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2011年7月25日 (月)

寛容な社会と民主主義は両立しないのではないか

寛容な社会と民主主義は両立しないのではないか

西日本新聞 社説:オスロ連続テロ 寛容の社会を襲った試練
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/255127

欧州では近年、アラブ・中東からのイスラム教徒の移民が増えている。これに対し、文化・社会習慣の同一性が失われることを警戒し、移民排斥を訴える右派政党が各地で勢力を伸ばしている。そうした中で、ノルウェーでは労働党の現政権が比較的寛容な移民政策を維持していた。こうした国内情勢が今回のテロの背景にあったのか、解明が待たれる。

ただ、いずれにしても、テロに走る人間の心には、偏った思想に根差す独善と、自分と違う価値観を持つ集団に対する非寛容が横たわる。市民意識の成熟した北欧にさえ、その非寛容が侵食していたことが衝撃なのである。

ノルウェーのストルテンベルグ首相は事件直後の記者会見で「暴力に対する回答は、より強固な民主主義であり、人道主義だ」と語った。この言葉への共感と応援の気持ちを伝えたい。

今回のテロはノルウェーのみならず、寛容に基づく世界の理想主義が直面する試練である。社会が非寛容の闇に陥るのを防ぎ、暴力の芽を摘んでいきたい。

そもそも「寛容な社会」というものが可能なのかという疑問もあるのですが(無限に寛容であれば、この殺人犯に対しても寛容な精神で受け止め、無罪にしてみてはどうでしょうか)、私は「寛容な社会」や「多文化主義」と民主主義は両立しないと思っています。

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「寛容な社会」や「多文化主義」と言いつつ「ナントカ教に基づく」といった制限があれば、民主主義と共存可能です。しかし、その場合は、制限付きの「寛容な社会」や「多文化主義」であって、その制限を言わないとしたらゴマカシに過ぎません。

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民主主義の実践には「寛容」さが求められます。しかし、人間の寛容さには限界があります。話し合って結論を出す、その結論が気に入らない時もあるでしょう。多数決で結論を出す、つまり「(全会一致でなければ)否定された少数派」が存在するのです。

自分の意見を否定された人間がいるというのが民主主義社会での当然の帰結です。

その自分の意見を否定された人間が暴力や実力行使に訴えない為には何が必要なのでしょうか。

それは寛容の精神ではありません。

否定された人間に対して「寛容であれ」と言うのでしょうか。それを言ってしまったら、少数派へのイジメにしかなりません。

必要なのは、どんな結論が出るにせよ、その結論が少数派にとっても我慢できる程度に止まるという事です。逆に言えば、民主主義社会を構成する人間の価値観がある程度の幅に統一されていると言うこと。

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身も蓋もない言い方をすると、民主主義社会を維持するためには、構成する人間を洗脳してでも、構成員の価値観を(ある程度の幅に)統一しておかねばなりません。

さて、こんな社会を「寛容な社会」や「多文化主義の社会」と言えるでしょうか。

民主主義社会は、根本的な部分で、寛容でも多文化でも有り得ないと私は思います。

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コメント

 今回のエントリーを言い換えると、民主主義(さらに国民経済)の発展には、「健全な」ナショナリズムが必要不可欠だということでしょうね。リーマン・ショック以降、原子化された個人が国家や民族を越えて活動する世界をモデル化したグローバリズムが破綻し、世界中でパラダイム・シフトが起こり始めているということだろうと思います。
 グローバリズムに基づいて外国人労働者を受け入れてはみたものの、不況になれば真っ先に切られるのは、質の低い外国人労働者です。これらの人々が素直に自国に帰ってくれればいいのですが(スペインなどでは、金を支払って帰国を要請したものの、半数以上が居残ったままだそうです)、居座られれば社会保障費を負担しなければならなくなります。自国民ですら、10%を超える失業率に喘いでいる時に、なぜ外国人にまで社会保障を支払わねばならないのか。偏狭で自分勝手だとしても、国民には当然沸き起こる感情でしょう。
 日本では、いまだにマスコミや経済界の一部に外国人労働者の積極的な受け入れを推進しようとする動きがありますが、この場合、外国人労働者に関わる社会保障費用および家族の教育援助や住宅援助等はすべて受け入れ企業が負担すべきだとしても、外国人労働者を受け入れようとするでしょうか。本質的な問題点はそこにあると思うのですが。

(参考)
「国力とは何か」中野剛志著 講談社現代新書

投稿: 傍観者 | 2011年7月26日 (火) 17時12分

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