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2013年3月26日 (火)

なぜ「悲しみの日」ではなく「屈辱の日」なのだろうか

「悲しみの日」ではなく「屈辱の日」なんだ

中日新聞 社説:「辺野古」申請 沖縄に寄り添わぬ不実
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2013032602000107.html

安倍内閣は一九五二年にサンフランシスコ講和条約が発効した四月二十八日を「主権回復の日」とし、政府主催の記念式典を開くことを閣議決定した。しかし、条約によって日本本土と切り離され、苛烈な米軍支配に置かれた沖縄にとってこの日は「屈辱の日」だ。

「悲しみの日」ではなく「屈辱の日」なんだ。

自分なら「日本本土と切り離され」たら、「悲しい」と感じると思うのだけれど。

  *        *        *

「悲しみ」なら共感を得ることもあるだろうが、「屈辱」では劣等感と離反、そして、戦いをもたらす。

本土と沖縄は離反しつつある。

そして、沖縄は何と戦うのだろうか。

  *        *        *

沖縄が堅実な選択をしますように。いっぽ間違えたら本物の戦争が待っています。

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コメント

今日は【頑張ってもなれないもの】について

カールルイスとウィリーバンクス、それからマイクパウエルと、三人ともに共通していたのは子どもの頃とにかくたくさんの事を経験している事。サッカー、野球、バスケット、アメリカンフットボール、それからバイオリンなども。その中から陸上を選んだ。

子供の頃に様々な経験をする事の素晴らしさはまず身体がいろんな方向から刺激を受ける事で、将来何かに絞った際にもいい効果がある事。そしてカールが言っていたのは、矛盾に聞こえるかもしれないけれど何が自分に向いていないのかを知れる事

日本では一意専心、職人気質、何事かに絞り込んでやり続けて成功した話が美談として多いけれど、その感覚が強すぎて、何に絞り込むべきかという思考が抜けてしまう事がある。何が向いているかなんて考えもせず、今までやってきた事にひたすらに絞り込んでしまう。

陸上への熱意、情熱という熱い話をする一方で、なれないものにはなれない。それには早く気付いた方がいいと繰り返し言っていた。ウィリーは三段跳びのチャンピオンにはなれたけど、短距離では無理だったと言っていた。僕が短距離をやっていたらウィリーバンクスにはなれていなかったでしょう、と

人間の能力はでこぼこしている。僕はハードルは跳べるけど、球技が全くできない。特に反射神経は女子アスリートよりレベルが低い。彼らは頑張ったから成功したという一面もあるけれど、もう一面は頑張っても成功しないものをいち早く察して捨てた人達ともいえる。


【終わり】成功したアスリートを見るとつい積み重ねた努力ばかりに目がいくけれど、彼らはまず頑張る前に選んでいる。何十年も競技をしている選手が恐ろしく飽きっぽい事なんてよくある。自分の才能に特化する事の本質は、たくさんの事に触れ無理なものを捨てていく作業だと思う。

投稿: 為末 大‏@daijapan | 2013年3月26日 (火) 20時06分

「償い」を求めるのに、「屈辱」と「悲しみ」では、どちらが効果的?
そんな発想からですよ。

投稿: a | 2013年3月26日 (火) 22時03分

私は「恨」の発想からかと思いましたよw

投稿: ohsui | 2013年4月 4日 (木) 03時11分

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