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2011年6月14日 (火)

私が反・反原発になった訳

私が反・反原発になった訳

産経新聞 正論:30年がかりで「脱原発」を目指せ(3/4)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110614/plc11061402570007-n3.htm

もっとも、経済合理性だけで「脱原発」を説くのは、筆者の本意ではない。「脱原発」論には「文明の転換」という歴史的視点も必要だと思うからである。

ギリシャ神話には、火を盗んだプロメテウスを懲らしめるため、ゼウスがパンドラに不幸の詰まった「パンドラの箱」を開けさせる話が出てくる。古事記には、「火の神」を産み落とした際に大やけどをしたイザナミが、「黄泉(よみ)の国」に行く羽目になる話がある。このように、古代から火は文明の象徴であるとともに、災いをもたらすものという認識があった。

産経新聞 正論:30年がかりで「脱原発」を目指せ(4/4)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110614/plc11061402570007-n4.htm

現代人は、「科学がすべてを解決する」という「科学万能思想」を信奉することで、経済成長を実現した。しかし、この思想が近年、地球環境問題やクローン人間など、科学だけでは解決不能な問題を次々に生み出してきたことも事実である。原発にしても、テロや直下型地震など、「想定外」の出来事に完全に耐えられるものを建設することは、おそらく不可能であり、われわれはそのことに、もう少し謙虚になる必要があるのではないだろうか。

反原発・脱原発の方々は時として、「科学万能」を批判し、科学では全てを解決出来ないなどと言う。文明の転換が必要だという言葉も良く聞く。

私はこんな言葉を聞くと腹が立つ。

  *        *        *

私は技術で飯を喰ってきた人間だ。年喰って最新の技術知識よりも経験と人間関係が重くなって来たのは不本意だが、それでも、自分が雇われているのは技術によってだと信じている。

ユーザから無理難題を要求される、出来るこ事と出来ない事を説明して、なんとか出来る範囲で納得してもらう。トラブルが起きる、応急対処をする。ユーザへの迷惑を最小にしようとする。

そんな立場の人間からすると科学や技術が万能ではない事は日々思い知らされている。

私のような場末の技術者ではなくても、最先端の研究者でも科学技術で全てが解決するなどといった「科学万能」なんて信じていない(と思う)。

科学者や技術者は科学万能なんて信じていない。

科学や技術で出来ることと出来ないことを区別している。

  *        *        *

中谷さんは、「科学万能」を批判しつつ脱原発を言う。一見、矛盾無いようだが、脱原発の方法として上げている(引用しなかった部分に書かれている)自然エネルギーは、実は、科学技術の塊なのだ。

太陽光発電には太陽電池が必要、これが科学技術の成果でなくてなんだ?

風力発電で使う風車の設計にも思う存分、最新の科学技術が使われている。LED電球が省電力だと大流行りだが、科学なくして存在し得ただろうか。効率的な電力ネットワーク(いわゆるスマートグリッド)はネットワーク技術なくしては成立しない。

  *        *        *

科学技術を批判し脱原発を言う。その方法として最新の科学技術の成果を使うような提案する。

矛盾してないか?

科学技術の発達で起きた問題を、さらなる科学技術の発展で解決する。そのことを私は非難しない。しかし、科学技術を非難しつつ、解決策を科学技術に求めるのは、おかしいと思う。

  *        *        *

脱原発・反原発を主張する方々は科学を批判しつつ科学に頼っていたり、感情的な意見でしかなかったり、事実を無視していたりすることが、原発推進派の方々よりも多いように思う(そのような言説を多く読む、と言うべきか)。

それが私が(消極的原発推進派であり)反・反原発派となった理由ではないか、と自己分析している。

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コメント

 同意。
 ところで、反原発・脱原発を主張する以前に、女川(おながわ)原発の話題が全く出てこないのはどういうことだろう。東北電力が所有し石巻にあるこの原発は、福島原発より震源地に近く津波の規模も大きかったと思われるのに、今回の震災でほとんど問題を起こしていない(つまり千年に一度の震災に完全に耐えた)。それどころか、余震の際には周辺住民の避難場所にすらなっていたという。
 両者の違いは、女川原発がやや高台に造られているという立地条件の他、福島原発=70年代のアメリカ製(GE)の技術で建設、女川原発=80年代後半の日本製の技術で建設という違いもある。福島原発事故の対策として、とくに老朽化したアメリカ製の原子炉を廃炉にし、日本製の原子炉に立て直すという案が全く出てこないのも奇妙と言うしかない。
 福島原発で設計上の問題が指摘された使用済核燃料棒の冷却槽の問題も含め(本来は別棟を建設する予定だったが、反対運動で頓挫)、不合理な反原発・脱原発の運動自体が、日本の原子力政策を歪め危険を増大させる一因になっている気がして仕方がない。

