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2013年2月20日 (水)

科学者が判断すべきこと、政治家が判断すべきこと

科学者が判断すべきこと、政治家が判断すべきこと

朝日新聞 社説:原発推進派―規制委批判のピンぼけ(2013年2月20日(水))
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

自民党やメディアの一部から原子力規制委員会に対する批判が急速に高まっている。

原発敷地内の活断層評価や安全基準づくりで「公正さに欠ける」という。批判の出どころは、もっぱら原発の再稼働を急ぐ人たちだ。

やれやれ、である。規制委の創設にあたって「独立性を高めよ」と強く主張したのは自民党だ。脱原発に動く民主党政権の影響力を排除するためだった。

ところが、実際に動き始めた規制委は、科学的な見地に判断基準を絞り込み、厳格な姿勢を貫いている。

原発推進派からすれば、計算外だった。これでは再稼働がままならない。そんな危機感が、規制委攻撃につながっているとしか思えない。

原発再稼働の判断を科学者にさせるべきではない、再稼働は政治判断でなければならない。

科学者に決定させるべきは「どの程度の危険か」であって「その危険があっても再稼働する、その危険があるから再稼働しない」ではない。

具体的には、例えば「これは活断層か。動く確率はどの程度か」であって、「設計上考慮すべきか」は政治の決めることだ。

  *        *        *

私は技術者として働いている。小さな会社なので経営者と話す機会もある。判断を求められる時もあるけれど、それはあくまで「○○すれば、××になります」であって、「○○をすべきか」ではない。

もちろん、自分の意見を添えることはあるけれど。

  *        *        *

科学者に動かして良いか?と尋ねたら、彼らは全ての事を延々と調べ始め終わりはないだろう。完璧を目指すのが科学だから、そして、人間に完璧はないから、何かしら調査するべきことは残る。

そして、動かさなかった場合のリスクは負わず、動かした場合のリスクの責任のみを負っているのだから、動かさないという結論に向かって動くのも予想できる事だ。

  *        *        *

政治家が責任を科学者に投げてしまったことが、そもそもの間違いではないか。

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コメント

>原発敷地内の活断層評価や安全基準づくり

活断層かどうかの判断を10~12万年ではなく、40万年に広げた。
これが意味するところは、地球の地殻変動の起こり始めが40万年前あたりだから、40万年前まで遡ればどの地層も活断層となる、ということ。

人間は、いつか死ぬ。
このことは、科学的に正しい。
規制委員会が言っていることは、これに等しい。
いくら科学的に正しくても、素人でも言えることを、専門家による科学的に公平公正な回答とは言わない。

投稿: a | 2013年2月20日 (水) 08時17分

2013年02月20日00:18


野中広務が日本政治をダメにした―怨念の平成政治史

今、ポスト冷戦期の日本政治史についてまとめている。

 ポスト冷戦の日本政治の始まりは宮沢喜一内閣の不信任決議があった1993年。その年に、『日本改造計画』を出したのが小沢一郎・元自民党幹事長であった。ここから全てが始まり、今年がちょうど20年目だ。そして去年の衆院選挙でその立役者が大きく敗れた。今年の夏の参議院選挙でも全く敗北するというわけではないが、大きくは勝てないだろう。小沢一郎を軸に動いた日本政治はちょうど20年で終わりを告げる。それは同時に「ポスト冷戦」という時代の終わりと、新しい東アジアにおける冷戦構造というものが準備されているということでもある。

http://blog.livedoor.jp/bilderberg54/

投稿: 紹介 | 2013年2月20日 (水) 16時58分

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2013年2月21日 (木) 09時10分

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