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2014年1月28日 (火)

個人の自由・格差の拡大・貧困、奨学金

個人の自由・格差の拡大・貧困、奨学金

NHK クローズアップ現代:あしたが見えない ~深刻化する“若年女性”の貧困~
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3458.html

貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を支える10代の女性。困窮を抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない20代の女性。中でも、先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだシングルマザーである。国の成長戦略で「女性が輝く」ことがうたわれる中、深刻化していく若い女性の貧困。現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫りにしていく。

まとまりのない雑感です。

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番組を見た。個々の事例は、昔からあること、ではあるのだけれど、そういう状況に陥る人が増えているのだそうだ。

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大家族(親戚のコミニュティ)、核家族、個人。

昔風の村社会というか、大家族・親戚のコミニュティ。こういったものは面倒だし、価値観を縛られるというか、常識を強制され、自由を制限される。しかし、それに従っているかぎり、さまざまなサポートが受けられる。

核家族であれば、親戚付き合いも形式的なものにすることも出来るし、そうすれば、様々な伝統的価値感から自由になれる。自由になり選択の幅が増えると、結果の幅(≒格差)も大きくなる。困った事態に陥った親戚を助ける義務もないが自分が困った時に助けも得られない。

助けとは、金銭的なものだけじゃなくて、相談・情報・コネなんかもそう。

個人になると、もっと自由になるけれど、もっと格差が広がりやすくなるし、困った時の助けも得られない。いきなり行政のサポートになる。

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番組中でも家族のサポートを得られないケースが多々あると言っていた。

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時代がすすむにつれて、伝統的価値観から個人の自由を重視するようになるにつれ、格差が広がり、家制度が崩壊するにつれて、貧困に陥りやすくなる。

進歩と言われるものが、進歩は良いものだけれど、格差と貧困を増やした側面もある。

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仕事の変化も格差を増やしたように思う。チャップリンのモダンタイムスという映画があるが、その映画のなかで人間が機械のように働くことを揶揄しているというか笑いにしていた。

しかし、その仕事は、努力すれば大抵の人は行うことが出来ることで、しかも多少の熟練が必要で、先輩が先輩でありえた。

いま、そういった仕事は自動化されロボットが行うようになりつつある。

私の母は40年前、経理の仕事をしていた。経理と言っても伝票整理などの末端の仕事だ。朝から晩まで、ソロバンをパチパチはじいて数字を書いていた。朝から晩まで計算するような仕事は非人間的かもしれない。モダンタイムスの事務仕事版と言えるだろう。しかし、真面目に勉強すれば多くの人が出来て、熟練や経験が蓄積される仕事だった。

いま、そういった仕事は会計ソフトやエクセルなどが行っている。

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さまざまな進歩が、「努力すれば出来ること」というレベルの仕事を奪ってしまった。そして、新しい仕事は、人間相手のサービス業や創造性を要求される仕事だ。こういった仕事の能力や報酬は、努力すれば出来ることレベルの仕事に比べ、人間の能力の差が出やすい。つまり格差が拡大しやすい。

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私達は、若年女性に限らず、格差と貧困が起きやすい社会に住んでいる。そして、格差や貧困をもたらしたもの(自由や科学技術)を手放す事などできない。

なら、どうしたら良いだろうか。

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この番組のなかで奨学金の話が出てきた。奨学金をもらって資格を取って安定した職と収入を得る。それは良いことだけれど、奨学金を返せるかどうか心配していた。資格を取って就職しても返済で生活がなりたたないなら、体を壊したりして、せっかく得た職さえ失いかねない。

返済について心配しなくても良い奨学金が必要なのではないか。そういった奨学金は政府の仕事だ。

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私は親から様々なものを受け取って成長した。食事に教育に、しつけなどなど。親は子供に様々な投資をする。子供は親に、介護や老後の面倒を見るとかで返すべきとういう価値観もあるけれど、子供は、その子供に次の投資をすることも、親からもらった投資へのお返しになると思う。

親は子供に投資をするけれど、全ての子供が成功するわけではない。失敗してしまった子供、次の投資が出来ない。でもそのぶん、成功した者が次の世代に投資をすれば良い。もちろん成功した者は、本人がしてもらった投資の何倍かを次の世代に投資しなければならなくなるけれど。

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出世払い奨学金、のようなものが出来ないだろうか。

奨学金をもらって、学歴や資格を得て、で、成功し多くの収入を得られるようになったら、もらった奨学金の何倍かを返す。もし、収入が得られなければ奨学金の返済は猶予されるような、出世払い奨学金のようなものは出来ないだろうか。

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コメント

優れているが故に、他人に優越する権利があると思っている人が、あまりに多いように思います。
弱きを助け強きを挫く昔風の価値観から言えば、優れている人には優越する権利があるのではなく、劣っている人を助ける義務があるのです。
それが、人より優れた能力を持たされている事の意味のはずです。
それから、全体の利益と自分の利益が対立した時、一昔前の人は、迷わず全体の利益を優先しました。
しかし今は、誰もが迷わず自分の利益を優先します。
これでは組織が持続できません。
自分の利益の為に、簡単に組織や仲間を売り渡してしまうからです。
人の魂が、どうしようもなく腐ってきているように思います。
その理由が、グローバルスタンダードの受け入れと、昔の日本の否定にあるような気がしてなりません。

投稿: 通りがけ | 2014年1月28日 (火) 20時17分

千田有紀著『日本型近代家族:どこから来てどこへ行くのか』(勁草書房・2011)によれば、家族という概念が社会に現れるのは17世紀になってからで、それまでは男女が恋愛して結婚することも、母親が子供に愛情をそそぐこともなく、共同体から独立した「家族」そのものが存在しなかった。

日本型の近代家族は、世帯を単位に国民をコントロールし、国民国家を形成しようとした明治政府がエージェントとなって「創造」された。ヨーロッパでも前近代に「母性」のようなものは存在せず、江戸時代の女性に期待されたのも子供を産むことだけで、育てることは期待されていなかった。

しかし明治になり、乳幼児が将来の国民予備軍=兵士と意識されはじめ、母親が子供の世話をすることが規範化された(子供と家族に対する権力を拡大できるため、多くの女性も歓迎した)。
「良妻賢母」という言葉は明治に入ってから作られた。夫婦同姓も1898年の明治民法まで規定はなかった。

こうした経緯をみると、長谷川三千子氏の言う「女性の一番大切な仕事は子供を産み育てることは常識」という指摘や、「こうした性別役割分担は哺乳動物の一員である人間にとってきわめて自然なもの」という主張は、根拠が乏しく聞こえる。

投稿: 千田有紀著 | 2014年1月30日 (木) 13時53分

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