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2012年9月 5日 (水)

自由は手に余る

自由は手に余る

東京新聞:貧困の連鎖断つ 生活困窮の子らに教室 市川のNPO
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012090490111044.html

教室の対象を若い世代にしたのは、貧困状態の家庭で育った子どもが将来再び貧困に陥るのを防ぐため。子どもに学んでもらい、親から子へつながる貧困の連鎖を断ち切る狙いがある。

会総務部長の鹿島美紀子さんは「家庭的な事情で学校に行けなかったり家庭で十分な教育が受けられなかったりする事例があると聞く」と説明する。学力以外にも敬語やあいさつができないことで勤務先が長続きしなかったり、就職活動に不利だったりすることもある。就職が安定せず、転職を繰り返すなど、新たな貧困につながってしまうという。

挨拶や敬語も「自己表現や価値観」であって究極的には強制できないものなんだよね。で、各人の自由で自己責任にしてしまうと、訳も判らず、何を引き起こすかも判らないまま突っ走る人がでちゃう。

自由など認めず挨拶や敬語を強制して条件反射で出てくるように教育してしまった方が(少なくとも経済的・社会的には)豊かな生活がおくれる人間もいる。大部分の人間には(自分も含まれるかも)自由は手に余るのではないかと思う時がある。

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挨拶や敬語は自己表現であり価値観のあらわれだ。親から子へ繋がる貧困の連鎖を断ち切る為に、子供に挨拶や敬語が出来るように教えることは、お金の為に、親から子供への価値観の連鎖を断ち切ることだ。

親の価値観が子供に伝わらないようにする。これは極めて厳しく難しい判断だ。だって、家族だよ。大袈裟に言えば民族の(あるいは文化的集団の)価値観を断絶することなんだから。

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ある集団(家族だったり民族だったり)の価値観が、周囲から見ていて明らかに、不幸をもたらすとき、周囲はどうすべきなのだろうか。自分の価値観が誤っていないという自信をもっていいのだろうか。

私には答えがない(こういう面で私はサヨクだ)。

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とは言いつつも、関わりのある人間の子供が敬語や挨拶に問題を抱えていたら(敬語が使えない・挨拶できない)なら、敬語や挨拶をさせるように教えようとするだろうけれど。

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