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2013年10月29日 (火)

残酷

残酷

毎日新聞:火論:ただ命令があれば=玉木研二
http://mainichi.jp/opinion/news/20131029ddm003070090000c.html

エルサレムの法廷でこの初老の男は、時にいらだちをのぞかせ繰り返し弁解した。

「私は命令に従ったまでです」「それが命令でした」「すべて命令次第です」「事務的に処理したのです」「私は一端を担ったにすぎません」「さまざまな部署が担当しました」……。

亡命ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、そこに「平凡な人間が行う悪」を見いだす。人間的な思考を放棄した者が空前の残虐行為をなすおぞましさ。

個々人の責任を問うことは、時として残酷だ。雇われて(サラリーマンとして)働くことの良いことのひとつは責任が無いことだ。指示・マニュアル・命令に従って動いているかぎり、失敗しても責任は会社にあって、個人にまではやってこない。ある意味、お気楽と言える。

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それを、命令やマニュアルがあっても免責されないとしたらどうなるだろうか。指示されたとおりに作業して上手くいかなくて、その結果責任を問われるとしたら。そんなリスクを背負える人間なんていないだろう。

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正式な命令があって、それに従って行動して、その結果を個人に問うことは、平凡な人間にとってとてつもなく残酷で厳しいことであるように思う。そういう行為には、弱者のさまざまな保護を剥ぎ取って強者が叩く、そいういうイメージを持ってしまう。

これもまた正義を信じた人間にしか出来ないことなのかもしれない。

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コメント

それを今、連中はパレスチナに対して行っている。その辺の所はどのようにかんがているでしょうか。

投稿: DUCE | 2013年10月30日 (水) 07時47分

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