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2012年8月 8日 (水)

いくら待っても被害は「風評」によるものばかり

いくら待っても被害は「風評」によるものばかり

信州毎日新聞 社説:原発の在り方 広島と福島の現実を軸に
http://www.shinmai.co.jp/news/20120807/KT120806ETI090003000.php

富岡町から避難している司法書士の渡辺和則さん(38)は、名古屋市の聴取会で中部電力の社員が「原発事故で放射能の直接的影響で亡くなった人は1人もいない」と述べたことに怒りを覚え、意見の表明を決意したという。

「どれほど多くの人が避難中に亡くなったか、いまも、バタバタと倒れて亡くなっているか」「将来を悲観して自ら命を絶つ人が後を絶ちません。本来なら、もっと長生きできた命が失われている」と訴えた。

浪江町で米作りをしていた松田孝司さん(60)は、仮設住宅で暮らしている。用意した文章を細野豪志環境相らに向かって、切々と読み上げた。

「先祖代々の土地を守り生きてきた人生の生きざま、これから後世に伝えるべき過去や未来も全て失い、先も見えず町民も皆ばらばらになってしまいました」「故郷を失った悔しさ、分かりますか、あなたたちに。できることなら元に戻してください」

広島や長崎の被爆者には差別を怖れて被曝した事実を隠した人がいるそうだ。実際、被爆者の寿命が短くなっている訳ではないにも関わらず、被爆者というだけで差別された。

福島で死者の話が出る度に「避難中に無くなった。自殺した」という話が出るが、これは放射能を過剰に怖がったり差別したりしたことによるもので、放射能によって殺された訳ではない。

これは不安や差別によって出た死者だ。

漏洩してしまった放射性物質の量は、増えも減りもしない。起きてしまったことだからだ。しかし、風評被害や差別による被害は、報道のありかたなどで、増えも減りもする。

事実を正しく報道することによって風評被害や差別を減らすことは出来る。しかし、放射能による実際の被害と不安や風評による被害をごちゃ混ぜにして、全部の被害を放射能のせいにして、放射能怖いと騒いでしまったら、増々、風評被害や差別を助長してしまう。それによる死者を増やしてしまう。

  *        *       *

いくら待っても実際の被害は「風評」によるものばかり、ということを報道するべきだ。

事実が報道されて、脱原発が緩むのなら、原発なんてその程度の危険だってことだ。

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コメント

原爆の日に合わせたテレビ番組で、「はだしのゲン」が紹介されていました。
その作者が、若い頃に東京に来たとき入った店で、自分が被爆者であることを話すと、
「放射能が移るから」という理由でけんもほろろに追い出されたという体験を話していました。

今も同じことしてるなぁと思いました。
風評を流している人たちは、正義感を振りかざしていて、なんだかなと思います。

投稿: ひなげし | 2012年8月 8日 (水) 14時31分

マスコミが「危険、危険」と言っている間は安全。「安全ですから落ち着いて」と言い出したら危険かもしれない。これが今回の福島の事故で分かったことです。今は「放射能の被害が・・・」と騒いでいるので、放射能の被害なんてないということ。

投稿: 愛読者 | 2012年8月 8日 (水) 17時43分

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