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2013年11月 6日 (水)

脱原発しても

脱原発しても

毎日新聞:水説:民をどう恐れるか=倉重篤郎
http://mainichi.jp/shimen/news/20131106ddm003070114000c.html

それにしてもなぜ小泉発言が人心に響くのか。推進派はそこを分析すべきだ。一つはそのわかりやすさにある。使用済み核燃料の最終処分場がいまだに確保されていない中でゴミを出し続ける矛盾、いわゆるトイレのないマンション問題の告発である。

このこと自体は、目新しいことではない。原発推進派の一番の泣きどころであり、脱原発派の最大の攻めどころであり続けてきたからだ。ポイントはその次、「3・11」原発事故による民意の変化を政治家としてどう読むか、にある。

「3・11」後もこれまで同様トイレ探しに全力を尽くす、というのが推進派だ。一方、小泉氏は「3・11」ゆえにトイレ探しが不可能になった、というのだ。なぜならば、トイレ作りには国民世論の支持、地域住民の同意が必須だが、「3・11」前ですら困難だったこの政治手続きは「3・11」後は絶望と見るべきだからだ。小泉氏一流の政治リアリズムである。

脱原発しても、いまいま存在する廃棄物、すでに出来てしまった廃棄物が無くなるわけじゃないんだよね。どんな原発政策を取るにしてもね。

脱原発を主張する方々は気がついているのだろうか。情緒だけじゃ問題は解決しない。

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