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2012年10月21日 (日)

「命のさたも金しだい」、じゃない時代なんてなかった

「命のさたも金しだい」、じゃない時代なんてなかった

しんぶん赤旗:むしろ旗全国に翻る 年金者一揆「引き下げの流れ断つ」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-20/2012102001_04_1.html

東京・日比谷野外音楽堂では全日本年金者組合と全労連の共催で中央集会が開かれ、2800人が参加。野田政権の悪政に怒る高齢者が、「命のさたも金しだいはやめろ」などと書いたむしろ旗やプラカードを掲げました。

人類の歴史において「命の沙汰も金しだい」、じゃない時代なんてあったさろうか。貨幣経済が発達する以前ならともかく、いや、そんな時代は地位や血筋が金の代わりになっただけで、何かの形で命の優劣があった。

  *        *       *

命は平等であるべきことに、疑問の余地はない。私も平等であるべきだ、それが理想だと思う。

しかし、現実に助けられる命は有限だ。人類の歴史において、全ての命を助けられる社会が存在したことはない。

助けられる命が有限であるとき、優先順位をどんな形にせよ決めなければならない。

その決め方が「金」なのか「地位」なのか「血筋」なのか。あるいは他人からより多くの「同情」を集めた人間を助けるのか、大声で騒ぐ人間を優先するのか。

  *        *       *

「命のさたもXXしだい」、じゃない時代なんてなかった。

人間社会の持つ本質的な欠陥を非難するのは、非難する側・要求する側にとっては楽な戦術だ。

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