投稿: 傍観者 | 2011年6月15日 (水) 00時10分

同意

投稿: | 2011年6月15日 (水) 10時37分

原発は科学技術と言えるのでしょうか?
何か起きるのは人間が操作している限り起こることです。これはどんな仕事でも言えることです。しかしトラブルが起きたとき止めることが出来ないものが、はたして技術と呼んでいいものでしょうか。私にはとてもそうは思えません。
科学を拒否するのでなく原発の拒否です。たかが便利な生活をおくるということに、これほどの危険を伴うものを使うというのは、私は拒否したい。
一般家庭の電力使用量を30〜40%減らせば、企業も乗り切れるだろうし、来年以降、中規模発電所を増やせば十分に対応できると思います。
科学の成果云々というより、民族の将来に疵を残すようなものを使うべきではないと思います。
私は農本主義っぽい考えなので、今回の事故で米作りの生活を失った人がいると思うとどうしようもない感覚になります。子孫にまで影響するとおもうとどうしても感情的になります。

投稿: | 2011年6月15日 (水) 15時54分

ななしさん、こんにちは

> 原発は科学技術と言えるのでしょうか?
> 何か起きるのは人間が操作している限り起こることです。
> これはどんな仕事でも言えることです。しかしトラブルが
> 起きたとき止めることが出来ないものが、はたして技術と
> 呼んでいいものでしょうか。私にはとてもそうは思えません。

う~ん、トラブルを起こすものは全てダメだとするいと、世の中の大部分はダメになってしまいそう。例えば、ジェット機なんて飛んでるときに故障が起きたら、安全に止められなかったら(降りられなかったら)人の命に関わります。だから何重にも安全装置がある。それでも、時として安全に止められないことがあるのは事実。

> 科学を拒否するのでなく原発の拒否です。たかが便利な
> 生活をおくるということに、これほどの危険を伴うものを
> 使うというのは、私は拒否したい。

原発が危険なものであるのは事実なのですが、他のものが安全かと言えば、そうでもないと思うのですよね。昨年のメキシコ湾の原油流出事故は、一歩間違えれば、メキシコ湾が原油で覆われかねなかったですし(日本の近くには海底油田はありませんが)、アラスカ沖で巨大タンカーが原油を流出させた事もあります。同じような事故が日本の近くで起きたら(例えば東京湾の近くで巨大タンカーが事故を起し、原油が東京湾に流れ込んできたら)、どうなるでしょうか。

また、化学コンビナートだって事故を起こします。インドでは化学工場の事故で数千人が死んでいます。

それらの事故を思うとき、原発でさえなければ、とは思えないのです。

福島原発の事故が悲惨でないとも被害が大きくないとも言いませんが。

  * * *

> 私は農本主義っぽい考えなので、今回の事故で米作りの生活を
> 失った人がいると思うとどうしようもない感覚になります。
> 子孫にまで影響するとおもうとどうしても感情的になります。

自分も感情的に反応することがありますし、福島原発からのニュースを見聞きする度にストレスが溜まります。どこどこで何ミリシーベルトと聞くとドキッとします。

でも、それは、放射能という言葉のイメージと放射性物質が検出しやすいこと(ガイガーカウンターで一発ですから)によるものと思っています。検出されたらどうしても反応してしまいますから。

いまの社会の反応はやや感情的でやや過剰ではないか思っています。

投稿: 乱読雑記 | 2011年6月16日 (木) 00時21分

不同意

論点が、「科学的知見を使った科学的営為(原発)の否定」にあると理解しました、興味深いと思いましたが、結論は、不同意です。その理由は、本考察が「科学はクロ(悪)かシロ(善)かという議論=原発はクロかシロかという議論」という等値関係を前提としてなされているように感じたからです。もし違っていたらごめんなさい。ただ本文の筆者は、私たちは科学を「生きるためのツール」として扱えているのか?が問いとして置いておられるようにも感じました。

