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2011年12月23日 (金)

価値観の多様化と共感の喪失

価値観の多様化と共感の喪失

しんぶん赤旗:命削る生活保護老齢加算廃止 最高裁は生活実態みて
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-12-22/2011122215_01_1.html

東京訴訟の原告団長、横井邦雄さん(83)は「社会保障費を削る目的で一番弱い立場の老齢加算を全額廃止した。予算削減が目的なら、他に削るべきところがあるはずだ」と強調しました。八木明さん(85)は「長年、旅行も映画も行けない文化的な生活とは無縁だ」と話し、老齢加算の復活を求めました。

私は自分の生活を「文化的な生活とは無縁だ」とは思っていないが、田舎帰る以外の旅行なんて何年も行ってない、最後に映画に行ったのは何年前かも思い出せない。

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自分は生活保護を受けていない。幸いな事に働いていて収入がある。でも旅行や映画にあまり縁の無い生活をしている。

だから、生活保護の方が「旅行に行けない」や「映画に行けない」と訴えても、ぜんぜん心に響かない。ネットに接続出来ないとか、ブックオフの100円コーナの本が買えない、って訴えられたら心に響くだろうけれど。

これは価値観の問題、感覚の問題。

価値観が多様になった現代では、生活保護の方が「○○が出来ない」と訴えても、それの価値を認めていない人にとっては「だから?」だろうし、場合によっては「自分も我慢しているのに」になってしまう。

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そう言えば、2~3年前に、月に1度、お寿司を食べたいと生活保護の加算を要求しているニュースを見た記憶がある。食べ物も十分に文化であるから「最低限度の文化的な生活」にお寿司が入っても悪いことじゃない。自分の子供の頃と比べてお寿司は安くなった(回転寿司のおかげだ)。だけど、お寿司は特別な場面でしか食べないものと思っている方や、贅沢な食事の代表と思っている人もいる。

そんな方にとって、月に1度のお寿司を要求する事は、行き過ぎた要求にしか思えないだろう。

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生活保護の増額を要求するとき「○○が出来ない」という訴え方は無効化しつつある。いや、逆に非難を誘発しかねない状況になりつつある。これも価値観の多様化のひとつの結果なのだろう。

誰かの要求に共感することが難しくなっている。

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コメント

どうもはじめまして。生活保護もらっている人に思うんですけど、彼らは暇があるんだから、金がかかる事よりも時間がかかる道楽を追求したらと思います。雇われ人は、そこそこに所得を得ていても、その代わりに時間を犠牲にしているのです。そして、休む日だって自分で必ずしも決められる事はできないのです。こんな有様では、雇われ人とても容易に旅行なんて企画できないじゃないですか。

投稿: DUCE | 2011年12月23日 (金) 19時29分

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