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2012年7月19日 (木)

はやり、「福島の事故で放射能の直接的な影響で亡くなった方はひとりもいません」というのは正しい

はやり、「福島の事故で放射能の直接的な影響で亡くなった方はひとりもいません」というのは正しい

J-CAST:原発意見聴取会もヤラセ?電力会社社員「原発どんどん作れ。福島で死んだ人いない」
http://www.j-cast.com/tv/2012/07/17139467.html?p=all

彼はさらに終わってからも記者たちに「このままだと本当に日本がダメになる」「脱原発というミスを心配している」と話していた。いつものことだが、記者たちはだれも有効な反論はしなかったようだ。福島では老人施設から強制的に避難させられる中で、何人が死んだか知ってるのか。また、これから福島第1の作業員から被害が出ないとどうして断言できるのか。疫学はただの統計数字にすぎないんだよとだれも聞かなかった。

引用元の記事の筆者は、意見聴取会での発言「福島の事故で放射能の直接的な影響で亡くなった方はひとりもいません」という発言に反発しているが、引用した部分を見ると実質的な部分で有効な反論はできていない。

「福島では老人施設から強制的に避難させられる中で、何人が死んだか知ってるのか」

避難によって死者が出ているのは事実でしょうが、これは直接的な放射能の影響ではありません。原発事故に限らず災害が起きて、避難しなければならなくなった時には、どんな場合でも起きうることです。さらに言えば過剰に避難したが故の死もあったかも知れません。

「これから福島第1の作業員から被害が出ないとどうして断言できるのか」

はい、確かに福島第一原子力発電所内部では意図しない(予想外の)被爆は有り得ますし、それによる死者の可能性は否定できません。しかし、こういった可能性が引き合いに出てしまうほど、敷地外は安全だということです。

「疫学はただの統計数字にすぎないんだよ」

あぁ、つまり、あなたは事実や科学ではなく、感情を爆発させているだけなのですね。

でも、事実は事実です。

死者はいません。

あれだけの大事故が起きても死者が出ないのが原子力発電所なのです。

  *        *        *

感情的になるのは結構ですが、感情で事実は変わりません。

  *        *        *

蛇足ですが、民主主義では最終的には「数の暴力」つまり採決や投票で結論を出しますが、それに至る討論の部分では少数意見を尊重しなければなりません。原発推進派が少数派であったとしたら、むしろ、その意見を聴かねばなりません。

自分達は多数派だから少数派の意見なんか聞く必要がないというのでは、民主主義は成り立ちません。

多数意見反映しない発言者抽選

そもそも、発言者の選び方からして意見聴取というようなものではなかった。名古屋で発言の意思表明した161人のうち「0%」支持は106人、「15%」が18人、「20~25%」は37人。「倍率」がまったく違うのに、機械的に3人を選んだだけだった。参加者は「公平性が保たれていない」「一番びっくりは中電の社員がいたこと」という。

少数派に(人数比よりも多くの時間)意見を述べさせる形式は、民主的であり正しいと思います。最後は「数」で決めるのですからね。

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