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2014年4月 3日 (木)

軍事の論理ではどうなのか

軍事の論理ではどうなのか

朝日新聞 社説:武器輸出緩和―平和主義が崩れていく
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

政府が新原則で主に想定しているのは、ハイテク化と高額化が進む最新鋭兵器の国際的な共同開発への参加だ。

安倍内閣はすでに旧原則の例外として、米英など9カ国が共同開発したF35戦闘機の部品輸出を認めているが、今後はこうしたケースに開発段階から加わりたい考えだ。

背景には、コスト削減と防衛産業の育成がある。国内の企業には、旧原則が足かせとなって最先端の技術開発から取り残され、ビジネスチャンスを失っているという不満がある。

しかし、国民の多くの支持のもと、日本が選んできた道である。産業界の論理で割り切っていいはずがない。

私は軍事に興味はあるが詳しくはない。けれども、政府が想定している「ハイテク化と高額化が進む最新鋭兵器の国際的な共同開発への参加」がなくて日本は十分な防衛力を維持できるかどうか不安だ。

産業界に、「ビジネスチャンスを失っているという不満」があって、それが後押ししている可能性があるかもしれないけれど、軍事的にはどうなのだろうか。共同開発に参加しないで中国やロシアに対抗できるのだろうか。

中国は様々な問題を抱えた国であるけれど、製品にニセモノも多いけれども、中国製のものが全てダメということはないし、中国は武器の生産や輸出の実績を持っている。ミサイルと技術的には近い宇宙開発の分野では日本を凌駕している部分もある。

そんな国に、国際的な共同開発に参加しないで、十分な武器が得られるだろうか。

共同開発されたものを買えば良いという考え方もあるかもしれないけれど、出来上がったものを買うのと開発段階から参加するのでは、出来上がったものへの理解度も違うし、日本の意見や必要性を盛り込んだものにはならない。

そもそも、共同開発に参加しない国には売らないなんてことだってありえる。

  *        *        *

下手な原則を守って、合理的な判断をしないで、ちゃんとした武器を兵士に与えられないで、原則を守ったその結果を兵士の血・国民の生命財産で贖うなんてことの可能性を考えたら、武器輸出三原則なんて捨ててしまうべきだ。

  *        *        *

引用元の朝日新聞の社説は軍事の理論がざっくり欠落している。日本が攻撃されないという前提がなりたてば、正しいかも知れないけれど、中国の存在を考えれば、とても賛成できない。国民の不安に向き合っていない。

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