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2013年4月20日 (土)

憲法改正をしないから

憲法改正をしないから

ダイヤモンド:生活保護は「恩恵」と発言した厚労相と低所得層の実態把握なしに進む衆院予算委への疑念
http://diamond.jp/articles/-/34900?page=3

では、なぜ筆者はこの発言に呆れ、驚いたか。日本国憲法第25条の「生存権」は、基本的人権であって、恩恵ではない。現職の厚生労働大臣が「恩恵」という用語を用いるだけでも問題だ。さらに、生活保護基準が切り下げられ、生活保護費が削減されれば、生活保護当事者の生活・健康維持・ひいては生命に大きな影響が及ぶ。社会保障費削減を国是としている状況で、財務大臣がそのような発言をするのならば、まだ理解の及ぶ範囲だ。しかし、「現在だけではなく未来にわたって、人や暮らしを守る役割を担っている」と自認し、

「ひと、くらし、みらいのために」

をキャッチフレーズとする厚生労働省のトップの発言として、許容されてよいものであろうか?

ネットを見ていると、政治家の憲法に対する知識の無さや認識の甘さを糾弾する言葉にであう。非難するための言葉もあろうし誤解からの言葉もあろう。けれども、本当に軽視していたり、複数の解釈を許す場合もあるように思う。

憲法の軽視を招くことの原因は、憲法改正に現実味がなからだ。自衛隊の存在は憲法違反ではないそうだけれど、素直に憲法九条を読むと、疑問に思ってしまっても不思議はない。無理りな解釈で合憲としてしまっているのだ。

もし、憲法改正が現実の可能性であったなら、無理矢理な解釈はせず、憲法違反だとなるだろう。だって、合憲であるように改正できるのに、していないのだから。

  *        *        *

日本国憲法は軽視されている。人間は、あまりに理想論を押し付けられたとき、それを無視するようになる。厳しすぎるルールを破ることに良心の呵責は少ない。

憲法改正の可能性が現実のものとなれば、憲法違反だけどまぁいいやというような判決は出なくなり、憲法の言葉(「生存権」など)の重みも増し解釈ももっと議論されるようになる。

  *        *        *

憲法改正が現実の可能性となり、憲法の文言が議論されるようになってくると、大物政治家が憲法を知らないなんてことはなくなるだろう。

変えられない無理なルールは聖典となりタテマエとなり、無視はされないかもしれないが実施もされないものとなる。いま、日本国憲法起きているのは、そういうことだ。

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