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2011年10月11日 (火)

犠牲者なしに出来るのであれば

犠牲者なしに出来るのであれば

ニコニコニュース:精神科医の香山リカ、脱原発へ「後戻りする勇気を持ちたい」
http://news.nicovideo.jp/watch/nw127556

呼びかけ人の1人である香山リカ氏は、脱原発し、経済的豊かさから「後戻りする勇気」について語り、「女たちの会」にする意義についても述べた。

「女たち(の会)、ということで、女も男も関係ないんじゃないの、なぜ女たちでやらなきゃいけないの、という気もちょっとするが、いまだに日本の男性たちは成長幻想、前進幻想に取りつかれている。後戻りをする勇気を持ちたい。原発を手放し、もしかすると、電力使い放題の豊かな生活から一歩撤退するかもしれない。あるいは経済的な繁栄を、少し手放さないといけないかもしれない。そういう意味ではもしかしたら、後戻りかもしれないけど、でもその勇気を持つことで、本当の意味で命とか、私たちの安心した生活という豊かさが手に入るのであれば、喜んで後戻りをしようじゃないか。そういった勇気を持てるのは、まだ日本の社会では、私はやはり女性たちの方だと思い、今回この会に参加させていただいた」

安心した生活には価値がある、それは認める。しかし、犠牲なしにはやれるのだろうか。

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「原発を手放し、もしかすると、電力使い放題の豊かな生活から一歩撤退するかもしれない」

今はだいぶ良くなったけれども、電車に乗ろうと駅に行くと暗い場所が所々にあった。自分の眼は悪くはないけれども、それでも暗くて微妙なストレスだった。歳をとって眼が弱くなって暗い所では見づらくなったら、微妙なストレスどころではなく事故(躓いたり人にぶつかったりして転倒したり)になるかも知れない。

「電力使い放題の豊かな生活」のおかげで安心安全を得ている人もいるのではないか。そんな人達に取っては、「電力使い放題の豊かな生活から一歩撤退」した生活は、決して「安心した生活」ではないだろう。

誰かの安心の為に、誰かの安心を犠牲にする。その構図は原発容認でも脱原発でも変わらない。

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「私たちの安心した生活という豊かさが」の為に何が誰が犠牲がなるか、それを考えなければならない。

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原発を止める。あるいは、「電力使い放題の豊かな生活」を手放す、あるいは「後戻りをする」。

これは不景気になるってことだ。

不景気なれば自殺者が増える。

ある自殺者と原発の停止は結びつかないかも知れない。放射線による被害と同じように確率的にしか結びつかないかも知れない。でも、不景気になれば自殺者が増えることは確かだ。

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原発を止めても、あるいは不景気になっても犠牲になる人を出さない方法があるのかも知れない。そんな社会が有り得るのかも知れない。そんな社会であるのなら「安心した生活」の為に「後戻り」したり「豊かな生活」を手放したりすることに反対しない。

しかし、誰かの「安心した生活」の為に犠牲になる人が出ることを意識しない訳にはいかない。

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脱原発を言い後戻りを是認するならば、犠牲者が出ることを覚悟すると言うか、あるいは犠牲者が出ない方法を提案して欲しい。

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