっと目を向け行動しなければならないのではないか。「観客民主主義」から「行動型民主主義」への転換。その意識が「国・社会」重視派を増やしている背景ではないでしょうか。

もしそうだとすれば、この傾向は歓迎すべきです。同調査でも約七割の人が「何か社会のために役立ちたい」と回答しており、「自然・環境保護活動」(41%)「地域活動」(36%)「社会福祉活動」(35%)などを挙げています。まさに生活の中での「自分探し」をしているのです。



現代日本人は、自ら「社会のために」ひと肌脱ごうとの意識に目覚めつつも、まだ何をどうしたら自分らしい社会貢献ができるのかに迷いつつ「自分探し」をしているのが現状かもしれません。

「あまりにも物分かりが良すぎはしませんか」

個人は尊重されるべきだし、私も私個人の生活を家族の生活を大事にしたい。だけど、人間は独りじゃ生きられない。私が大事に思う私や私の家族の生活も社会があってこそ成り立っている。国家は個々人の生活を守るためにある。個人の生活が危機に瀕しているという認識があるからこそ「国や社会が大事」であることを意識しているのではないだろうか。

また、国家とは価値観の集積でもある。日本という国家は日本人の価値観の集積で出来ていると言えなくもないのだ。

同じように、アメリカ合衆国はアメリカ人の価値観の集積で出来ている。韓国は韓国人の価値観の集積で出来ている。中国も北朝鮮も同じだ。そして、国家同士は互いに対立している。

そして、日本の隣には独善的で横柄な国家があることを私達は強烈に意識させられている。

日本という国家が崩壊したら、私達は、他人の価値観を押し付けれることになる。日本人の価値観を守ることは今以上に難しくなる(と言うか不可能だ)。

私達が私達の価値観に従って生活したいなら、国家を大事にしない訳にはいかないのだ。

  *        *        *

「自分らしい社会貢献ができるのかに迷いつつ「自分探し」をしているのが現状かもしれません」

うーん、なんて「自分探し」なんて言い方をするのでしょうか?

素直に「『貢献できる方法』を試行錯誤している」と言ったら良いんじゃないかと思うのは、私が保守的だからでしょうか。


BlogRanking (読む価値のある記事だったらクリックお願いします)

|

« なんとかならんか | トップページ | 民族の知的所有権はだれが持つの? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/44968102

この記事へのトラックバック一覧です: 「国家」と「国民」は対立してないし:

« なんとかならんか | トップページ | 民族の知的所有権はだれが持つの? »