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2013年6月15日 (土)

自由で公正な社会は、知能格差によって分断される

自由で公正な社会は、知能格差によって分断される

ダイアモンドオンライン:アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって分断されている [橘玲の日々刻々]
http://diamond.jp/articles/-/37381

アメリカがごく一部の富裕層と大多数の貧困層に分裂しているという話は、耳にタコができるほど聞かされている。では、この本のどこがショッキングだったのだろうか。

マレーは、アメリカの知識人なら誰もが漠然と思っていて、あえて口にしなかった事実を赤裸々に書いた。彼の主張はきわめて単純で、わずか1行に要約できる。

アメリカの経済格差は知能の格差だ。

マレーはこのスキャンダラスな仮説を実証するために、周到な手続きをとっている。

まず、アメリカにおいてもっともやっかいな人種問題を回避するために、分析の対象を白人に限定した。ヨーロッパ系白人のなかで、大学や大学院を卒業した知識層と、高校を中退した労働者層とで、その後の人生の軌跡がどのように異なるのかを膨大な社会調査のデータから検証した。

自由で公正な社会であるならば、そして人々が経済的豊かさを求めているならば、能力のある人(つまり「知能」の高い人)が成功し豊かになり、能力のない人(「知能」の低い人)が貧しくなる。

自由で公正な競争をすれば「経済格差は知能の格差」である状況になって何の不思議もない、と言うか、そうであるなら、自由で公正な社会であると誇って良いくらいではないか。

  *        *        *

自由で公正な社会であればあるほど、敗者になること、弱者であることに言い訳がなくなる。厳しく残酷になる。

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しかし、引用元が引用している本では「学歴」と「知能」を同じものとして扱っているようだ。つまり、学歴を獲得するまでの過程の公正さはどうなのだろうかという疑問が出てくる。

  *        *        *

ところで、

ダイアモンドオンライン:アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって分断されている
http://diamond.jp/articles/-/37381?page=2

パットナムは、アメリカ社会が全体としてコミュニティ文化を失いつつあると論じた。しかしマレーは『階級「断絶」社会アメリカ』で、アメリカ社会を新上流階級と労働者階級に分けたうえで、労働者階級のあいだではたしかにコミュニティが崩壊しているが、新上流階級のなかでは「古きよきアメリカ」の価値観がまだ健在であることを発見したのだ。

これが本書のもっとも大きな意義で、かつ論争の焦点だろう。

貧すれば鈍する(貧乏になると、心が荒み生活が乱れる)、鈍すれば貧する(心が荒み生活が乱れると、貧乏になる)。単純に言えば、そういうことだ。しかし、大きな問題が2つある。

ひとつめは、「鈍した人間」にどう対処するかということ。個人の自由意志を重んじる社会では、貧乏で鈍したとしても、当人の意志に反して勉強させたり勤労させたり生活リズムを強制したりすることは出来ない。そして、金だけの援助では、「鈍した人間」をそのままにしてしまう(生活保護から脱っせない人々が、その実例だ)。

ふたつめは、鈍していない人々と鈍している人々が分断されると、互いに相手を理解できなくなるのではということ。貧して鈍した人々は金持ちを理解できずに妬むだけ、金持ちの人々は貧して鈍した人々の価値観や行動パターンを理解できなくならないか。

理解できないと相手を適切に援助することも、援助を要請することも出来ない。社会が分裂し、援助を必要とする人々を、援助できる人々が理解できないとしたら、それは最大の危機ではないだろうか。

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「知能」による社会の分断は、アメリカだけの問題ではない。自由で公正な競争が出来る社会では当然に起きることだからだ。日本も例外ではないだろう。

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コメント

>引用している本では「学歴」と「知能」を同じものとして扱っているようだ

アメリカの場合、能力ややる気があれば、学歴は得られるという制度が徹底して整っているからだろう。
お金が無いから能力ややる気があっても進学できないというのは、日本でも解消されつつある。
アメリカと日本での差は、何か?
それは、アメリカでは、能力ややる気のある人物に積極的に教師やカウンセラーが進学を勧める点だ。
昔、日本でもまだ奨学金制度が充実していない時代に、教師が進学を勧めて、親も子の能力に期待して食べるものも食べないで(野口英世のような)送金した。
子も親の気持ちを知って努力した。
しかし、今は、進学したくない者までもが、高校無償化などの愚策で、進学する。
進学の有難さを感じないどころか、進学の苦痛を感じて進学する者までいる日本。

文章は下手でも字は上手とか、走るのは遅くても投げるのは上手とか、人それぞれ能力の差がある。
必ず差(長所)はある。
差(長所)を見つけて、その人の能力が発揮できる世界(業界)へ導いてやるのが教師の仕事だというのに、未だにまだ日教組は、学歴は貧富の差という。

お金で能力は買えない。
お金で買えるのは、能力の更なる伸長だけである。

投稿: a | 2013年6月16日 (日) 08時53分

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