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2013年1月31日 (木)

変えられないルールは形骸化するのだから

変えられないルールは形骸化するのだから

北海道新聞 社説:国会代表質問 憲法改正論議は性急だ
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/437823.html

安全運転に徹した答弁の中で、安倍晋三首相のタカ派的理念がのぞいた。

きのう始まった国会の代表質問で、首相は憲法改正について「まずは96条の改正に取り組んでいきたい」と述べた。

憲法に違反しても、何のおとがめもなし、では誰も憲法を守りません。

だから、田母神さんの「そんなの関係ない」となるのです。

衆参両院の「3分の2以上」の賛成がなければ国民投票にかけられない改正要件を「過半数」に緩和するものだ。

首相は憲法改正に意欲を燃やし、戦争放棄をうたった9条を改め「国防軍」創設などを目指している。

96条の変更はその第一歩だ。国民が60年以上守ってきた平和憲法を変えることは認められず、性急に議論を進めるべきではない。

日本国憲法は変更しづらいように出来ている。憲法に限らないけれど変更できない形式やルールは時代の変化にそぐわなくなる。世界は変化して行くものだから、ある時点で良いものだったとしても10年20年と時間がたつうちにおかしくなる場合は多々ある。

変えられないものはどうなるか。

忘れられ無視されるようになる。無視することの出来ないものは解釈が変えられるようになる。

憲法九条は、そのひとつの例だろう。2008年に名古屋高裁で判決の出た自衛隊のイラク派遣に対する違憲判断だ。裁判所は憲法違反だと言いつつイラクへの派遣を差し止めなかった。この判決後も自衛隊機は「そんなの関係ない(だって、裁判所は差し止めや禁止をしてないんだもん)」とイラクの空を飛びつづけた。

ルールが現実にそぐわなくなると、しばしばこういうことが起こる。ルール違反とみんな判っているんだけれど必要なことだと誰も咎めない。

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日本国憲法は改正が容易になるようにするべきだ。ただし、これは危険な道だ。何故なら、憲法九条が改正されるからではなく、国民による権威づけが行われるからだ。

もし、おかしな改正をされてしまうと、政府や政治家がそれに強く縛られてしまって、いままでのような、適当な解釈や無視が出来なくなってしまうのだから。

しかし、憲法が無視されても平気だというような判決が出てしまうような現状、つまりは最終的には憲法無しへと向かうような現状も好ましくない。

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国家が国民のものであるならば、国民主権であり、国家の最終的な責任者が国民であるならば、国民の決めた憲法によって国家が滅んだとしても、それは自業自得だ。

であるならば、憲法を国民の手に取り戻すためにも、改正要件の緩和は必要なことではないかと思う。

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蛇足ではありますが、「サヨクは住民投票が好き」というイメージを私は持っています。では、なんで究極の住民投票である国民投票が行われること、国民投票によって憲法の内容が変更されることを彼らは嫌うんでしょうか。

ちょっと不思議なことではあります。

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