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2009年9月27日 (日)

綺麗事だと自覚してればね

綺麗事だと自覚してればね

東京新聞 社説:核なき世界 国際協調で歴史動かせ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009092602000089.html

鳩山由紀夫首相は安保理会合で非核三原則の堅持を誓った。「日本は核開発の潜在能力があるのに、非核の道を歩んだ」と述べ、国内の一部でくすぶる核武装論とは一線を画す意思を明確にした。

オバマ大統領は四月のプラハ演説で「核兵器を使用した唯一の国」だとして、鳩山首相は安保理会合の演説で「唯一の被爆国」として、共に「果たすべき道義的責任がある」と述べた。

日本の安全保障を米国の「核の傘」に頼ってきたことは否定できないが、日米が「道義的責任」で核廃絶の新しい時代に向けて協力していくべきだ。

「日本は核開発の潜在能力があるのに、非核の道を歩んだ」という言葉を聞くと、日本はいつでも核武装出来たのに、あえてしなかったとうにも思えますが、現実は違います。

日本にはカネと技術はありましたが、日本をとりまく国際環境は、日本の核武装を許さなかったのです。現在でも、日本が核武装をするとなると相当な軋轢があるでしょう。その軋轢と核武装の利益を天秤にかけて、核武装しないことを選択しているのです。

  *        *        *

鳩山さんが国連で、「道義的責任」や「核開発の潜在能力があるのに、非核の道を歩んだ」と言うことに反対はしませんが、結婚式のスピーチで新郎新婦を悪く言わないのと同じようなタテマエを言っているのに過ぎません。

  *        *        *

タテマエをタテマエである、と判らずに本気で信じこんでしまっちゃダメです。

世の中渡っていけませんからね。

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コメント

日米の「道義的責任」日本に何の「道義的」責任が有るのかが判らない?それよりマスコミが民主党新人議員の言論弾圧に加担している事の方が問題でしょう。

投稿: 猪 | 2009年9月27日 (日) 10時18分

「国際環境が、日本に核武装させなかった」というのは、半分当たりです。

さらに言えば「アメリカが日本に核武装させなかった」というのが、正確なのでしょう。

ひとつには、日本が再び戦前のような軍事大国になることを、アメリカが恐れた。

もうひとつは、米ソ冷戦のときに、日本が核能力を保持して、ソ連側に寝返ることを恐れたのでしょう。

だから、日本が独自の核開発をしようとした田中角栄のときに、アメリカは全力でそれを阻止しました。

アメリカは、日本を「アジアにおけるイスラエル」化しようとしたのです。

今でも、それに逆らうことは、不可能なんです。

投稿: ノワール黒田 | 2009年9月27日 (日) 10時34分

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