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2013年8月24日 (土)

「どうせ」だけど幸せを招く方法を

「どうせ」だけど幸せを招く方法を

毎日新聞:近事片々:私には夢がある
http://mainichi.jp/opinion/news/20130824k0000e070220000c.html

「私には夢がある」。差別と弾圧の歴史超えて説いたキング牧師の演説から半世紀。夢の道はなお遠く。

会社でルールを決める立場になる時がある(最終終決定権はないことが多いけれど)。ルールを決める場合、「出来るべき」と「出来るだろうか」を考える。

守れないルールはルールとして意味がない。

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人間には限界がある。人間と人間の付き合い、何人の人間を自分の仲間と思えるか。、偏見なく異人種や異教徒と付き合えるか。

あるところで昔、「友達がエイズになっても友達のままだけれど、エイズの人と友達になれるかどうか判らない」と告白している言葉を読んだ。正直な言葉だと思う。自分も自分の友達や家族がエイズになっても関係は変わらないだろうけれど、エイズであると紹介された人に対して偏見を持たないでいられるかどうかは自信がない。

偏見を持たないように努力するとは思うけれど。

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人間は偏見を持ち差別をする。それは人間の持つ能力の限界によるものではないか。

出会う人すべてに白紙の状態から出発するより、「○○大学卒業」とか「○○人」とか「○○教徒」とか「男」とか「女」とか地位や立場といった情報で色付けされた状態で出発した方が効率が良い。コスト問題(お金ではなく手間や時間の問題)、つまり人間の能力の問題から、全ての出会いに対して先入観なしに付き合うことは出来ない。騙されるかもしれない、下手をしたら殺されるかもしれないのだから。

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子供に「知らない人について行ってはいけません」と教える。しかし、その「知らない人」が悪い人だという確証はどこにもない。けれども、それを試してからでは遅すぎるかもしれない。だから「知らない人」という大きな括りで処理してしまう。

大人になっても同じことだ(程度は違うかもしれないが)。

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人間の限界を思うとき、サヨク的なというか、差別はいけませんというか、そういった思想や政策は人間を不幸にするのではと思う。

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言葉だけの場合は判らないが、実行されなければそもそも意味が無い政策や現実世界に関わろうとする思想家は、それが人間に実行可能なものかどうか、特に庶民と言うか特別な教育を受けていない人間(義務教育+アルファ程度の教育しかない人間)の大多数が実践可能なものかどうかを考えてもらいたいと思う。

政策や実践される思想は、実用品であって、実行して人々が幸せになるものでなければ価値はない。

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