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2011年10月23日 (日)

「格差は問題ではない」のおまけ

「格差は問題ではない」のおまけ

10月18日に「格差は問題ではない」という記事を書いた。

追加で思った事を少しばかり書く。きちんと纏まってはいないし、ネガティブなこともあるので、不快な文章になるかも知れない。時間がたって考えが変わった部分もある。考えを吐き出しただけ。おまけに長文。

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10月18日の記事の最後の文「本質は、失業問題、景気の問題だ」は、誤解を招くと言うか正確ではない。

「課題は、解決するべきは、失業問題・景気の問題だ」と書くべきだったかも知れない。題名も「格差は問題ではない」とするよりも「失業と貧困こそ問題だ」とした方が良かったかもしれない。

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何故、解決するべきは失業問題・景気の問題で、格差の問題ではないのか。

これは自分自身が失業を怖がっているからかもしれないが、以下のようなことを考えて欲しい。同意していただける方は多いはずだ。

失業して経済的に困窮している人間の前に神様か悪魔が顕れて、「どちらかの願いを叶えてあげる」「金持ちを、全部、あなたと同じに失業者にする」か「あなたに十分な収入を得られる仕事を世話してあげる」のと「どらが良い?」。

もちろん、最初のは格差の解消で、ふたつめは失業や貧困の解消だ。

私は失業や貧困の解消を選ぶし、多くの方も同じだと思う。

もちろん、失業問題や貧困問題を解決するために格差を小さくする無することが求められる事はあるかもしれない。

しかし、目標や結果の評価は失業問題や貧困問題であるべきだ。でないと、格差は解決したけど飢え死にしましたってことになりかねない。

病気は治すが患者を殺すような事になってはならない。

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そもそも、格差を無くすことは可能なのだろうか。

共産主義は所有という面では格差を無くしたが、立場や権力という面では格差を残した。

共産主義についてのイメージ。

「革命はなった。この国にあるもの全ては、すべての国民の共有財産となる。これまで資本家が所有していたものもだ」

「しかし、モノは利用してこそ価値がある。利用の仕方は、きちんと判った人間が判断し決定するべきだ。教育のない、また、国家運営に関わった経験のない人間には無理だ」

「だから、政府が(権力者が)決める」

「そこの人、その着ている服も国家の財産なんだ。国家の財産の扱い方は政府が決めるのだ。貴方は国の決めた方法で着る義務がある。それから、貴方の家には、政府の認めていない服はないでしょうな」

「個人の所有は認めない。財物の使用方法や利用者は政府が決める」

「資産家はいなくなった」

「個人の自由も財産もなくなった」

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体制側、政府、既存の制度。こういったものは庶民を搾取する、搾取という言葉が良くなければ、犠牲を強いることがあるのは事実だ。

現場で働く者、犠牲になる者、そして、労働と犠牲の上に果実を得る者。

既存の体制側にこういった者達があることは事実で、見えやすい。

では、反体制側にはこういった問題はないのか。

いや、見えにくいだけであるはずだ。

人間、2人いれば駆け引きがあり、3人いれば政治があるのだから。

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菅前首相は、4列目の男と言われたそうだ。

デモの時、先頭に立と警官隊とぶつかる。怪我をする。逮捕される。

菅前首相は、逮捕されない4列目にいた。

デモの先頭に立つ者、警官隊や対立するデモ隊とぶつかる者、標的にされて逮捕される者(味方が「標的に仕立てあげる」ことだってある)、そして、後ろにいて首相まで上り詰める者。

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どんな組織や社会にも立場や格差はあって、良い目を見るヤツ、貧乏くじを引かされるヤツがいる。

格差の無い社会を私は知らない。

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今回のデモは何故「格差」を問題にしたのだろうか。

何故「仕事をくれ」と言わなかったのだろうか。

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ここから根拠の薄い意地悪な(悪意があるようにも読める)ことを書く。

何故、反格差デモであり、失業問題・貧困問題デモではないのか。

もし、失業問題や貧困問題を主題にしてしまったら、経済学者と論争をしなければならなくなる。デモだけではダメで論争もしなければならなくなる。何故なら失業問題は経済学で取扱い得る問題だから。必ずしも正しい答えを出すとは限らないし、そもそも意見の一致をみないかもしれないが。

失業問題や貧困問題を主題にしてしまったら、デモだけしてる訳にはいかなくなる。そして論争に負ける可能性もある。大企業のシンクタンクや大学にいる経済学者だって出てくるかも知れないんだから。

デモしたい、政治運動をしたい、こういった事が目的化していたら、失業問題よりも格差の問題の方がやりやすいのではないか。

以上、憶測まじりの意地悪な(悪意があるかも知れない)見方でした。

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人間は差異が小さくなれば、細かい差異を問題にするようになる。

格差はどこまでいっても無くならない。

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現代においては、個々人の生産性には大きな開きがある。電子化情報化された社会では、物理的労働の割合は小さくなり、情報を生産したり扱ったりする労働の割合が大きくなる。

肉体的な面での能力差、これは個人間で大きくても2~3倍しか違わない。子供と大人の差とか男女の差はもっとあるかも知れないが、同じ様な年齢や性別であれば、大きくは異ならない。

例えば運べる荷物の量が個々人でどれくらい違うだろうか。百人力なんてのはお話の中にしか存在しない。

でも、情報を生産したり扱ったりする能力は2~3倍どころではなく異なる。

漫画家や小説家、歌手や俳優、スポーツ選手、科学者、技術者、芸術家、コンサルタント、経営者こういった方々の能力差はいったいどれくらいあるのだろうか。

漫画家Aが1日がんばって書いたマンガ、別な漫画家Bが1日がんばって書いたマンガ、同じ価値なんて事は有り得ないし、何十倍、何百倍、何万倍と価値が違っていても不思議ではない。

経営者やコンサルタントも産み出す結果の価値は決定的に異なる。

会社をキチンと運営できる経営者と倒産させる経営者、結果の異なる2人の生み出した価値が同じだなんて事は有り得ない。

そして、世の中の労働において(個人間の格差の少ない)肉体的な部分は減り、(個人間の格差の大きい)情報を生産したり扱ったりする部分が増え続けている。

個々人の産み出しているものの価値の格差は、昔に比べて大きくなっている。

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私達は、能力の種類も大きさも千差万別の人々がいる社会に住んでいる。もちろん産み出す結果も千差万別な人々がいる社会に住んでいる。

その結果をストレートに個人に反映したら悲惨な結果に直面する大部分と、とんでもない富を手にする少数に別れるだろう。

それで良いとは思えない。

結果の再配分が必要だ。

でも、再配分しても格差は残る。

そして、再配分の方法を間違えると共産主義のようになって、自由は無くなり、社会全体が沈む事になる。

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