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2010年2月16日 (火)

ドイツ社会の健全さと極右

ドイツ社会の健全さと極右

読売新聞:独で1万人の「市民の鎖」、極右デモを阻止
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100216-OYT1T00995.htm

これに対し、左翼勢力が行く手を遮る一方、市民が市中心部で「人間の鎖」を作り極右デモに抗議。5000人の警察隊も出動し大規模な衝突を防いだ。結局、極右勢力は市中心に向かえず、市民勢の“勝利”に終わった。

この記事を読んだとき、特に「極右勢力は市中心に向かえず、市民勢の“勝利”に終わった」の部分を読んだとき、ドイツ社会の分裂と危険性を感じた。

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ドイツにも移民があり「寛容さ」を求める人達と、寛容になれない人達の対立がある。

自民族の優越を求めることは人間の自然な欲求だ。それが移民という形で日常的に皮膚感覚で刺激される。テレビニュースで他国の優越を知るぐらいなら聞き流せても、日常的な出来事で皮膚感覚を刺激されると無視することは難しい。

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そんな感覚をもっている人達を「多数派の良識派」が寛容であることを強制するのは、分裂と暴力沙汰(テロと内戦)への道だと思う。そういった事が、ドイツで起きているのではないかと思わせる記事だ。しかし、ぐぐってみると別な記事を見付けた。

ITmedia:ネオナチを許してはいけない……極右政党NPDの台頭
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1002/16/news014_3.html

写真を見ても分かるのだが、実は警官が守っているのは中心のNPDメンバーである。広場には「NPDは出て行け!」という反ネオナチの声が渦巻き、放っておくとNPDメンバーと多数の市民の間で暴力沙汰になってしまうからだ。「ネオナチの集会」であるはずが、逆に「反ネオナチの集会」となっている様子を見て、筆者はドイツ社会の健全性を感じ取った。

私も写真を見て、ドイツ社会の健全さを感じたのだが、この記事の著者と別な部分に健全さを感じた。

この記事の著者は「反ネオナチ」の声が多数派であるから健全であるかのように書いているが、私は「ドイツ社会の公式見解を体現している存在である警察権力が、少数過激な思想を持った人達を守っている」ことに健全さを感じた。

ドイツでもネオナチのような過激思想は少数派だろう。少数の過激な思想であっても、多数派から保護する。多数派の暴力を許さないというのがドイツ社会の意志なのだろう(自由と民主主義のプライドかもしれない)。

過激な思想を持った少数派の人間であっても法に触れない限り保護することが出来るドイツであれば、ドイツ社会を健全であると思うことが出来る。

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しかし、ドイツ社会の健全さは危機に瀕していると思う。

最初のニュースで心配したのは、極右デモが届け出などが適法に行われ許可されたのにも関わらず、「寛容さを強要する良識的多数派」が、合法的なデモを私的に実力を行使して妨害したように見えることだ。

もしそうなら、多数派による少数派の表現の自由を抑圧する行為であり、しかも「公」の手続きを踏んでいない。つまり多数派による少数派へのリンチだ。

これが危険な兆候(分裂と内乱の兆候)でなくてなんだろうか。

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コメント

日本では普通の事を言えば「右翼」ですから堪りません。

投稿: 猪 | 2010年2月17日 (水) 09時54分

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