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2013年8月16日 (金)

愚民化政策

愚民化政策

信濃毎日新聞:今も耳に残る音「長野空襲を語る集い」 平和の大切さ考える
http://www.shinmai.co.jp/news/20130814/KT130813SJI090006000.php

終戦直前の1945(昭和20)年8月13日に47人が犠牲になったとされる長野空襲を語り継ぐ「長野空襲を語る集い」が13日、長野市川合新田体育館で開かれた。体験者2人が空襲の様子などを語り、参加した30人余とともに戦争の悲惨さや平和の大切さについて考えた。

この時期になると、さまざまな「平和の大切さを考える」という勉強会や催しが行われる。しかし、これは一種の愚民化ではないか。

  *        *        *

平和が大切であることなんて、考えなくても判ることだ。平和を保つ方法を考えないでは意味が無い。それは美味しいご飯のことは考えるけれど、料理や費用のことを考えないのと同じだ。

しかし、なぜ「平和の大切さを考える」ばかりで、平和を保つ方法を、特に現実世界で平和を保つ方法を考えるような呼びかけやイベントがないのだろうか。

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平和の大切さ「だけ」を考えて、その方法を考えないのは、考える対象としないのは愚民化政策ではないか。何故、愚民化政策だと思うのか。

平和の大切さを考えるなら「平和は大切だ」と結論が出るだけだけれど、そしてその結論は誰の害にもならないけれど、どうやって平和を保つのかを考えるとなると、軍事について学び、他国との関係について学び、政治や宗教や思想や民族について考えなければならなくなる。

それは現実を考えることで、現実を動かそうということだ。

権力を持っている人間にとって、国民が夢を見ているだけではなく、現実世界について考え意見を持つことはどういう意味があるだろうか。

  *        *        *

夢だけで、現実を考えない。これは愚民化政策だ。

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ところで、国民が「平和の大切さ」ではなくて平和を保つ方法、特に現実的な方法について考え始めたとしたら誰かが困るのだろうか。

政府だろうか。

外国だろうか。

マスコミだろうか。

それとも有識者だろうか。

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コメント

>現実的な方法について考え始めたとしたら誰かが困るのだろうか。

9条さえあれば平和を守れると言ってきた人々。
それは
 政府の中にもいるだろうし、
 外国の中にもいるだろうし、
 マスコミの中にもいるだろうし、
 有識者の中にもいるだろう。
とにかく、9条さえあれば平和を守れると言ってきたすべての人々が、困る。


投稿: a | 2013年8月16日 (金) 12時10分


小室直樹の「新・戦争論」お勧めします。

本書は昭和56年(1981年)5月に出版されました。その一年前に小室直樹は「ソビエト帝国の崩壊」を上梓し、注目されるようになりました。当時はまだまだ冷戦まっただなかでソビエト連邦(ブレジネフ書記長)は健在です。アメリカはレーガン政権、国内では鈴木善幸首相、海外ではダイアナ妃成婚が話題であり、国内では松田聖子・田原俊彦ら歌謡曲が全盛です。この年のベストセラーは窓際のトットちゃん、テレビではドリフに変わってたけし・さんまの「俺たちひょうきん族」です。


以下も参考にどうぞ
「1330」SNSI・夏季研究報告から 「今こそ3分で読む小室直樹の『新戦争論』」
http://www.snsi.jp/tops/kouhou/1621

投稿: book | 2013年8月16日 (金) 13時09分


あいにくワタクシには人を救う力などありませんよ ワタクシにあるのは、たとえ何があろうともう二度と挫折できないという想いだけ!

つまり、自尊心(プライド)と自己愛は別物という事ですよ 負けた人間はキチンと傷つかなければいけない キチンと傷ついた人間だけが次に勝つための第一歩を踏み出せる 自尊心などあとからついてくればそれでいい!!

しかし嘆いてばかりもいられない たとえ歴史が"悲観"の連続だったとしても……… 新しい歴史をつき動かすのは"楽観"しかない―――

かの文豪ゲーテの言葉に「時代が下り坂だと全ての傾向が主観的になる」というものがあります これはこの長引く不況下"おたく化"してゆく若者に限らず、私利私欲に走るお偉方のスキャンダルの続発を見ても明らかでしょう

失礼ながら ワタシはアナタ方若者が自由だなどとは思いません "自由"というのはすべての責任を負う事なのですから

そもそも学問というものは価値観の底辺を拡げ人間性を豊かにするための知識体系であったはず! 単なる受験テクニックなどという姑息なものでは断じてない! 試験が終わればすぐに記憶の中から消えてしまう!! そんなものでアナタたちの人間性がどれだけ豊かになったと言えるのでしょうか!!

投稿: 企業戦士YAMAZAKI名言bot ‏@bcyamazaki_bot | 2013年8月16日 (金) 14時34分

はだしのゲン「閉架」に 松江市教委「表現に疑問」

 松江市教育委員会が、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を子供が自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めていたことが16日、分かった。

 市教委によると、首をはねたり、女性を乱暴したりする場面があることから、昨年12月に学校側に口頭で要請。これを受け、各学校は閲覧に教員の許可が必要として、貸し出しは禁止する措置を取った。

 市教委の古川康徳副教育長は「作品自体は高い価値があると思う。ただ発達段階の子供にとって、一部の表現が適切かどうかは疑問が残る部分がある」と話している。

http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081601001339.html

ーーーーー

戦後描写で「ギブミーチョコレート」って浮浪児が米兵にまとわり付くというより必死にしがみつくってシーン、この頃テレビでもやらないな。あれ一定の年代以上には明らかなリアルだったんだぜ。街にホームレスならぬ浮浪児がいるってこと自体。

筒井康隆が天王寺の動物園前で浮浪児に殴られて時計盗られたって書いてたな。

投稿: 真実 | 2013年8月16日 (金) 15時04分

こう言う事も、一種のナチス的行為だと言うでしょうな。理性的な物が欠けているのです。

投稿: DUCE | 2013年8月16日 (金) 20時06分

加治は戦争反対の平和主義者だ。

むろん戦争経験もなければ支那韓国に悪さをしたこともない。だが、支那韓国に対する無責任な謝罪と媚びへつらう日本のメディアの行為に、否が応でも巻き込まれてしまうんだよ。

以前支那に取材に行った時、いきなり怒鳴られ、日本人は謝れと、押されたんだよ。

投稿: 加治将一 | 2013年8月16日 (金) 20時39分

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