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2011年4月26日 (火)

「人権」とは強者の為にあるもの

「人権」とは強者の為にあるもの

スイス放送協会:原子力発電所からツイッターまで 、 人権は日常の至る所に
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=30057604&rss=true

「欧州人権裁判所の次期スイス代表裁判官に任命されたヘレン・ケラー教授にインタビュー」だそうです。肩書きからすると人権について「権威」ある言葉と思えます。

いくつか気になる所を引用します。

人権はもはや一定不変ではなく、常に新たな脅威的状況に応じて適用され得るものであり、またそうでなければならない。

時代と共に変わるのは良いけれども、いつ誰がどう変えると判断するのか。

中世キリスト教世界では、正しいか否かを聖職者が判断した。人権が大事にされる現代社会では、裁判官が判断する。裁判官に影響を与える事が出来れば自分の利益になるように、人権概念を変えることが出来る。

swissinfo.ch : 欧州人権裁判所はヨーロッパの国民と国家にどのような利点をもたらしたのでしょうか。

ケラー : スイス国民に限定して判例を語ると、裁判所はこれまでスイスにおける人権問題について繰り返し判決を下してきている。まずは婚姻後の姓についてだ。スイスの法律では女性は婚姻の際、自分の姓を保持することができず、男女同権でなかったため、裁判所が男女差別だと判決した訴訟が2件ある。

次に同性カップルと異性カップルの同権が認められた判例。この異議申し立てに対する判決は画期的だった。これはスイスだけでなく、ヨーロッパ全体にとって重要な判決になった。

三つ目の判例は拘留条件。この判決もスイスだけでなく、ヨーロッパ全体に影響を与えた。例えば被収容者にその宗教を拘留中に実践する権利があるのか。郵便物を受け取る権利があるのか。メディアから情報を得る権利があるのかといった案件だが、この申し立てに裁判所は重要な判決を下し、拘留条件が改善されるようになった。

ケラーさんが挙げた3つとも「価値観」に関わるものだよね。

婚姻の時に別姓か同姓か、同姓ならどちらの姓を名乗るか。同性婚を認めるか。有罪となった人間にどこまで宗教的自由を認めるか。

結局、自分の人権を主張することって、自分の価値観を周囲に認めさせ強制することなんだってこと(だって、例えば、同性婚を「認める社会」と「認めない社会」は同時に成立しない)。

  *        *        *

人権は「強者の道具」であること(金や知恵の無い人間には恩恵をもたらさないものであること)を再確認させていただきました。もっとも、人間社会の道具(法律や金など)の殆どが「強者の道具」なのですが。

人権は大切ですが、同時に、強者が利用するモノ(言葉)であるという事も憶えておかねばなりません。醒めた眼で見ることも必要です。

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コメント

確かに、そうです。
まあ、いろいろあるけどね。

投稿: もも | 2011年4月27日 (水) 10時21分

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