わたし個人は、本事故の結果生じた放射能拡散のデータが正確に開示されていないことは事実であると認識しています。測定は科学的営為ですが、開示するかどうかの決断は人間が行うものです。

危機介入理論というものが経験科学領域にありますが、運用するには「技術と態度」が要請されます。とても残念ですが、原子力発電所の関係者たちは、これまでたくさんのお金を使ってきたはずなのにこの「科学的理論の運用に要する技術と態度」を身に着けるには至っていませんでした。不誠実としか言いようがない。

原発の稼働は、現状の後始末ができた後にはじめて考えられる主題だとみなすのが、「(もうしばらく世の中で発せられることがないコトバですが)常識」というものだと思います。したがって、私個人の意見などどうということもありませんが、脱原発だとか反原発だとか原発推進だとか、いずれのポジションも今はとりません。

再稼働しないと経済的に餓死するというのであれば、私は餓死します。私と私の家族が餓死しても別にどうということはありませんから。大人の責任というのはそういうものだと思います。「お前はそれでいいんだろうが」とか「俺は子供のままでいい」という人も勿論いるでしょうが、「男は黙って〇〇ビール」でいきたいと思っています。あとは喧嘩しかないですね。

ただ、概ね10年くらい前から、わが国は乞食も餓死しない、「飽和社会」ではないかと感じています。

皮肉ではなく、こうしてコメントする機会をいただき感謝しています。お元気で。

投稿: 西川 | 2011年6月29日 (水) 16時21分

仮に殺人を声高に批判する人がどれだけ感情的であろうが、私は反殺人派にはなりませんよ。
もう少し、別の理由ではないですか?
危険を避けようという、彼らの反論できない、抗しがたい主張を苦々しく思うあまり、身振り手振りに難癖つけてるだけに見えますよ。
彼らが科学を非難しているのは何故か、そもそも本当に科学を非難しているのか、彼らの非難の矛先は科学そのものなのか、ほんのちょっと考えればわかります。
反反原発の主張をされる方の意見を聴きたいと思い読ませていただきましたが、
大声でアピールできるおいしいことがない引け目を、対抗者への揚げ足取りでごまかすような論調にグレイゾーンの私は少々残念な思いです。
つくづく、あれは危険なんだなぁ、この人も危険だと思ってるんだなって思っちゃいました。
ここをこれだけ、つきつめていけば、ここまで危険性を減らせるのにもったいない、とか、
そういう話が聴きたかったな~

投稿: 砂糖塩酢 | 2011年7月 6日 (水) 16時28分

西川さん、こんにちは

部分的に反応します。すみません。

> 再稼働しないと経済的に餓死するというのであれば、
> 私は餓死します。私と私の家族が餓死しても別にどうと
> いうことはありませんから。

私は「健康のためには、死んでもかまわない」とは思いませんので、餓死してまで脱原発しようなどとは思いません。

原発も脱原発も、人間の幸せの為にあると思います。子供を餓死させるような事には無条件で反対なのです。

投稿: 乱読雑記 | 2011年7月 6日 (水) 22時51分

砂糖塩酢さん、こんにちは

> 危険を避けようという、彼らの反論できない、抗しがたい
> 主張を苦々しく思うあまり、身振り手振りに難癖つけてる
> だけに見えますよ。

正しい判断をするためには、2つの方法があります。ひとつは自分自身が知識を持つことで、もうひとつは話し手が信頼できる人間か見抜く事です。

これは、どちから一つと言うことでありません。

原発について自分なりに勉強もしていますが、私のアタマで全てを理解できる訳がありません。となると語り手が信頼できるかも重要なポイントになってきます。例えば、今日のニュースで玄海原発の再開についての番組で、九州電力が(業者などに)メールでの投稿を求めていたとありました。こういった事は、九州電力の(つまり原発再稼働派の)信頼性を失わせる事に異論はないでしょう。

