« 民意は厳罰化 | トップページ | オスプレイの事故は続くが配備せよ »

2012年9月 8日 (土)

小さな災害への備え・大きな災害への備え

小さな災害への備え・大きな災害への備え

毎日新聞:発信箱:8割減らすには
http://mainichi.jp/opinion/news/20120906ddn004070024000c.html

阪神大震災の火災発生地域で、生き埋めになったり、建物に閉じ込められた際、誰に救助されたのかを聞き取りした日本火災学会の調査結果がある。

それによると、「自力で」(34・9%)、「家族に」(31・9%)、「友人、隣人に」(28・1%)で、9割以上を占めた。これに対し、「救助隊に」は、わずか1・7%。同時多発で火事が起き、消防の対応能力を超えた。出動したとしても、がれきにはばまれて、狭い道路に入ることができなかった。いざという時、「公助」の人的資源に限りがあることを知っておかなければならない。

「公助」の人的資源が有限であることに同意しつつ、「自助」の人的資源も有限で」あると指摘したい。人の為すことは有限なのだ。

  *        *        *

私の先入観かもしれないが、日本は小さな災害への備えは得意だが大きな災害への備えは苦手に見える。

小さな災害では、公的機関にせよ自助努力にせよ、災害による死傷者をゼロにすることが出来、また、それを目指すべきだ。しかし、大きな災害では、死傷者をゼロにすることは出来ないし、それを目指していては議論が進まない。

  *        *        *

死傷者が出ることが前提であるとき、それも大量の死傷者が出ることが前提であるとき、救助や防災の計画を立てることは「誰かを見捨て(死ぬとしても)、誰かを助ける」ことを決めることに他ならない。

見捨てられる地域を議論し、見捨てられる人間を議論する。そういった議論を私達はしなければならない。でなければ、そうしなければ実効性のある計画は立てらない。そういった議論なしに立てた防災計画は、タテマエだらけで非現実的なものにしかならないのだから。

  *        *        *

ここ数十年、日本の日常は平和であった。主権者たる国民は、被害を出さないための議論は(予算や人員の議論は)あっても、「誰を死なせ、誰を生かすか」といった議論をしなくてすんでいた。それは幸運で良いことなのだけれど、それだけではダメであることは明らかだ。

BlogRanking (読む価値のある記事だったらクリックお願いします)

|

« 民意は厳罰化 | トップページ | オスプレイの事故は続くが配備せよ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/55605507

この記事へのトラックバック一覧です: 小さな災害への備え・大きな災害への備え:

« 民意は厳罰化 | トップページ | オスプレイの事故は続くが配備せよ »