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2013年4月28日 (日)

際限のない解釈改憲とどちらがましか

際限のない解釈改憲とどちらがましか

毎日新聞:特集ワイド:憲法96条改正に異論あり 9条を変えるための前段、改憲派からも「正道じゃない」
http://mainichi.jp/feature/news/20130409dde012010003000c3.html

伊藤さんが懸念するのは、96条にも国民投票法にも投票率の下限が示されていないことだ。「最悪1割の人の投票結果で国の未来が大きく左右される危険がある。国民一人一人が厳しい目線を注ぎ続けるしかないんです」

それでもあなたは96条改正に賛成する?

変えられない言葉とうものがあります。例えば聖書やコーランや仏典の言葉です。その宗教を信じる方々には大切な言葉で、そして変えられない言葉です。

そういった言葉が現実と齟齬をきたしたときどうするか。解釈を変えて「この言葉はこうよむの」とするか、言葉をそのまま理解して現実を拒否し原理主義者になるか。

憲法を少数の反対で変えられないという現状のままなら、解釈改憲でのりきることになります。そして憲法を解釈するのは民衆ではなくて権力者です。権力者が自分の都合の良いように解釈するようになったら、権力を縛るものとしての憲法は死んでしまいます。

  *       *        *

憲法改正の国民投票で、投票率が低くて「1割の人の投票結果で国の未来が大きく左右される」なんてことが起きたら、それは国民がバカなんです。主権者がバカであれば、どんな国も亡んでしまいます。それだけのことです。

民主国家の主権者は国民です。自分たちがバカで自分たちが滅ぶ。究極の自己責任であり、一人前の人間としては当然の結末です。

国民に憲法について判断させる、確かに危険はあります。しかし、私は、それでも、憲法改正に意見を述べたいし、投票したいと思います。

憲法に国民の意見を反映しやすくなる96条の改正に賛成です。

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コメント

朝日新聞に掲載された片山杜秀さんのインタビュー「主権と回復」は重要な指摘でした。

「新自由主義がナショナリズムに飛びつく理由」を「安上がり」という観点から論じています。→http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304260492.html …

問題は、新自由主義者はグローバリズムを主導し、国民国家を弱体化させながら、なぜナショナリズムを煽るのかです。国内における格差が拡大すると、国民の階層的分断が進行します。この「不平等」の不満を「安上がり」に埋めてくれるのがナショナリズムです。

ナショナリズムには「国民は平等な主権者である」というテーゼが内包されています。

そのため、一部の人間が政治を独占する体制が敷かれたところでは、ナショナリズムは主権要求運動として発動されます。フランス革命、アジアの独立運動などが典型です。

つまり、ナショナリズムには「国民を平等な主権者として一般化する」という作用が含まれています。ここでのポイントは「平等」です。

格差社会が拡大し、国民間の階層的分断が深刻化すると、政治家はナショナリズムの「平等」力学に手を出します。年収1億円の人も、年収100万円の人も、ネイションとしては平等な主権者です。

対中国などの対外問題では、同じ一票を持つ国民として、格差を越えた連帯が生まれます。


現実社会における不平等を、ナショナリズムの平等性によって補てんするというのが、ネオコン勢力の常套手段です。

これを片山さんは「安上がり」と論じているのです。

投稿: 中島岳志‏@nakajima1975 | 2013年4月28日 (日) 18時15分

>憲法に国民の意見を反映しやすくなる96条の改正に賛成です

私も。

投稿: a | 2013年4月28日 (日) 22時29分

aさんに同じく、私も管理人さんに同意見です。
変態新聞の期待通り、国民投票の投票率が一割と言う事は普通ないでしょうね。
ただ、そうなった時は、周知が足りなかったという事で、
社会の教育機関である、マスメディアの責任でもありますね。
変態新聞も、間抜けな事ばかり書いていないで、きちんと社会の役割を果たさないと、何の為に存在をしているのか、誰にも解らなくなってきますよ。

投稿: ohsui | 2013年4月30日 (火) 14時53分

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