原発推進派は、すごく判り易いです。嘘も手口もシンプル。ようするに金で理解可能。

反原発派は、一見、かっこよくて、感情にも訴えて、でも立ち止まって考えてみると、怪しげな商売にそっくりで科学的根拠に乏しいって感じを持っています。

 ***

人間、話す中身だけでなく、見た目やイメージや実績も大事です。

投稿: 乱読雑記 | 2011年7月 6日 (水) 23時16分

今後は、IT上に文章を投稿する際には、揚げ足を取られないように作文したいと思います。本ブログを運営されている乱読雑記さんのご指摘に感謝します。

投稿: 西川 | 2011年7月 9日 (土) 22時23分

>原発推進派は、すごく判り易いです。嘘も手口もシンプル。ようするに金で理解可能。
>反原発派は、一見、かっこよくて、感情にも訴えて、でも立ち止まって考えてみると、怪しげな商売にそっくりで科学的根拠に乏しいって感じを持っています。

ようするに、ごくごく個人的な印象で
反反原発派になった、ということですね。

>怪しげな商売にそっくりで科学的根拠に乏しいって感じを持っています。

このような印象や感想がどこで発生するのか、
なにに対してそう感じるのか。

本物をわざと無視して
便乗してる怪しげな人たちを
わざとあげつらってそう言うのなら
簡単だけど、そういうことかな?
そんなことしてたら
悪徳金融会社や詐欺師、暴力団をあげつらえば
会社員って人種は悪人ばっかって
言えちゃうよ。

そういうこと?

>科学的根拠に乏しいって感じを持っています。

そういう書き方をすると、まるで
反原発と対照の推進派とかが科学的
みたいじゃないか。

原発は科学の応用を使っているけど
推進や擁護容認そのものや動機は、
科学とはあまり関係ないんじゃないかな?
「科学的に推進してる」とかさすがにそれは
ないと思うんだけど。

要するに、白いものを黒だと
言ってでも、反原発に反対したい
ってことなのかもね。

ふつうは、原発が安全か危険か、
賛成か反対か、というのが重要で
賛成してる人がどうだ
反対してる人がどうだ
なんて、どうでもいいもんね。

投稿: スペシウム | 2012年5月22日 (火) 17時59分

スペシウムさん、こんにちは

> ふつうは、原発が安全か危険か、
> 賛成か反対か、というのが重要で
> 賛成してる人がどうだ
> 反対してる人がどうだ
> なんて、どうでもいいもんね。

私は原発の全てを理解することはできません。しかし、日本の有権者のひとりとして判断しなければなりません。となると、話している人間が信用できそうかというのは大切な判断材料です。

ですから

> 賛成してる人がどうだ
> 反対してる人がどうだ
> なんて、どうでもいいもんね。

とは言えないのです。

投稿: 乱読雑記 | 2012年5月23日 (水) 23時07分

ありがとうございます。

なるほど

私としては
反反原発という曖昧で奇妙な立場
というものに、
どのような具体的根拠があるのか
そういう興味はありましたが

少なくとも貴方個人においては

なんとなく怪しいと思う、
というご自分の印象を
とりあえず正しい判断基準だと
決めつけたうえで、

反原発の訴えてる物事ではなく
話している人が信用できない。

だから、
反原発の訴えてることも
信用できない。
あるいはしたくないんだ。

だから、
私は反原発派になった。

そういうことですね?

もちろん、そんな非科学的な判断を
しておいて、反原発にだけ
科学的なものを求めることは珍妙ですし
矛盾してるし、根本的な間違いを
含んでいるので、
ここでの、あなたの
反反原発の立場という選択や、
反反原発としての主張に
なんの説得力もなくなるんですが

そういうことですね?

投稿: スペシウム | 2012年5月24日 (木) 09時56分

上の方の方が書いていた、女川の原発が無視されているのは恣意的だと思います。
それでいて、反対派は千年に一度の津波に耐えうる原発など存在しないと言っていますし。(女川は耐えたじゃないかと私はいつも突っ込んでますが)

それと、脱原発なら新しい火力発電所をたくさん建設していかないと行けないと思うのですが、新しい火力発電所建設という話は聞いたことがありません。
福一の老朽化した原発が事故を起こしたのですから、今フル稼働されている老朽化してメンテナンスもされない火力発電所は、大丈夫なんだろうかと不安に思います。

投稿: ひなげし | 2012年5月24日 (木) 15時16分

スペシウムさん、こんにちは

> もちろん、そんな非科学的な判断を
> しておいて、反原発にだけ
> 科学的なものを求めることは珍妙ですし
> 矛盾してるし、根本的な間違いを
> 含んでいるので、
> ここでの、あなたの
> 反反原発の立場という選択や、
> 反反原発としての主張に
> なんの説得力もなくなるんですが

