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2010年11月30日 (火)

人権の恐ろしさ、の続き

人権の恐ろしさ、の続き

昨日、「人権の恐ろしさも教えて欲しいな」という記事を書いた。コメントを幾つか頂いて(ありがとうございます)、頂いたコメントを読ませていただいて、自分の書いた記事を読み直して、気がついた事があります。記事をアップした時に、なんか書き落としてるような気がしてて書けなかった事です。それは「人権に踏み潰される側になるかも知れない」という恐怖を感じたという事です。

コメントにもありましたが、「人権って戦って勝ち取るもの」なんですよね。と言うことは負けた側が存在するんです。

昨日の記事で、伝統的な宗教と男女平等の話を書きました。結果、どうなったかは記憶にないのですが、もし、男女平等側が勝って、女人禁制の霊山に女性がどんどん登るようにようになったら、その山を神聖なものとして扱って来た人達の気持ちはどうなるのでしょうか。

彼等の心は傷つくでしょう。

傷ついても、間違った価値観を持っていたから仕方ないのでしょうか。

それとも。

伝統的な宗教や価値観の下で育ち、その価値観を継承し、子供達にも伝えようと思っている人達、そんな人達を人権という大義名分の下に踏み潰してしまうような気がするのです。

そして、自分もまた、その踏み潰される側に立つかもしれないという恐怖。

昨日の記事で書けなかったもの、それはその恐怖です。

  *        *       *

人権という概念は、戦う武器になります。それは武器です。その矛先は敵にも自分にも向かうのです。

人権を教えて、その暴走したときの怖さを、矛先が自分に向かった時の恐怖を教えない。それは、軍のカッコよさや抑止力としての価値を教えながら、軍が暴走した時の恐怖を教えないのと同じであるように思うのです。

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コメント

日本の人権屋さんには「人権」を語る資格が有るのか擬音です・・・

投稿: 猪 | 2010年12月 1日 (水) 09時29分

訂正・・擬音でなく疑問です。しかし日本の人権屋は「擬音」と言っても間違いが無いようですね・・・

投稿: 猪 | 2010年12月 1日 (水) 09時30分

拙きコメントを取り上げていただき恐縮です。
困ったことに世の中には人権を武器にして世渡りをしようと言う輩が結構いることです。彼らが掲げる人権(人権侵害や人権擁護)なるものの正当性を、見抜くだけの分別を持つことがとても重要なことかと思います。

投稿: シルバーな親父 | 2010年12月 1日 (水) 15時26分

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