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2014年2月26日 (水)

家は「居場所」と「出番」でもある

家は「居場所」と「出番」でもある

中日新聞 社説:車で歩道突入 なぜ「無差別」なのか
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2014022602000108.html

また「誰でもよかった」である。名古屋駅近くの繁華街で起きた乗用車の歩道突入。無差別殺傷を狙う理不尽な事件がなぜ、こうも続くのだろう。未然に防ぐ手だてはあるのだろうか。



いかなる理由があろうと正当化される話ではないが、その理由を調べた研究がある。

法務省・法務総合研究所が昨年「無差別殺傷事犯に関する研究」と題する報告書をまとめている。死亡者がなかった事案も含め、一〇年までの十年間に判決が確定した五十二件の分析である。

浮かび上がった傾向は(1)多くは男性(2)年齢層は一般的な殺人事犯者に比べて低い(3)交友関係、異性関係、家族関係が希薄、険悪(4)就労状況が不安定-など。報告書は「全般的に、社会的に孤立して困窮型の生活を送っていた者が多い」としている。

さらに「精神障害等の診断を受けた者が多いが、治療を受けていた者は少ない」とも指摘する。

もちろん、こうした特徴に該当しても犯罪とは無縁の生活を送る人がほとんどであり、その点は気を付けなくてはならない。その上で、分析が示す意味を考えたい。

報告書も指摘するように、社会的孤立が共通項であるならば、何よりも求められるのは、社会における「居場所」と「出番」をつくることだろう。

今の日本社会は、孤立しそうな人に、きちんと目を向けているだろうか。精神障害があっても、偏見や差別を恐れて治療に行くことに二の足を踏ませるような雰囲気をつくってはいないだろうか。

社会のせいとは断じて言わせないが、社会の側も考えてみたい。

「社会における『居場所』と『出番』」、人間は群れを作る動物だから仲間を必要とする。居場所や出番は誰もが欲しがる。居場所や出番、多くの人間は、それを生まれながらに持っている。つまり、家族だ。もちろん、多くの人間は成長すると家族以外にも居場所や出番を作り出して行く。

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戦後の日本社会は「家」よりも「個人」を重視する方向に変化しつづけている。つまり、生まれながらに持っている居場所や出番は小さくなり、各個人がその能力で獲得する居場所や出番が大きくなったのだ。

そして、個々人に各自の能力で、と言うと格差が大きくなるものだ。

「家」の弱体化は、居場所の格差をもたらした。居場所を持てない人間を増やした。

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今回のような事件は、昔風の家族や人間関係の中では起こりにくいものだろう。一方で、昔風の家族が強固であれば、その中での事件・事故・犯罪が起きるだろう。それは家族の中で抑圧されて爆発したり、抑圧が傷害となったりするだろう。

「誰でもよかった」とはならないけれど、問題がないって訳にはいかない。問題の種類や出方は変わるだろうけれど。

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家族を強くすることだけが解決でもないし、家族を強くすることで別の問題も出てくる。しかし、家族が弱くなった事が居場所や出番を持てない人間を増やしてしまったということから目をそらしてはトンチンカンな答えになってしまうだろう。

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コメント

ミルトン・フリードマンが「選択の自由」の中で比較的いいこと言ってた。
専門性のない普通公立高校では暴力や差別、いじめはなくならない。
対して、職業専門の私立の高校ではそういった問題は全く起きない今の日本そのもので、アメリカでおこったことを日本で実験したんだ

投稿: ron | 2014年2月27日 (木) 15時37分

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