私が最初にかいた記事の最後から引用しますね。

> 脱原発・反原発を主張する方々は科学を批判しつつ
> 科学に頼っていたり、感情的な意見でしかなかったり、
> 事実を無視していたりすることが、原発推進派の方々よりも
> 多いように思う(そのような言説を多く読む、と言うべきか)。
>
> それが私が(消極的原発推進派であり)反・反原発派となった
> 理由ではないか、と自己分析している。

私は私の科学に対する知識が、特に原発に関しての知識が、原発推進派にも反原発派にも敵わないと言う自覚があります。ですから、私を彼らに比べて非科学的というのは当たっているかも知れません。

私は、私の科学的知識や態度と反原発派のそれと比べているのではありません。私が比べているのは、反原発派の言説と原発推進派の言説のどちらが科学的であるか、合理的であるかです。

もちろん、私の知識は限られていますから判断ミスはあるでしょうし、自信なんてありません。しかし、判断しないといけない立場だから(有権者として考えないといけないから)考えた結果、原発推進派の方が納得できる。あるいは反原発派の方が胡散臭いと判断したということです。

投稿: 乱読雑記 | 2012年5月24日 (木) 22時30分

>原発推進派の言説が科学的であるか、合理的であるか
をどこで判断するのかな。
彼らの息のかかったデータを鵜呑みにしてるだけ
なんじゃないのかな。

経験も知識もない人が、自分の与する側の言い分を
もっともらしく見せる為に
科学とか、合理とか、それらしい文句を
勝手に結び付けてるだけのように見えるな。

原発だってそもそも、科学技術の結晶って言うけどいまだ垂れ流しを誰も止められてないし、
原子力の発電って言うけど、実際は
科学どころか自然にある川の水流ですら廻せる
タービンを回してただけだしね。

投稿: | 2014年6月17日 (火) 15時50分

ななしさん、こんにちは

>>原発推進派の言説が科学的であるか、合理的であるかをどこで判断するのかな。
>彼らの息のかかったデータを鵜呑みにしてるだけ
>なんじゃないのかな。

私は比較をしているのです。原発推進派と反原発はの言説を比較しているのです。

ですから、原発派が誤魔化す(「事故」を「事象」と言ったり)としても、反原発派も同じように誤魔化していないかを考えなければなりません。でなければ一人のウソツキから逃げたら、別のウソツキに捕まうかも知れません。

  * * *

「美味しんぼ」の「鼻血」のようなものを見せられると、東京電力の発表の方がまだマシと思ってしまうのですよ。


投稿: 乱読雑記 | 2014年6月18日 (水) 05時34分

>科学技術を批判し脱原発を言う。その方法として最新の科学技術の成果を使うような提案する。
矛盾してないか?

科学技術を批判しているのではなく、
科学技術の限界を心得ていて、その限界を低くしている人為的な部分を心配してるだけでしょう。

だから同じ科学の成果の中で、よりリスクの
少ない方を使いましょって話をしているんだと
思いますよ。

それに危険だからなくそうとか言うことに
矛盾があったら問題があるのは、
なくそうとすることで更に危険が増えたりする
その因果関係がはっきり証明できる場合だけですよね?

投稿: ゴジラ | 2014年6月20日 (金) 12時20分

返答ありがとうございます
ななしです。

>「美味しんぼ」の「鼻血」のようなものを見せられると、東京電力の発表の方がまだマシと思ってしまうのですよ。

僕が言ったのがまさにここ、
あなたはその「鼻血」は嘘だと判断している。
だから反原発派は嘘つきだと判断している。

貴方は事故後ずっと現地に住んでもいないし
こまめに現地に出向いて自分で直接
サンプルを採集してもいない。

ごく普通に考えるなら、
貴方はあの漫画が嘘だと断定することは
不可能なんじゃないかな?

