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2010年11月26日 (金)

ひとの心は判らない

ひとの心は判らない

神奈川新聞:死刑判決の池田被告に「控訴する意向ない」、弁護団は説得目指す
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1011250066/

男性2人を殺害し、切断遺体を東京湾に遺棄した事件で強盗殺人罪などに問われ、横浜地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた無職池田容之被告(32)の弁護団は25日、「池田被告は控訴する意向はない旨を述べた」と接見時の状況を公表した。

弁護団によると、判決から6日後の22日に横浜拘置支所に収監中の池田被告と接見。控訴について確認した際、池田被告は「心から事件と向き合って考えを深めているので、被害者遺族の意向を無視できない。控訴することは、それを傷つける恐れがある」と答えたという。

池田被告は「法廷は被害者遺族のために事実を明らかにするためのもので、精いっぱい、事実を伝えるよう努力し、十分伝えられたと思っている。法廷でも述べたように、いかなる(裁判員裁判での)判断も受け入れると決意していた」とも述べたという。

弁護団は、控訴について検討し、池田被告を説得していると説明した。

この事件、被告の反省に対する疑問も~彼の反省は口先だけではないかという疑問も~死刑判決の理由の一つになりました。しかし、被告は「いかなる判断も受け入れる」「控訴する意向はない」というのは反省を示しているのではないか、とも思えます。

この事で2つばかり思ったことがあります。

ひとつめは、死刑判決があったからこそ、被告の本気が判った、訴えることが出来ると言うこと。もし死刑判決が無ければ、彼の控訴しないという意向に注目が集まることも無かっただろうし、反省を死刑に服するという形で示す事も出来なかった。

これは、死刑に限らず、反省を示すこと、反省があれば減刑することの限界でもあります。

ふたつめは、これは本当の反省なのかという疑問です。ひとつめを思ったあとに気がついた事です。

弁護士は控訴を勧めています。もしかしたら被告は控訴するかも知れません。そうなると「死刑に服することで反省を示そうとした」という事が、高裁や最高裁で考慮されるかもしれません。少なくとも世論に訴えることは出来るでしょうし。

つまり被告のポーズ、弁護士の作戦である可能性は(現時点では)否定できません。

被告の反省を疑うなら、もう一つの視点もあります。それは裁判員への復讐です。控訴があれば裁判員の判断が他の人間によってもう一度あるいは二度検討されます。もし、死刑が回避されれば、裁判員の死刑判断は実行されませんし、死刑のままであれば、他の人間も死刑にすべきと判断したのだ自分達の判断は間違っていないと思うことも出来ます。

ここで裁判が終われば、死刑判決を下したことが、より強く裁判員の心の重しなってしまう。真面目で誠実で命を大事に思う人間であればあるほど、心の重しになるでしょう。

つまり、控訴しないことで、裁判員に復讐をすることが出来る。お前は、死刑を受け入れるという、命で償うと反省している人間を殺したのだと思わせる事が出来る。

自分に死刑判決を下した人間に対する怒りとそれよる復讐が控訴しないと言わせたのではないかと思うことも出来ます。

  *        *        *

人の心を知る事は人には難しい。殆ど不可能と言ってよい。何か事件や事故があったとして、ある人間が謝るかどうかは予測出来る。本人の普段の素行、謝った場合の損得、周囲の状況、そういったものを考えれば予想できない事もない。

しかし、心の中で何が起きているのかは判らない。

ひとの心は判らない。

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