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2013年9月24日 (火)

リベラルの限界

リベラルの限界

朝日新聞:天声人語
http://www.asahi.com/paper/column.html

自分とは異質な存在を受け入れ、尊ぶ。寛容こそ、リベラルの核心のひとつだろう。日本は単一民族社会でもなければ一億一心の国でもない。

リベラルの限界のひとつに「自分とは異質な存在を受け入れ、尊ぶ」と言いつつ、ヘイトスピーチ的なものは受け入れず尊びもしないことなんだよね。

寛容と言いつつ非寛容という偽善。

他人に対しては異質なものを受け入れよと要求しつつ、自分が嫌なものは受け入れないという偽善。

それがリベラルの限界のひとつだと思う。

これはヘイトスピーチが良い悪いという話とは別に、受け入れられる限界を明らかにしない寛容は、偽善であり誠実でもないということ。そして、あいまいな寛容は、強者によって悪用されうるということだ。

他者に寛容を要求できる強者が、そういったリベラルな言葉を利用したとき、弱者はどうなるのだろうか。

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コメント

>保守陣営の向こうを張るリベラル勢力の結集を、といった具合だが、その中身についての腑(ふ)に落ちる説明はなかなか聞けない。

それは、都合良く使うから。

「保守陣営の向こうを張るリベラル勢力の結集を」などという使い方から、
リベラル=左翼(社会主義、共産主義)と思っている人もいるだろうが。
本来リベラルは、
 国からの関与を極力抑え、 その代り国に頼らないだ(小さな政府指向)。
税金を納めるのを少なくするかわり、年金などを国に頼らず自己責任で貯蓄し、老後を過ごすという考え方。
ところが日本のリベラルは、生活保護や弱者救済と言って、国からの援助を引き出そうとする(大きな政府指向)。

小さな政府=国は口を出さないが金も出さない。個人の自由を大きく認める。
大きな政府=国は口を出すが金も出す。全体のために個人の自由の制限をする。

日本のリベラルは、
  小さな政府で「個人の自由を大きく認めて欲しい」のか、
  大きな政府で「国からの援助をたっぷり受けたい」のか?

投稿: a | 2013年9月24日 (火) 10時35分

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