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2014年1月 3日 (金)

「殺されかけた」と思っただけ、では

「殺されかけた」と思っただけ、では

カナコロ:時代を読む~若手論客に聞く(1)社会思想・政治学者=白井聡さん「平和と繁栄の終わり」
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1312310019/

平和と繁栄の時代が本当に終わったと社会が実感したのは東日本大震災のときです。あの光景を見れば納得できる。

特に原発事故は大きい。日本のエリート層に対する社会の信頼が揺らいだ。優秀と思われてきた官僚機構が実は相当にスカスカだった。素人向けについた「安全神話」といううそに、彼ら自身がだまされていた。ここまでずさんで、うかつな人たちだったなんて、それこそ「想定外」です。



何が起きたらこの国民は正気に返るんでしょう。原発事故で殺されかけたのに。首都圏で今こうやって生活できるのはたまたまだと、なぜ気付かないのか。政府が演出するクールジャパンとか絆じゃなくて、本当に守るべきものを僕らは持っているのでしょうか。

この記事で白井さんは多くの事を語っていて、賛成する部分もあるけれども同意できない部分もあるので。

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「何が起きたらこの国民は正気に返るんでしょう。原発事故で殺されかけたのに」

あの事故の直後、確かに怖かった。私も疎開することを考えた。家族を実家に預かってもらおうかどうか。脱出するタイミングはどうするか。仕事があるから(稼がなきゃならなし)私自身はギリギリまで残るのが前提だな、とか。

同時に、というかちょっと遅れて、公開されている放射線の量(どこそこで何ミリシーベルト)とか、何ミリシーベルトで何パーセントの死亡率などの情報から、いったい何人が死ぬかを見積り始めた。

その結果、日本全体で年に数人のガン死の増加があるかどうかだろうと思うようになった。なんだたいしたことないじゃないか、と不謹慎にも思った。

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恐怖は本物だった。恐怖で殺された人達がいることも事実だ。しかし、事故で漏洩した放射能で死ぬ人がほとんどいないことも事実だった。仮に、原発事故が起きたときの風向きが運悪く東京に向かっていたとしても、放射能で死ぬ人は極小数にとどまっただろう。恐怖による混乱、経済的な混乱で死ぬ人は多数でただろうけれど、漏洩した放射能で死ぬ人は極小数。

これが「原発事故で殺されかけたのに」ということの現実ではないか。

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日本各地に原発があるけれど、そして再稼働のために、事故時の避難計画が作られているけれど、何人避難しなければならないかは大きな声で喧伝されるけれど、何人の死者が出るかという予測が報道されたことはない。少なくとも私は知らない。マスコミには反原発の方々も多い。なぜ彼等は死傷者数の予測を口にしないのか。それは、彼等自身にとって都合が悪いからだ。果てしなくゼロだからだ。

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私達は「殺されかけた」と思った。思ったのは事実。しかし「殺されかけた」のは事実ではない。そして、福島原発事故から2年半たつけれど、漏洩した放射能で死んだ人はいない。

この事に多くの人々が気づき始めている。正気にかえってきたと言っても良い。

脱原発運動の衰退の理由だ。

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「殺されかけた」と思うこと、事実として「殺されかけ」ることは同じではない。この2つを区別しない議論は有害だ。

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