権力者の道具としての人権
権力者の道具としての人権
産経新聞:人権侵害救済機関設置で中間報告 あいまい内容で懸念払拭されず
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100622/plc1006222239034-n1.htm
千葉景子法相は22日の記者会見で、政府や特定団体による恣意(しい)的な言論・表現統制の可能性が指摘されてきた人権侵害救済機関設置法案(旧人権擁護法案)に関し、検討の中間報告を発表した。人権委員会を政府から独立した機関として内閣府に設置し、報道機関に関する規定や調査拒否に対する制裁規定は設けないとしている。ただ、いずれの項目も「なお検討する」などと曖昧(あいまい)な表現に終始し、懸念は払拭(ふつしよく)されていない。
人権は素晴らしい理念だと思う。しかし、実用品、つまり私達の生活の中で活用しようと思うと欠陥がある。
それは、定義が曖昧だということだ。何が人権なのか、どんな行為が人権侵害となるのか曖昧だということ。結果、人権は声のでかい人間や口の上手い人間にとって便利な道具になってしまっている。
そんな実用品としての欠陥を持っている道具を、権力が使用するとどうなるだろうか。権力者が恣意的に運用できる道具がひとつ増えることになるだけだ。
* * *
私達は権力者の道具としての人権に注意しなければならない。
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コメント
日本人弾圧・日本人逆スパイ法、誰が見てもおかしい法案を法務省が作る。大臣が応援するのが民主党の政治主導、いい加減にしてほしい。
投稿: 猪 | 2010年6月23日 (水) 09時38分