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2012年7月16日 (月)

会場で騒ぐバカ

会場で騒ぐバカ

中日新聞:発言者に東北電幹部 原発比率聴取会
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012071690012234.html

政府は15日、将来の原発比率について国民の意見を聴く2回目の意見聴取会を仙台市で開いた。抽選で選ばれた9人の発言者の中に、東北電力や原発推進団体の幹部2人が含まれ「原発が不可欠」など従来通りの主張を展開した。会場から批判の声が上がった。

聴取会は、政府が提示した2030年時点の原発比率(1)0%(2)15%(3)20~25%の3案に対し、抽選で選ばれた各3人が意見を述べる形式。この日は進行側の手違いで、0%案4人、15%案2人、20~25%案3人だった。



広く国民の意見を聴くはずの会が一転、原発推進団体の会と化し、参加者からは「被災者をばかにしているのか」など非難の声が上がった。司会者が「お静かに」を連発するが、会場の怒りは収まらず、一時中断した。



岡信、関口両氏は取材に対し、会社や組織からの依頼で応募したことを否定した。

こういう会場で騒ぐ方々を見るたびに嫌な気持ちになる。話し合いの基本が出来ていないように見える。

  *        *      *

「抽選」で選んでいるんだから、そういう方が選ばれても仕方ないじゃないか。そういう方が選ばれるのが嫌なら「電力会社の意見は聞きません」とする意見聴取会を開くべきなんだ(現場に近い立場の意見を無視することになるけど)。

  *        *      *

こういう抗議しかた(会場で騒ぐこと、現場の意見を無視したがること)も、反原発・急進的な脱原発派の方々に共感出来ない理由のひとつだ。

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コメント

2012.07.15
グローバルリスクについて

常磐大学のこども教育学科の新設記念の記念講演で、学校教育とグローバルリスクについて話してきたら、翌朝の毎日新聞に西水恵美子さん(元世界銀行副総裁)がグローバルリスクについて書いていた。
西水さんはブータンが人口70万の小国であり、かつ多民族・多言語国家でありながら、よくその国民的統合を保ち得たのは、先王雷龍四世の国民国家観が堅牢だったからだとみている。
王は1989年の勅令にこう記している。
「国家固有のアイデンティティーを守る以外、独立国家の主権を擁護する術を持たない。富や、武器、軍隊が、国を守ることはできない。(・・・)異邦文明を避け、我らの文明を献身的に責任を持って慣行とせねばならない。」
よく知られた「国民総幸福」(Gross National Happiness)という概念はこの王の提唱したものだが、「文明の持続的発展を国政の中心に置く」ものである。
日本の国民国家としての危機はまさにこの「国家固有のアイデンティティ-」を企業収益の増大のために、ほとんど捨て値で売り払いつつあることによる、というのが西水の診断である。
「日本にはその逆、政治と経済の低迷に後押しされる人材流出が国家経済を空洞化するリスクがある。(・・・)この数年来、スーパーシチズンという呼び名の国籍を超越する中産階級が、世界中で増えている。人作りが国作りではなくなる21世紀のグローバルリスクだ。その到来にわが国の政治家は気づいている様子はない。」(毎日新聞、7月15日)

続きは、
内田樹氏のブログにて
http://blog.tatsuru.com/

投稿: 貼り付け | 2012年7月16日 (月) 11時39分

日本語には、時制がない。だから、日本語は、現実を表すための言語である。
日本語は、実況放送・現状報告のための言語であるといえる。

理想は、非現実の内容である。
現実を表す言語を使って非現実の内容を示すことは難しい。
現実構文の中の非現実の内容は、すなわち真っ赤なウソになる。
つまり、話にうつつ (現・現実) を抜かしたことになるのである。
だから、日本人は、非現実を述べることもなければ、考えることもしない。
すなわち、無哲学・能天気の状態になっているのである。

日本語を使って非現実を伝えようとすると、悪意はなくとも、すくなくとも絵空事にはなる。これは、漫画の世界である。
理想にはならずして、空想になる。だから、日本人は、なかなか真面目な態度にはなれない。
理想は常に想定外になる。

金は手段か、目的か。
理想が目的にならないならば、金はその手段にはなりえない。
我が国においては、金は限りなく究極の目的に近い。
これは、人生の間違いである。政治の間違いにもなっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


投稿: noga | 2012年7月16日 (月) 13時49分

金は手段か、目的か。
理想が目的にならないならば、金はその手段にはなりえない。
我が国においては、金は限りなく究極の目的に近い。
これは、人生の間違いである。政治の間違いにもなっている。

この世は仮の世である。
まっとうな世の中は、もっと別のところにある。
私は、この世をもっと良くしてから、そちらの国に旅立ちたい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年7月19日 (木) 03時47分

所詮、この世は仮の世である。
私の考える真っ当な世の中は、もっと別のところにある。
私は、この世をもっと良くしてから、そちらの国に旅立ちたいと願っている。
日本のことも夢のまた夢となる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年7月20日 (金) 02時03分

日本人は自己を見失うことなく英米流の高等教育をも身に着けるべきである。
この教育は、大人のための英語の再教育である。子供にはできない。
さすれば、自己について説明することが可能になる。英米人と対等に議論もできる。
日本人は、世界の人びとにも多大な貢献をすることが可能になる。

投稿: noga | 2012年7月21日 (土) 21時33分

「我々は、どこから来たか」、「何者であるか」そして「どこに行くのか」という三つの質問は、三つの独立した世界の内容に対応している。
これらの三つの世界の内容は、時制よって、過去・現在・未来の三つの独立した世界の表現形式で表される。

文章がなければ、主張の中から矛盾は取り除くことはできない。話は、ちゃらんぽらん・出鱈目になる。
時制がなければ、日本語のように、話の内容は実況放送・現状報告のようなものになる。つまり、現実 (現在) を表す言葉となっている。
非現実の方は、夢 (未来)・幻 (過去) のようなものになる。
不透明で不安な未来と風化の激しい過去は、まさに夢・幻の (日本) 人の世の中である。

所詮、この世は仮の世である。
私の考える真っ当な世の中は、もっと別のところにある。
私は、この世をもっと理想に近づけてから、そちらの国に旅立ちたいと願っている。
この世のどこかにとどまって、草葉の陰に隠れてじっと日本を眺めていることもない。
日本のことも夢のまた夢となる。

意思のあるところに罪がある。
子供・アニマルには罪がない。
殺意を持つと殺人罪になる。
殺意がないので、人は死んでも、死刑執行人は罪に問われることがない。

意思がないところには責任もない。
この国がひっくり返った時にも責任者はでなかった。
とかく、この世は無責任。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年7月24日 (火) 03時24分

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