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2014年3月24日 (月)

差別と民主国家

差別と民主国家

しんぶん赤旗:あらゆる差別なくそう 国際人種差別撤廃デー 東京で250人がデモ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-22/2014032203_01_1.html

「NO HATE SHARE THE LOVE!(憎しみはやめて、愛を分かち合おう!)」―。国際人種差別撤廃デーの21日、あらゆる差別の撤廃を訴えるデモが東京都渋谷区で250人の市民の参加で行われました。

生まれで、どんな土地に生まれたかとか、どんな血筋に生まれたか(どんな親から生まれたか)とかによって、政治的権利が決まるとしたら(参政権があったりなかったりしたら)、それは差別でしょうか。

もしそれが差別であると思ったなら、民主国家は差別する国家であると言わなければなりません。

何故なら、例えば民主国家である日本国の参政権は日本国民しか与えられないし、日本国民であることは(帰化などの例外を除けば)、生まれで決まってしまうからです。アメリカはややちがいますが、生まれた土地によって国籍を与えたりしていますが、本人にとってはどうしようもなく変えられないことによって参政権を決定しているという意味では同じです。日本やアメリカ以外の民主国家も基本は同じ、生まれて(血筋や出生で)政治的権利を決めてしまう。

民主国家で、参政権を生まれによって決定していない国を私は知りません。

つまり、全ての民主国家は差別を行っています。差別なしには民主国家は成り立ちません。

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そういったことを考えていると「あらゆる差別の撤廃を訴える」なんて言葉を見ると、いったいどんな世界を望んでいるのか判らなくなってしまいます。

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民主国家は暴力なしに始まることは出来ません。何故なら最初の選挙を行う権力は、暴力なしには成立しないから。そして、民主国家は差別なしには存続できません。何故なら、選挙権を生まれで決定するしかないから。

暴力と差別なしに民主国家は成立も存続も出来ないのです。

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民主国家で差別反対を訴えることは、ある意味において、偽善です。しかし、差別をして良いと言うことも私はできません。偽善であること、偽善であることに気がつきつつも、差別に反対することの意義も私は認めます。

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