あれを嘘だ、と判断するには、
その逆の「鼻血はない」という情報を
可能性を信じ切って、鵜呑みにしてないと
判断できない。

双方の言説を比較というけど、
比較の基準が最初から公平じゃないんじゃ
ないかな、貴方の場合。

原発だってそもそも、科学技術の結晶って言うけどいまだ垂れ流しを誰も止められてないし、
原子力の発電って言うけど、実際は
科学どころか自然にある川の水流ですら廻せる
タービンを回してただけだしね。

投稿: | 2014年6月24日 (火) 10時55分

ななしさん、こんにちは

 >貴方は事故後ずっと現地に住んでもいないし
 >こまめに現地に出向いて自分で直接
 >サンプルを採集してもいない。
 >
 >ごく普通に考えるなら、
 >貴方はあの漫画が嘘だと断定することは
 >不可能なんじゃないかな?

「この目で見たことしか信じない」という人へのジョークをひとつ。

あなたは自分の後ろ頭を見た事がありますか?(鏡とか使わないと見えないですよね)。直接、自分の後ろ頭を見たことがないなら、自分に後ろ頭があると信じられますか?

大部分の日本人は地球は丸いと信じていると思います。しかし、地球が丸いことを直接見たことがある日本人なんて数人です(宇宙から地球を見たことがある人間自体数が少ないですが)。直接見たことのない物事でも信じているのは不思議な事でもなんでもありません。

  *   *   *

「知っている・体験している」と「信じている」ことを区別できることが大事と思います。

  *   *   *

私は自分が公平であるように心がけてはいますが、実際に公平であるかどうかは判りません。

投稿: 乱読雑記 | 2014年6月25日 (水) 05時08分

私は、地球が丸いと信じているのと同じ程度に、美味しんぼの「福島で鼻血」は間違いだと信じています。

投稿: 乱読雑記 | 2014年6月25日 (水) 06時51分

どうもななしです。

>「知っている・体験している」と「信じている」ことを区別できることが大事と思います。

僕もそう思う。
なるほど、知りたかった事がわかりました。

地球が丸いということを
自分の目でじかに見たことがない人が
信じることももちろん「信仰」だね。

つまり貴方は、科学とはなんの
関係もない判断基準によって
反・反原発という奇妙な立場を
選んでいるということだね。

反原発を非科学的と言い
推進側が科学的とでもいうような言い方を
あなたがしているのは、
そういういわば、あてずっぽうの
「信仰」による判断の結果であると。


ちなみに僕は
福島じゃ放射能のせいで鼻血が出る、
ということを100%信じてはいない。
実際に見たことがないから。
単純な損得勘定で、伝えるリスクの大きい
情報により重きを置いているというだけ。

それに願望としては、福島の今後も、
低線量放射能被害も、たいしたことがない
という可能性を「信じ」たいと思っている。

貴方の選んで信じた方が現実であると
いいね。
これは皮肉でなくそう思うよ。


貴方は
「科学」という
貴方の判断基準とも原発とも関連性の低い
それらしい言葉でごまかさずに

比較というものをまったくしてないのに
比較をしている、などと嘘を書かずに

「わたしはなにはどうあれ推進側の情報を
信じていて、それに反する、
鼻血が出るなんてことは嘘だと信じています。
だから、そんな嘘をつく反原発に反対して
反・反原発になっています。」

と書くべきだったね、だって
その通りなのだから。

このように素直に書いてあれば、僕もアレ?とは
思わなかったと思うよ。

だって、反対側の見解に対して攻撃的になるのは
自分の与する側の情報を、実は信じ切れてない証拠でもあるしね。

投稿: | 2014年6月26日 (木) 16時27分

もちろん、
いち漫画家や、
デモ行進をしている連中に混じっている
一部の連中は単なる個人であって
反原発そのものでもなんでもない。

そんな連中の印象で、
「反原発」に反対する立場を選ぶ
って言うのは、すごく珍妙だよね。

投稿: | 2014年6月26日 (木) 16時30分

貴方は火事場で消火活動を行う
消防士の方の中に
ひどい奴がいたら
消化活動に反対するの?

投稿: | 2014年6月26日 (木) 16時33分

ななしさん、こんにちは

比較はしていますよ。生まれたときは、誰でも真っ白ですから。誰もがいろんなものを取捨選択しているんですから。原発も反原発も知らなかった時代は私にもあるんですよ。

それと、行動には副作用がつきまといます。原発に原発事故という副作用があるようにね。避難の呼びかけやリスク情報の広報には、避難ストレス・風評被害の可能性という副作用がつきまとます。

効果と副作用を比べる頭を持ちたいものだと思います。


投稿: 乱読雑記 | 2014年6月27日 (金) 06時24分

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