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2011年7月16日 (土)

ベトナムは強気に出るべき

ベトナムは強気に出るべき

レコードチャイナ:中越領海権問題は「次世代に棚上げすべき」—中国社会科学院専門家
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=52814&type=1

2011年7月13日、ASEAN(東南アジア諸国連合)問題に詳しい中国社会科学院の王玉主(ワン・ユージュー)氏は、このところ南シナ海南沙諸島(英語名:スプラトリー諸島)の領有権をめぐって緊張関係を深めている中国とベトナムに関して、「衝突には至らず、次世代に向けて問題を棚上げすることは可能」と論じた。人民日報の報道。

中国が「次世代に向けて問題を棚上げする」などと言うときは、「いま戦うと(言論にせよ、武力にせよ)、負ける(勝てない)」と言うことです。

尖閣諸島での日本の失敗(中国が改革開放を始める前に、少数の部隊で良いから自衛隊か海上保安庁の部隊を置いておくべきでした)を見ると、ベトナムはいま暫くの間、強気に出るべきと思います。

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1972年版 中経出版『日本の歩みと世界』(監修:豊田武)より 
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4世紀の後半になると、大和朝廷は、朝鮮半島に勢力を広げた。そのころの朝鮮半島には、北に高句麗、その南に新羅と百済が国を建てていた。大和朝廷は、まとまりの遅れていた南の任那をおさえ、そこを足場に、一時、百済・新羅を従えて高句麗と戦った。
いっぽう、5世紀には、中国が南と北とに分かれた(南北朝時代)。大和朝廷は、朝鮮半島南部における日本の立場を認めてもらおうとして、南の王朝にたびたび使いを送った。
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つまり当時の朝鮮半島南部の多くの地域は、日本の支配下にあったということ

その後はどんな風に教えられるようなったか。
以下は小学館の『日本歴史館』(1993年発行)という分厚いカラー図鑑の記述から。
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倭は朝鮮半島内での対立構造によって、その援助が強く期待されることが多く、積極的にその対立に関わった。およそ6世紀の初めまで、そうした構造は維持される。
倭国はそのような関係のもとで、伽耶の南部諸国および百済から先進の文化・技術を入手し、その見返りとして兵力を提供した。そうした出兵で、朝鮮半島内の抗争に巻き込まれることになるが、およそ支配を及ぼすような関係ではなかった。

・・・日本では『日本書紀』の記事のままに伽耶諸国を“任那”ということもあるが、それは本来の正しい用法ではなく、伽耶の一国(金官国)の別の呼び方にすぎない。
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倭国が朝鮮半島に支配を及ぼしていたどころか、進んでいた半島の技術を入手するため倭国が兵力を提供したとか、それまでの日本における歴史観から180度転換

上田 正昭(うえだ まさあき、1927年4月29日 - )は兵庫県出身の日本の歴史学者。
京都大学名誉教授、大阪女子大学名誉教授、西北大学名誉教授。勲二等瑞宝章。修交勲章崇禮章(韓国から)。
門下生に千田稔(国際日本文化研究センター名誉教授)、和田萃(京都教育大学名誉教授)、井上満郎(京都産業大学教授)、灘本昌久(京都産業大学教授)、田中俊明(滋賀県立大学教授)などがいる。
教科書に竹島を記述することについては「するべきでない」と発言。
八木晃介、水野直樹らと一緒に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人となっている。

投稿: 22 | 2011年7月16日 (土) 11時03分

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