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2013年2月21日 (木)

道徳の教科化よりも礼儀作法を

道徳の教科化よりも礼儀作法を

しんぶん赤旗:「道徳」教科化提言へ 教育再生会議 いじめ・体罰を論議
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-17/2013021702_02_1.html

市民道徳を学校で教えることは大事です。しかし、それは上から「規範意識」を教え込むことで身につくものではありません。

「道徳」を教科にすれば、国が検定する教科書などで、時の国家や政府の特定の価値観を押し付けることになります。憲法の「思想・良心の自由」に反することです。

しかも、安倍首相が狙うのは「命をなげうっても守るべき価値が存在する」(首相の著書『美しい国へ』)といった「愛国心」や復古的な価値観の植えつけです。

道徳の教科化は、政府による価値観の押し付けでしょうか。たぶん、そうでしょう。教育には知識の伝達だけでなく価値観の伝達という側面もありますから。

私は、道徳の教科化に反対しません。どのみち価値観の押し付けが起きるなら、明確に議論された方が良いからです。なんとなく現場の雰囲気できまるよりもマシではないでしょうか。

  *        *        *

しかし、私は、道徳を教科化するより礼儀作法を教える方が良いのでは思います。礼儀作法は表面的なものですから(内面から滲み出すものを子供に求めてもしかたないし)、評価の際に内面に踏み込む必要がないという利点もあります。

礼儀作法には風習や流派があるから内容が決まらないかもしれませんけれど。

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コメント

今日は【ネット社会とアスリート】について

アイスホッケーの日本代表チームにFacebook禁止策を協会が打ち出した。理由はなでしこジャパンで飲み会の様子がツイッター中継された事とあるけれど、たぶんこれは協会が勘違いをしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130220-00000027-spnannex-spo …


そもそも飲み会の中継をしたのは選手ではなくその場に居合わせた他人の方で、選手がsnsをやっているかどうかとは関係がない。そしてもう世の中にはsns利用者は溢れていて、いくら選手がsnsをやっていなくても人がいる場所に生きる以上、もうこの危険性は避けて通れない。

Twitterでなりすましの危険性を今日テレビでやっていたけれど、これも同じで一番の危険はなりすましている人に気付かず報知してしまう事。そもそもsnsをやっていない人は自分の名前を使われてもそれに気付けない。
そして被害は拡大する。

スポーツが職業として成り立つのはメディアと組んでからで、メディアを介して多数に広がらない感動は残念ながらマネタイズできない。日本にはメディア露出の機会が少なく、結果マイナー競技が人気になるのは難しかった。それがようやく個人のメディアが誕生しついに仕掛けられる時代が来た。

おそらくもうメダルを取ってもスポーツは人気になる可能性は低い。いままで強くさえなれば人気になれると信じて、結果を出し、そしてあっという間にブームが去った選手を何人も知っている。強くなる事と、人気になる事は違う。そして人気になったスポーツに子供は集まり、競技は活性化する

【終わり】僕は基本臆病だけど、逃げられないものは徹底的に踏み込んで慣れるようにしている。英語もそう、人前でしゃべる事もそう。逃げれば逃げるだけその後の人生が狭まるものもある。当たり前だけれどもうネットから避けて生きていく事は難しい。だったら真っ先に踏み込むしか無い。

ヨーロッパのコーチが言った言葉が衝撃的だった。”僕は君を素晴らしい人間にする為にいるのではなく、競技の目的を達成する為にここにいる”教育の範疇から抜け出られないプロコーチは多い。

投稿: 為末 大‏@daijapan | 2013年2月21日 (木) 19時23分

今回もMCやることになりました「リセンス学級会」。私の今回の裏テーマは「戸塚宏氏に気持ちよく語らせない」です。異論反論・語りたい方を募集してます。【3月1日(金)】開場18:30 開講19時~。くわしくは、http://www.brain-communications.jp/rg/

投稿: プチ鹿島‏@pkashima | 2013年2月21日 (木) 19時28分

‘我々は何処から来たか。我々は何者であるか。我々は何処に行くか。’ を考えることは人生の役に立つ。
‘我々は何処に行くか。’の内容は、我々の努力目標であり、希望の源である。

‘世の中は、、、、’ の内容は、現在時制の内容であり、現実の内容である。
我々は、別の世界に移動することはない。さすれば、天下泰平の世の中と言うことになる。

遠い過去の内容は過去時制の文章であり、遠い未来の内容は未来時制の文章である。これらは、非現実の内容である。
非現実の内容をこの世にて実現 (現実化) しようとする試みは恐ろしいことである。この行為は創造力の発揮にあたる。

日本語には時制がないので、非現実 (過去と未来) の内容は文章にならない。
文章にならないものは、辻褄を合わせることはできない。過去は幻となり、未来は夢となる。

もしも、非現実の内容を現実 (現在) 構文の載せて語れば、それはすなわち真っ赤なウソになる。
‘そんなことを言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’ と反論される。我々は、嘘吐きにはなりたくない。

夢・幻の (日本) 人の世は、いくら考えても辻褄の合わない雑念となっている。
雑念は、文章化に成功すれば信念になる。さすれば、自己主張も可能になる。

考えは必ず文章になる。文章にならないものは考えではない。
時制のある言語を習得し、非現実の内容に辻褄を合わせることができれば、日本人は雑念を信念に変えられる。
だから、英語で考える高等教育は我が国民にとって重要である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2013年2月25日 (月) 15時31分

コメント欄が何か色々にぎやかですね。
連続でお邪魔してるんですが、私までご迷惑をおかけしてるみたいでw
道徳が教科化、いいんじゃないでしょうか。
礼儀もいいですね。宗教教育もしてほしい。無理だけど。
というか、大人が子供と未来の為に、ない知恵を振り絞るのがいいんですよね。
この尽きない議論が、子供の心にも低く緩やかに影響を与えるのではないでしょうか。

誤解を恐れず言えば、教育は尽きる事の無い実験ですもんね。
その時に一番と思われる方法を試し続けるのが最善ですよね。

投稿: ohsui | 2013年2月27日 (水) 22時04分

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