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2013年9月13日 (金)

外国という存在がなければ

外国という存在がなければ

中日新聞 社説:秘密保護法案 軍事国家への入り口だ
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2013091302000098.html

政府が進める秘密保護法案は、国が恣意(しい)的に情報統制を敷く恐れがある。「知る権利」と真正面から衝突する。軍事国家への入り口になってしまう。

自由や人権などよりも、国の安全保障が最優先されるという思想が根底にあるのだろう。政府が公表した秘密保護法案の概要を見ると、そんな印象を強く持つ。



安全脅威やテロの分野も解釈次第で、市民レベルの活動まで射程に入る恐れがある。

言い換えれば、国民には重要でない情報しか与えられないのではないか。憲法は国民主権の原理を持つ。国政について、国民が目隠しされれば、主権者として判断ができない。秘密保護法案は、この原理に違背するといえよう。



秘密保護法案はその政治文脈の上で、軍事国家化への布石となる。法案には反対する。

「国家」と「国民」だけを、と言うか内政だけを考えれば良いのであれば、国家の保つ情報は、より公開する方が望ましい(プライバシーなどの問題はあるかもしれないが)。けれども、外国という存在がある。

軍事機密や外交上の秘密では公開しない方が良いものがあるのは明らかだろう。

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秘密保護法案に反対する時に、外国という存在を忘れたかのような議論をしていては、現実を見ていないと思われてしまい、説得力がなくなってしまう。

無理な例えかもししれないが、原発の利点を(情報公開・知る権利の利点を)言いながら、原発事故を忘れる(戦争を忘れる)ようなものだろうか。

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「自由や人権などよりも、国の安全保障が最優先されるという思想が根底にあるのだろう」

しかし、国家の安全保障が無くなった時、つまり他国に占領されて民族自決が出来なくなった時に、自由や人権がどこまで守れるのだろうか。

自由・人権と国家の安全保障は対立するものではないように、思うのだけれど。

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コメント

>国政について、国民が目隠しされれば、主権者として判断ができない。

マスコミさん、「報道の自由」とやらで、国政について国民に目隠していませんか?

投稿: a | 2013年9月15日 (日) 07時39分

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