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2012年4月28日 (土)

判断は比較なのです

判断は比較なのです

データマックス:山本太郎氏インタビュー~「今年、廃炉が決まらないなら僕は日本を出る」(後)
http://www.data-max.co.jp/2012/04/27/post_16445_dm1739_1.html

――3.11から1年経つのに、それでもそういう現状に対して見て見ぬ振りをしたり、無関心である人は少なくないと思います。

山本太郎氏(以下、山本) あのような過酷事故から1年が経過して、それでも立ち上がれないと言うならば、「もう立ち上がらなくて良いですよ」、そう言いたいです。だけど、間違いなく汚染は広がっているし、地震の活動期に入って大きな災害が来る確率が高まっているわけです。そして、3.11でそういった災害に対する原発の対策が、まるでデタラメだったとハッキリしたわけです。だとすれば、第2のフクシマがいつ起こってもおかしくない。それでも、無関心でいられるのでしょうか。

原発が良いか悪いかと問うことは無意味だ。だって神様が決める善悪ならともかく、人の行為の善悪は比較によってのみ決まるのだから。

つまり「原子力で発電することは化石燃料を燃やして(CO2排出などの)環境問題を引き起こすことと比べて良いか悪いか」とか「放射能で死んだ人間と(大気汚染による)喘息で死んだ人間はどちらが多いか少ないか」とか「原発を止めたまま今年の夏に突入した場合のリスクと原発を動かした場合の事故のリスクとどちらが高いか」などと問わねば、意味が無い。

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私だって原発だけを取り出して、好か好まないか安全か危険か、と問われたならば、原発を好まないし絶対安全とは思わないと答えるだろう。しかし、原発を止めたままのリスク、停電のリスク、企業活動が滞ることによる失業のリスク(失業のリスクは死のリスクだ)を考えるときに、原発を動かしたほうがマダマシという答えになる。

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「あのような過酷事故から1年が経過して、それでも立ち上がれないと言うならば」

それでも尚、日常が大事なのです。その日常を原発が支えていたのです。立ち上がらない理由は、脱原発した社会が(いまの社会と比べて)幸せな社会だと思えない(脱原発の方々が説得的なビジョンを示せていない)からです。

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人間は比較で考えます。ひとつのものだけを提示して、選択を迫るのは、怪しげな商売をする方々(とは言わないまでも強引な営業方法)です。

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